シリウス・ブラックは正午に起床し、遅い朝食を摂る。彼の恋人は日の射す時間帯は棺桶の中で眠っていなければならない体質の持ち主なので、彼は午後を1人で過ごす。黙々と庭の手入れに精を出し、屋敷を補修し、郵便物に目を通し、手紙を書き、必要な書類を発行した。時々ヴァンパイアハンター達がやってくる。多くは近隣の子供たち、ごく稀に本職の人々が。その人々は100%シリウスを吸血鬼だと勘違いして杭を打ち込もうとしてくるが、その日の気分によっては相手をしないでもなかった。子供にはうんとお灸をすえた後でパンケーキを焼いてやり、本職の人々には日の光の下で立ち話をしてお引き取り頂くのだった。 そんな訳で夕方頃になると幾分待ちくたびれた気持ちになるシリウスだが、自分の昼食の準備などをしているとやがてリーマス・ルーピンが現れる。いつものよれよれの黒いケープを、ひどいときはパジャマの上に羽織ったりしている彼は「おはよう」と告げてテーブルに着席し、もう一度突っ伏してしまう。 シリウスは10度ほども「起きろ」と声を掛け、昼間のうちにあった出来事をルーピンに話して聞かせる。十字架の角が顔に当たって痛かったであるとか、杭は凶器には向いていないという見解などを。一般的にはディナーの時間帯なのでシリウスは食事と赤ワインを摂り、ルーピンも大抵は赤ワインか紅茶、又はホットチョコレートを飲んで同席する。 それからの時間を彼等は同じ部屋で過ごす。この家に1台きりの小さなテレビを見たり、チェスやカードを楽しんだり、それぞれ読書をしたり、或いは深夜の散歩、深夜の映画館に出掛けたり。 午前0時頃にシリウスは遅めの夕食を食べる。リーマスは同席して、少し羨ましそうに眺めている。食事が済むと彼等は恋人らしい時間を過ごす。 それが日々あまり変化のない2人の習慣だった。 その日は珍しくルーピンが吸血鬼の集まりに出席するため、日没から正装をして出かけて行ったので、シリウスは正午から24時過ぎまでをずっと1人で過ごしていた。ありとあらゆる用事が片付いてしまってこの先1週間分の雑用がなくなり、仕方なくシリウスは屋根に登って月を眺めた。 やがて月を背に一羽の蝙蝠がまっすぐこちらを目指して飛んでくるのが見え、手を伸ばしたシリウスの指先に触れるとそれは空気一つ揺らさずにルーピンへと姿を変えた。 「私の真似をして屋根の上で待たなくても……」 ルーピンは苦笑しているようだった。そして少し疲れて見えた。 「別に真似じゃない」 「蝙蝠は空を飛べるがパッドフットは飛べない。危ないじゃないか」 「元気がないぞ」 「あー、うん、やっぱり人の大勢いる所は苦手でね」 ルーピンは会合での出来事を簡単に語った。吸血鬼の世間話は「やはり十代の血が一番おいしい」とか「私は皮膚の薄いのが好きである」とか、「喫煙者は健康によくない」であるとか、会話について行けないといった事を。 「果物だけを食べさせて大きくした人間を交配させてフルーティー人間を作ろうとしている人の自慢話もたくさん聞いた」 「それは……たぶん美味しくはならないうえに早死にすると思うぞ」 「私もそう思う」 「そんなに疲れた顔をするな。血でも飲むか? 「ありがとう。……でも、おいしいものを、悲しい気持ちの時に食べるのはもったいない気がする」 「そういうものか。付き添って行けたら一番いいんだが」 正式に招待をされて、幾度かシリウスは吸血鬼達に会った事がある。しかしシリウスを前にすると吸血鬼の人々は露骨に鼻息が荒くなり、若い者などはあからさまに涎を垂らすので到底リラックスできる雰囲気ではなかった。誰もシリウスの話など聞きはしない。ひたすら首筋のみをじっと凝視されるのだ。 「気持ちだけ頂いておく。縁談も凄いんだ。もう人生に疲れるくらいに」 「ほう、縁談だって?」 「勿論私には人間のパートナーがいるという話は何度もしているからね?」 「声が小さくて周りに聞こえていない可能性は?」 「むしろ財産目当てならぬ君目当てで結婚させよう、しようという吸血鬼も多いくらいだ。言うなれば私は非常に高級なワインを産出するワイナリー主のようなもので、私がいくら葡萄畑を愛していると言っても、葡萄畑とはパートナーのような関係だと言っても、比喩だと思われて通じない」 「吸血鬼の常識で言えば、お前は葡萄の木と交合する変態性欲者のようなものなのか?」 