眼鏡の黒髪の男性と、眼鏡の黒髪の青年が向かい合って座っていた。容姿のみでも彼等が血縁関係にあることは十分に推察できたが、その上に2人はソファーへの掛け方から姿勢から、相手を数秒間凝視する癖や、その押すような強い視線までまったく同一だった。ポッター親子である。



「リーマスが刺された!?」
「父さん、違う。座って」
「まあ確かにリーマスは訴えないだろうけど、でも」
「いや、シリウスの投獄の可能性を否定した訳じゃなくて」
「だからシリウスが刺し―――」
「だから違うって」
「違う?」
「違うよ。父さんはシリウスを何だと思ってるのさ」
「いや……熱い愛情を持った男だよ……」
 

「それでシリウスが一人暮らしを始めたんだ」
「ほらぁー!ほらぁー!やっぱりー!」
「違うから。そういう痴情のもつれ的な話じゃないから」
「刺して逆上して家を出たのでなければ、奴がリーマスを置いて家を出るなんて絶対あり得ない」
「先生が出て行けって言ったんだよ」
「……!!」
「違うから。泣かないでいいから」
「……違うのか!よかった!」
「……たぶん」
「ちょっとハリー、父親の心臓を破裂させたい訳でないなら、もうちょっとソフトな話し方ってものがあるんじゃないの?」
「とりあえず話の2大要点を先に言ってみた」
「よし、じゃあ順番にいこう。刺したのは誰」
「ルーピン先生は『夜中に侵入してきた賊に刺された。相手の顔は見ていない』って言ってる」
「OK、念のため確認だけど、もう治っているんだよね?」
「うん、普通の刃物だったみたいで、傷は一晩で完治したって」
「そして、その犯人に関する話に、シリウスは納得していない?」
「うん。ちなみに僕も」
「じゃあそれはひとまず保留にして、別居とはどうつながるのかな?」
「あそこは先生の家だから、吸血鬼はいくらでも侵入できるじゃない。入口は強化してあるけど、窓や屋根や、まあ壁とか、本気の吸血鬼ならどこからでも入れるからね。その点シリウス1人の住居だと……」
「吸血鬼は招待されない限り入れない」
「その通り」
「つまりリーマスは賊を吸血鬼だと考えている訳だ」
「そうなるよね。物騒だからしばらく1人で暮らしてほしいって。なるべく外に出ないように」
「リーマスがシリウスに?」
「そう」
「シリウスは従った?」
「うん。みたい」
「あー……」
「え?何?」
「いや、これはがっちり3時間ほど愚痴を聞くことになりそうだと……」
「なんでそんな沈痛な顔になるのさ。聞いてあげなよ友達でしょう」
「奴の愚痴がどんなに壮絶に痛々しいか知らないから……。リーマスを庇いながら愚痴るもんだから、もう自分の前足に噛みついてキャンキャン痛がってる犬みたいなんだぞ。あんなの素面で聞けないぞ」
「あ、なんか想像ついた」
「でしょ!」



 来訪のブザー音に応対に出たシリウスは、訪問者の姿を見て無表情になった。そこはマグルの街の大通りに面したアパートだった。立地を考慮してか、リーマスはいつもの黒いマントではなく目立たないコートを着ていた。
 闇の中くっきりと浮かび上がる白い顔をして、彼は所在なさげに俯いて立っている。
 話そうと考えていた幾つかの言葉が消えてしまったのか、リーマスは口を開いては閉じる事を繰り返した。そういう場合必ず友人の心情を察して的確な代弁をするシリウスは沈黙を続ける。そればかりか彼は一歩後退してこう言った。
「入らないのか?」
 ここがシリウスの家である以上、いかに彼等が親友であろうと恋人であろうと、吸血鬼であるリーマスは承認なしにこの家に入ることは出来ない。シリウスもそれはよく理解している筈だった。
 内心の動揺を押し隠し、リーマスは何とか笑みに近い表情を浮かべた。
「君の顔を、見に寄っただけだから。そのうち手紙を出すよ」
 小声でそう言って歩み去ろうとしたリーマスに、
「折角来たんだから家を見て行けばいい。どうぞ中へ」
 シリウスは鋭くそう告げた。


