月に一度、彼は俺の血を飲む。

 それは満月の夜に行われる。
 時々ひとに尋ねられることがあるが、吸血鬼の牙が喉に食い込むのに、実は痛みは伴わない。おそらく彼の種族の口内から分泌される体液にそういう効能があるのだろう。牙よりは却って首筋に触れる唇の感触の方が、生々しく意識される程だ。ただ、微かに暖かみを感じはする。そして冬の悴んだ手のひらに血の気が通うときのような痒みが広がり、やがてそれは肩や腕や下半身にまで伝わってゆく。
 あの震えのくる感覚をどう説明すればいいだろう。痒みはやがて疼きに、そして快楽に変わる。女性が性行為で得る快感に近いのかもしれない。
 もっと血を吸ってほしいという欲求が身体の中を荒れ狂う。肉体的にも、精神的にも、何もかも支配されたい。首を掻き切って全ての血を飲み尽くしてほしいという台詞をじっと堪える。しかし言葉は押さえられても、体の一部は性的な反応を示すのを止められない。
 彼は気付かない風を装う。それはおそらく礼儀なのだろう。彼は一切合切を見なかった事にする。彼のお得意のその処理は常に強力で、この俺の30年間の言葉や態度や努力すべては、悉くなかった扱いにされている。そう、俺は彼にある種の感情を持っているのだ。おそらくそれは永久に伝わることはないだろうけれど。

 彼は誠実な人間だ。故に文献をこまめに調べて私に教えてくれる。吸血行為が人体に与える影響について。他人を意に添わせる吸血鬼の力について。なによりも実際に吸血行為の中毒となり、吸血鬼の忠実な下僕となり果ててしまった男女の存在について彼は何よりも危惧している。俺も繰り返し説かれる内に、自分の彼に対する好意は吸血鬼の能力に因るものではないかと疑ったこともある。しかしすぐに思い直した。毎年一度は必ず、体に悪いと分かり切っている野菜を食べて腹を壊すような奴の、或いは真冬の夜にシャツ一枚でふらふらと散歩をして風邪を引くような男の、下僕になりたいかと聞かれれば答えは否であるからだ。

 俺は彼を愛する。彼の誠実さを、彼の忍耐強さを。彼の粗雑さや、鈍感さすら愛しいと思っている。しかし、もし俺が彼に好意を打ち明けたとしたら、彼は少し驚き、そして言うだろう。「大切な友人であり恩人でもある君となら、そういう関係になっても構わない」と。そう告げる彼の表情すら、はっきりと思い描ける程だ。その想像は俺をひどく陰鬱な気分にする。

 月に一度、彼は俺の血を飲む。
 吸血鬼の口付けを喉に受ながら、俺は彼の名を囁く。そしてそっと彼を抱きしめる。彼は相変わらず何事もなかったかのように振る舞い、血を飲み終えると「ありがとう」と礼を述べ、部屋を出てゆく。優しい顔で。首筋の2つの疵と、絶望的な恋だけを与えられ暗い部屋に取り残された俺は、しばし椅子から立ち上がる事もできずに項垂れる。










2007.11.18


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