「きれいな譬え話が台無しだ。うん、まあ、そうだね。あまり私の他にそういう話は聞かない」 「俺が聞くのも変だが、なんでお前は葡萄の木と恋愛する気になったんだ?」 「……もう私が変態性欲者だからでいいよ」 「物語だったら」 却ってルーピンを励まそうという気持ちでシリウスは発言した。 「葡萄の木は人間になってお前と結ばれハッピーエンドだな」 言ってから、露骨に彼はしまったという表情をした。 「済まない、違う。他意はない」 「シリウス」 「俺は誓ってお前の意に沿わない事は望まないから」 「ちょうどいい、聞いてほしい事があって」 「この話はやめよう。2人で暗くなる必要はない」 「その話で私から―――」 「お前が―――」 「静かに、シリウス」 ルーピンはそっとシリウスの唇に指をあてて「シー」っと歯の間から息を吐きだした。こういう場合、必ず相手の話を優先するルーピンには珍しい態度だったのでシリウスは驚いて言葉を飲み込む。 「今日、私が出掛けていたのはその件だったんだ。もう縁談話に懲り懲りして」 「その件とは?」 「私が君を同族に迎える事が正式に認められた」 シリウスの唇は何かを喋りかけた形のまま静止した。舌だけが奥でゆっくりと動いたのが見えた。 「吸血鬼が人間を同族に迎える時は他の吸血鬼の立ち合いが付くのが正式だ。吸血鬼の血が足りなくなったり、あるいは2人の血が合わないという事態もあり得るからね」 「・・・・・・」 「もちろんすぐにではない。あと2年―――」 「2年だって!?」 「そう2年。太陽の下を歩けるうちに、色々な場所を見て回ってほしい。永久に見られなくなる素晴らしい光景が沢山ある。そしてその間に後悔がないかどうかをもう一度考え直してほしい」 「もう10年以上待っているのに!?」 「だったら2年くらいすぐだろう。それと」 「それと?」 「あと2年の間にもう少し皺を増やすなりして老けてくれ」 「……皺?」 「君は成人しているし、吸血鬼化したら外見の変化は一切なくなる。今の容姿のまま吸血鬼の特徴がプラスされたらそれはちょっと顔が整い過ぎて異様だ」 「努力する。老けなければ皺をクレヨンで描き足す」 「それは……顔を見るたびに私が笑ってしまう」 笑顔になったルーピンを、シリウスは抱きしめた。長い時間夜の空を飛んだ彼の体も服の布地も、何もかもが冷えていた。 「俺とのことは遊びじゃなかったんだな」 シリウスの声は弾んでいて、ルーピンの胸は痛んだ。もっと早く言えば良かったという後悔と、自分は取り返しのつかない事をしているのではないかという迷い、2つの感情に彼の心は裂かれた。 「違うよ。私の好みの紳士になるまで待っていたんだ。だのに君ときたらさっぱり歳を取らない」 「若造はタイプじゃないとおっしゃる?あんなに楽しんでおいて?」 ルーピンが笑いながら舌打ちをして、シリウスは彼の耳朶に口付けようとした。 「……?お前、焚火の匂いがする……何か燃やしたのか?」 「そんな事はしていないけど。あ!」 「なにが『あ』?」 「いや、夜明けだ」 シリウスは大声を上げてルーピンのマントをまくりあげ、中華料理のシュウマイのように吸血鬼を包んですぐさま抱え上げ、2階の窓から部屋に飛びこんだ。 迅速な対処のおかげで少しの火傷で済んだルーピンは小さくなって言い訳を始める。 「ちょっと緊張して、忘れて」 「俺も忘れていたからお前を責められない!こんな嬉しい日に怒りたくない!手を出せリーマス!」 と鬼気迫る顔で、シリウスは吸血鬼の手の火傷に薬を塗るのだった。 眠くて目が開けていられないくらいなので、治療は今日の夜にしていいかとのルーピンの問いは当然却下され、「そういえば返事を聞いていない……」という呟きには、「イエス!」というシリウスの怒り混じりの大声が大ホールにこだました。どうやら2年という猶予に並々ならぬ不服を彼は感じているようであり、眠気覚ましに恨み言の一部を申しあげましょうかと言うシリウスに、ルーピンは賢明な沈黙で答えた。 長い年月変わらなかった彼等の習慣に、変化の兆しが表れた日だった。 ティーンエイジャー向け伝奇ラブロマンス小説だったら、 これ絶対横槍が入って上手くいかないね。 シリウスの事が好きなイケメンの人狼とかが登場するね。 2011.10.31 次へ |