 家具はすべて据え付けのもので、どれも趣味がよかった。小さいながら暖炉もある。2人で住んでいる館の広さには比ぶべくもないが、都会で1人暮らしをする男性としては格段に良い環境だと言えるだろう。
「捨てられたのかと思った」
 ソファに掛けたシリウスは笑顔であったが、目は逸らされ口調は重かった。その皮肉に瞳を揺らして、リーマスは姿勢を正して謝罪をする。
「事情も説明せず、家を追い出すような真似をして、済まなかった。外出も、しないように言ったから、不便だったと思う」
「最近は何でもネットで注文ができる。食事も。別に不自由ではなかった」
 しかし言葉とは裏腹に彼の表情は強張っていた。
「君のためだったとは言わない。パニックを起こして……なにも話せなかった。本当に済まない」
「3日間」
「うん……」
「どのくらい待つ事になるのか、ずっとここでぼんやり考えていた」
「済まない」
「いや……3日間で事情を話せるようになってここへ来てくれたのが、お前の努力によるものだというのは俺にも分かる。旅行の時からずっと、グレイバックに会ってからずっとお前の様子はおかしかった」
 一瞬緊張した両腕からゆっくりと力を抜きながらリーマスは極力普段通りに話した。声は震えてはいなかった。
「気を付けた方がいいと忠告してくれる吸血鬼が何人かいて……私の家から特に価値のある財産を……君を略取しようと……グレイバックが計画していると……でも間違いであるよう祈っていた。残念ながらそれは叶わず、あの夜私達の家に侵入してきたのはグレイバックの碌でもない仲間だったけど」
「怪我の具合はどうなんだ。ひどく出血していた」
「銀の刃物でない限り、あんな傷はすぐ塞がるよ」
「やはりあのとき奴に即死の呪文を試しておくべきだったな」
「いや、これは私が、過去を恐れて顧みなかったつけが回ってきたんだ。もっと早くにこうしておけばよかった。あれから3日間……」
「うん」
「夜に、私は子供の頃に暮らしていた屋敷の跡に行った。グレイバックが無理やり吸血鬼にした何人もの子供たち、心を病んで誰かが死を選ぶたび、幼かった私は服と遺品を埋めて墓を作った。体は灰になって消えてしまったから」
「・・・・・・」
「それらをすべて掘り出した。犠牲になった個人を特定して、私はグレイバックを告発した。吸血鬼は法律や罰則には無関心だがその代り個々に対して厳しい自制を求める。グレイバックは抹殺されることが正式に決まった」
 言い終えたリーマスは顔を上げた。血色はいつにも増して悪かったが、表情は晴れやかだった。シリウスは長く間をおいた後そっと呟いた。
「お前を誇りに思う。側にいたかった」
「私も。土を掘り起こしているときに君が側にいてくれたらと何度か思った。でも私は、1人で立てないから君に寄り添って生きている訳ではないと証明する必要があった。誰よりも自分自身に対して」
 彼等の間のわだかまりはまだ消えておらず、2人は相手の目を見ず俯いて座っていたが、彼の姿を見ることができればとどちらもが考えていた。
「俺の知っているお前は、十分に強くて自立している」
「君は私を買いかぶりすぎるのが昔からの悪い癖だ」
 沈黙が落ちた。
 リーマスは時計を見て、思ったよりも時間が経っていたことに少し驚いたような顔をした。そしてシリウスに挨拶をしてここを去ろうと立ち上がりかけた。
 シリウスはごく自然に彼の言葉を遮った。
「お前は先月、血を飲んでいない。「食事」をして帰るといい」
 リーマスは苦笑をする。
「うん、ありがとう。でも最初に言った、君の顔を見に寄っただけというのは本当なんだ。今日は帰るよ」
「そうか」
 目を少し細めて、シリウスはテーブルの上にあったトレーの中から華奢なナイフを取り、手紙を開封するような動作で自分の掌を切った。
「シリウス、なにを―――」
「手間を掛けさせるな」
 切り開かれた皮膚を上にして、シリウスは掌を差し出した。リーマスは片手で目を覆って顔を背ける。
 血はあふれ出て手首をつたい、袖口に滲み、やがて赤い滴が大きく膨らむ。
 絨毯に落ちる血の、僅かな音がはっきりと部屋に響いた。リーマスの視線は床に落ちたシリウスの血に釘付けになる。おそらく嗅覚も血の匂いに囚われているだろうとシリウスは考えた。吸血鬼は人間1人1人の血の匂いを判別できると彼はかつてリーマスから聞かされたことがあった。シリウスの血は、百合のような、重くて冷たい匂いがする、と。
 シリウスは再び掌を差し出した。リーマスは顔を背けなかった。シリウスの側へ来て膝をつくと掌を両手で受け取り、そこへ舌を寄せた。流れている血を舐めとり、傷口の中を丁寧になぞった。シリウスの痛みについて全く考慮せず、彼は一心に血を味わった。やがて食事が終わり、口の周りを血で汚して別人のような顔をしたリーマスは、シリウスの傷口と首筋とを交互に見た。瞳孔は針の如く細くなり、彼の瞳の普段の暖かさは微塵もない。
 シリウスはシャツの襟元を寛げた。まったく音を立てず滑らかにリーマスは彼の膝の上に乗り上げる。荒い息が耳元にかかって、シリウスは奥歯をかみしめた。
 しかしリーマスは意志の力で首筋に噛みつくのをこらえた。彼はシリウスの肩に拳を置き、懸命に距離を取ろうとした。シリウスはそれを許さず、右手で彼の腰を抱き意図もあからさまにリーマスの背筋を下から撫で上げた。痩身が震えて彼は微かに呻き声を漏らし、とうとうその牙をシリウスの動脈へ突き刺した。
「それでいい」
 シリウスは低い声で囁いて、満足そうにリーマスを抱きしめた。リーマスも、その指を黒髪の中に差し入れ乱暴にかき抱く。
 彼等が月に一度過ごす、濃密な時間だった。リーマスは血の味で彼の情熱を知り、シリウスは痛みをもって受け入れることの甘さを知る。彼等は互いを支配し、互いに従属した。口元の血でシリウスの肌が汚れるのも構わず、リーマスは彼の顎に、頬に口付けた。2人の手は自然と相手の衣服へと伸びたが、しかし躊躇うようにその合わせ目に触れるにとどめられた。
 まだ少し酩酊の残る表情でシリウスの頬の血を舌で舐めとって、リーマスはようやく心の内を告白した。
「グレイバックが、君を……私にした事を君にするんじゃないかと思うと気が狂いそうになる。奴は君の血を狙っているのであって、君を吸血鬼にする訳はないと知っていても」
「・・・・・・」
「でも君を吸血鬼にしようとしているのはグレイバックではなく私だ。私は君に呪いを分け与えようとしている」
 恋人の頬に手を添えて、シリウスはリーマスと視線を合わせた。圧力を感じるほど強い目。子供の頃から変わらない、本心に従う生き方をしてきた者だけが持つ光だった。
「待つ。お前が納得できる日が来るまでずっと待つ。年寄りになっても待つ。だから苦しまなくていいリーマス」
「……君は、私に甘すぎる。それも悪い癖だ」
 リーマスは目を閉じ、彼の肩に顔を伏せた。怪我をしていない方の手でそっとその背に触れて、シリウスもまた目を閉じる。








