The beautiful days


  このところずっと晴天が続いている。
 毎日少しずつ湿度が下がっていって、とても暮らしやすい。
 私は肥料を作る手を止め、眼前の、何が通るわけでもない道や誰の所有かも定かでない雑草だらけの土地を眺めた。
 風が鳴っている。それと虫の羽音も。
 私はともかくシリウスは、もうこんな辺鄙なところに隠れている必要はなくなったのだが、私達は今もずっとここに住んでいる。
 運命ももう私を弄ぶのに飽いてしまったのだろう。今、私は人生で一番平安を感じている。

 ハリーは彼の物語に決着をつけた。
 私やシリウスや他の沢山の人間が彼を助けたが、決着をつけたのはハリーだった。彼は血を流し、叫び、多くのものを失って、それでも世界を守った。
 ジェームズが死んだ時以上の歓声で魔法社会は沸き立ち、その現象はマグル界でもちょっとしたニュースになった程だ。
 私もシリウスも、ハリーを心から誇りに思っている。

 人の気配がして我が家を振り返ると、戸口にシリウスが立っていた。午睡から覚めたのだろう、笑顔というのではないが面白がるような表情が浮かんでいる。私は手袋を外して立ち上がった。
「なんだか楽しそうだね、シリウス」
 私達は自然に抱き合った。
 シリウスからは家のシーツの匂いがする。つまりは洗濯石鹸の匂い。陽に火照った身体を冷やしてくれる感触を、私は楽しむ。
 事件の終結後、シリウスはひどく穏やかになった。彼の中にあった焦燥や、アズカバンでの精神的な傷は急速に癒え、時折私に怒りをぶちまける事もなくなった。
 それともそれは私が変わったせいなのかもしれない。私は以前ほど、シリウスと別れて1人で生活する自分を想像して気構えなくなったし、驚いた事に「このままずっと2人で生活していくのではないか」と思うようになった。逆にそれは慣れなくて、妙に落ち着かなくもあるのだが。
 ともかく、1人でどう生きていくか、今となっては想像するのが少し難しい。今なら過去のシリウスの苛立ちが理解できるような気がする。
「今年のハリーのスクールホリデーはあの子を何処へ連れて行こうか?」
 私は何とはなしに昨日から考えていた事を口にした。ごく新しい習慣だが毎年私達は3人で旅行する。
「ハリーを?」
 シリウスが妙な質問をするものだから、私は笑ってしまった。
「当たり前じゃないか。ハリーが帰ってくるのに、2人で旅行に行ってどうするんだ」
「一度くらいそれもいいな。ハリーは留守番で。マルタ島なんかどう思う?」
「ああ、素敵なアイディアだけど」
 すごく君らしくてブルジョアっぽいね。私はそう言って彼に口付けた。
 胸元に雨のような幾度ものキスが降って、私は側にあったソファに身を横たえる。シリウスは私を見つめたまま、一つずつ釦を外してゆく。優雅だった彼の指も最近では少々衰えを見せ、時折痛風病みの老人のような震えが出る事もある。なので私は、そんな年でもないだろうと、愛情を込めて彼を苛めてみたりもする。
 素足で触るソファの布地の感触、手のひらに当たるシリウスの癖の出た黒髪の感触、そして不器用な彼の愛撫。すべてが心地良くて、私は四肢を伸ばす。
 覚醒と眠りの狭間。あるいは死のイメージに限りなく近い白い幸福な世界。
 溜息とも喘ぎともつかぬ声を出して、私はシリウスの耳に幸せだと囁いた。
 そう、私は幸せだ。今なら恐れずにそう思える。



 少し眠ろうと思ってベッドに横たわっていたけれど、結局はずっと天井を見ていた。いつもそうだ。僕はこの家にいる時、眠りに落ちるのを心のどこかで恐れている。
 諦めて階下へ降りると室内はしんとしていた。外があまりにも明るいので、逆に家の中は影の色が濃い。開け放たれた扉の向こうの庭は別世界のように眩しい場所だった。
 その中に彼がいた。
 色素の薄い彼は、日差しに透けてしまいそうに、溶けてしまいそうに見えた。  僕は泣き笑いのような表情を浮かべる。