「というか父さん、僕たちは一刻も早く窓から離れるべきだと思うんだけど」
「どうして。仲直りの一部始終をここから目撃したい」
「声は聞こえてこないとはいえ、他人が見ていいプライバシーのぎりぎりのところだよね現在。むしろ若干アウトだよね」
「だってカーテンに隙間があるのが悪いんだもの」
「中年男が口を尖らせたってだめだよ」
「中年男がいい歳の息子を背負って親亀子亀みたいになって、しかも尾行を警戒して透明マントぐるぐる巻きだよ?この苦労、報われたい!」
「まさに出歯亀!って、うまいこと言ってもだめだから!
「というかさ!今回の話はまず友人である僕に相談があるべきじゃない?」
「いや、だって僕が2人の家に遊びに行ったらちょうどシリウスが追い出されるところだったんだよ。2人共真っ青な顔してるしさ。事情を聞くでしょう」
「……お前、どうしてうちより先にあっちに帰省するの。どこの子なの」
「ポッター家の子です。明日からしばらくロンの家に行って戻らないけど」
「家に帰って今回の件の説明をすると共に、母さんの粛清を受けるといい……!」
「あ、母さんには最初にメールしたし。経過も逐一LINEで報告してるし」
「なっ……どういう事なの!?」
「だって父さん端末見ないじゃん……」
「ばっ、ばか!僕の背中から降りてよね!」
「こじれた恋人同士が冷静に和解したのにそんなことで泣いて、父さん恥ずかしくないの?」
「ぐぬぬ……」








これたぶん次回が最終回です。
来年最終回になるか、また違う時間の話になるか
あるいは終わるの寂しいー!とか言って投げ出すかは分かりません。
1年長いので何がどうなっているか予測もつきませんな…。

定石でいえば、先生が捕まって
(または捕まったという偽の情報で)
シリウスがおびき出されるのでしょうけれど、
とてもじゃないですがそんな恐ろしいもの書けないので
その展開はないです。
あのとき家でおとなしくしててくれてたらねー。もう本当ねー。

ロンドンの、ちょい小奇麗めのウィークリーマンションの家賃を調べたらバカ高くてびっくりした。

2013.10.31