「なんだか楽しそうだね、シリウス」

 彼は今はもういない人の名で僕を呼んだ。あれ以来ずっとそうだ。彼が昔のように優しく僕の名を呼んでくれる事は2度とない。「ハリー」と。
 僕は腕を広げて先生を抱きしめた。髪も額も腕も陽の光で暖まっていて、まるで小動物をこの手に抱いているようだった。
「今年のハリーのスクールホリデーはあの子を何処へ連れて行こうか?」
 僕がホグワーツを卒業したのはもう随分と前の事になる。しかしこの人にはもう時間を正確に捉える能力がない。僕達に「静かに」と言った、あの確かな眼差しはもう戻らない。
「ハリーを?」
 僕がここにいるのに、誰が帰ってくるというのだろう。祈るような、縋るような気持ちで僕は首をかしげる。先生は笑顔と真顔の中間くらいの表情をする。
 おそらく、今、もうひとこと僕が何かを言えば先生は元に戻るのではないか。という瞬間はこれまで何度でもあった。
 しかしそれが一体誰の為になるというのだろう。僕は誤魔化すように微笑む。先生も笑った。
「当たり前じゃないか。ハリーが帰ってくるのに、2人で旅行に行ってどうするんだ」 
「一度くらいそれもいいな。ハリーは留守番で。マルタ島なんかどう思う?」
 シリウスが「来年は3人で旅行に行こう」と言っていた場所。けれど結局約束は果たされなかった。 「ああ、素敵なアイディアだけど」
 先生は小さな声で何かを続けて喋り、アイスクリームをひと匙味わうように、僕の舌をすくった。

 血溜りの中に倒れた義父は、もう口のきける状態ではなかったにもかかわらず、はっきりとした声で僕に言った。「リーマスを頼む」。 そして「すまない」と呟いたあと息を引き取った。
 僕は彼の瞳が。あの犬の姿の時も唯一変わらなかった、一途で強固で純粋で高潔な眼がただのタンパク質のかたまりになってゆくのを見守った。最後の謝罪はその場にいなかった親友に向けられたものだったのだろう。僕はその伝言を伝えた。
 先生は僕が心配したように泣き喚いたり取り乱したりしなかった。ただずっと押し黙ったままだった。葬儀のときも、親しい人々の抱擁や慰めの言葉や涙を力なく受け入れて俯いていた。魔法界の一連の騒ぎも、社会との交流を絶ってやり過ごした。あまりにいつもの先生と変わりがなかったので、僕達はしばらく彼の異常に気付かなかった。
 少し話が噛みあわず、不思議には思っていたのだが、決定打は僕をシリウスと呼び始めた事だった。驚き戸惑った僕は先生に何度も話して聞かせた。けれど彼は納得しない。冗談だと思って笑って済ませてしまう。昔の思い出や生活する上での知識には何の欠損もない。ただ、義父が死亡した事実だけが、綺麗に彼の記憶から消えていた。
 僕は恋人にも親友にも秘密で、この懐かしい家を訪れ週末を過ごす。
 何もかもが歪み軋んでいるような時間の中で、先生の幸福と僕の気持ちだけが静かにある。間違っている事は知っている。許されない事も。しかし僕はこの狂った物語を打ち壊して、先生の息の根を止めるような真似は出来ない。世界で、僕が唯一不幸にしてしまった人を、どうして更に酷い目に遭わせられるだろう。
 ただ、微睡む先生をかき抱いて大声で泣きたくなる事が時折ある。
 ああ、僕はもう大人になったのだけれど、気持ちは子供部屋で2人のお休みのキスを緊張して待っていた頃のままなのだ。
 優しく髪を撫でてほしい。
 あの声で「ハリー」と呼んでほしい。
 一度でいい。

 シリウスは私の唇を掌で塞ぐと、じっと瞳を覗き込んできた。美しい緑の眼が2つ、瞬きもせずに私を見ている。…緑?そう、私の好きな色だ。黒髪に映えるシリウスの眼の色。
 そして彼は低く甘い声で私に囁き返した。
「うん、幸せだ」 と。






ごめんなさいごめんなさいすみません。

・・・・・・・・・・・えーと。 ハリル、と説明文に
書ければ良かったんですけど 一応オチの
部分かなと思って伏せました。 注意書き見ずに
クリックして今気持ち悪くなっている
うっかり乙女さんはいらっしゃいませんか?
大丈夫?ゲロは首を絞めれば止まるわよ?(ウソ)

こういう、人を弄ぶようなものは駄目ですね。
思いついても心の中にしまっておかなければ私。
もちろん本編でシリウスは絶対に死なないと
思っているからこそ書いたものですし、
私の書いた他のものともパラレルです。

以下アホみたいなあとがきが続いたのですが、
皆様の反応が私の予想をはるかに越えて
真面目なものだったので恥ずかしくなって
消しました。

そして「サボテンの箱庭」シブ様から頂いた
イメージイラストです。先生がいます。
そっと見に行きましょう。


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