Y.H. 私は、昨年5月に生まれて初めての全身麻酔による手術、大学病院での 入院生活を経験した。その時の見たこと、感じたことを思いつくままに 書いてみた。お読みいただければラッキーである。 手術:扁桃腺摘出← PAO に対処するため病巣摘出。 大学病院:私が勤務している大学の医学部付属病院 (ただ今、新病院を建設中。よって古い。)
明後日からの入院に備えるべく、友人と「エステサロン」で顔を磨き、 その後「焼き鳥屋」でたくさん飲んだ(日本酒とワインをガブガブ)。 飲みすぎて記憶とカバンをなくしてしまった。三日酔いで入院した できの悪い患者である。 私の病室は中央病院の5階の2人部屋であった(西・中央・東と 病棟があり、古いがとにかく広い)。エレベーターが3台あるのだが、 驚いたことに3台の動きが連動していない。普通、どれかひとつボタン を押せば、一番手軽なエレベータが来るシステムになっていると思う。 ところが、ここのはそうではない、3台の状況を見てどれが適当かを 判断しなくてはならないのである。こつを覚えるのに2日間要した。 室内も昭和初期の面影を残している。ナースステーションの外装は 寄木造、部屋のランプは微妙な楕円形。よくいえばレトロ、古いと いってしまえばそれまで。 建物の外装も私の勤務先(法学部)の近くの理学部のものにそっくり な上、ベッド周辺の備品には私の職場の備品と同じラベルが貼ってあり、 なんだか職場で寝起きしているような気がしないでもない。 変な感じである。 病院の食事はまずいとの予想に反して美味しかった。それに自分で 用意しなくても3食ちゃんと出てくるのである。主婦にとっては パラダイスである。毎食毎食が楽しみであった。食事を運ぶワゴン車が ガラガラという大きな音を立てるのであるが、時間がくると、となりの ベッドの方に「Hさんの好きなガラガラが来たよ」と教えていただいた。 手術の前にまず、麻酔科の講師の先生が来られて「学生に麻酔の 実習をさせたいので協力いただけませんか。指導にはかならず講師以上 のものがつきますから」とのお話があった。私も文部教官のはしくれ として「学生」とか「実習」というキーワードにはすごく弱い。 お人好しの気質とあいまって軽く「いいですよ」と応じてしまった。 その上、承諾書に全部学生がしてもOKとサインしてしまったので、 みんなから「大丈夫?」と聞かれて少し後悔もしたが、まぁ大丈夫だろう と思っていたし、事実大丈夫だったのですべてよしというところだろう。 この後、手術前に合計4回(学生、学生、学生担当医師、手術担当医師) の麻酔科の診察を受けたが、すごく感じがよくて日頃あまり知らなかった 麻酔科というものの重要性を認識させられた。後日、エレベーターの中で 先の講師の先生にお会いした時、「手術が無事に終わってよかったですね」 と声をかけていただきすごくうれしかった。 大学病院ならではの教授回診。噂には聞いていたが2、30人の行列 には驚いた。私の主治医の先生はいつもはわりと飄々とした感じの面白い 先生だったのだが、その先生でさえ緊張している。教授も実に威張った ようにみえる。不思議だ。私の学部にも30人以上の教授がいるが、医学部 の教授とは何か違う。同じような講座制の中で講座毎の教授ということ では変わりないのだろうが、ここまで雰囲気が違うのはやはり患者の存在 によるものだろうか。暗黙裡のヒエラルキーの存在をこのご時世に 見せ付けられて驚いた。(この問題を語ると長くなりそうなのでまたの 機会に) 朝1番の手術となったので、早朝から準備がいろいろとあった。薬を 飲んだり、手首の輪に名前を書いたり、手術着に着替えたり……。テレビ で見た外科医のように着たつもりが後ろ前だった。当たり前で私は患者で 手術着の前は開けられなければならなかったのだ。看護婦さんに笑われた。 私も一緒に笑った。あまり緊張はしていないようだ。ストレッチャーに 載せられて中央手術部に向かう。ここで予想もしなかった光景を見た。 それはストレッチャーの大渋滞。朝1番の手術は開始の時間が殆ど同じ なので、手術室の数だけ患者がいる。それぞれの患者に研修医が2、3人、 病棟付の看護婦、家族等々がいて1グループ6、7人、全部で何グループ あったのだろうか。 そのうち手術部の中から「耳鼻科のHさん」とのお呼びがかかり、中に 入ると私の主治医の先生が手術着を着て立っているのが確認できた。先生 の顔を見たらすごく安心して眠くなった(薬のせい)。いよいよ麻酔。 名前を確認されて、なんか口にガスマスクみたいなものを当てられたと 思ったらもう意識がなく、気が付いたら手術は無事終了していた。 回復室のようなところに夕方までいて(大きな無菌マスクをつけた 父母や主人の顔は見ものだった)、その後病室に戻った。いたって順調 に回復したので看護婦さんの扱いもよかった(?)。病室まで帰るとき 車椅子に乗ったのだが、「点滴の支柱を足に挟んでください。行きますよ」 との掛け声で時速9kmはあろうかと思われる(漫画だったら、ふきだしが ドピューンという感じ)ハイパー車椅子で、あっというまに病室に着いた。 そのまま寝たら朝だったと思っていたら、やはり私も人の子。となりの 方に「夜、結構うなされていたよ」と教えていただいた。体は正直である。 この機会に本を読むぞと決めていたので、う〜んと読んだ。ジャンル かまわず手当たり次第。おかげで新潮文庫だけでもパンダートートバッグ をもらえるくらい読んだ。おかげで退院時には目が充血してしまって 真っ赤だった。 大学病院にはかならずいる研修医の先生方、私にも2人の先生がついた。 1人は「掌にブツブツができて肩が非常に痛いんで人ごとじゃあないん ですよ」と言って、大変よくしてくださった。もう1人はもっと若く私が これから望む医療について語ると丁寧に聞いてくれた。がんばれ、 ワカゾウ。 でもね、手術室の前で「ネクタイ忘れた」「教授にしかられる」なんて 会話はやめようね。 予定通り15日で退院できた。迎えの主人の車がなかなか来ないと 思ったら、洗車してきれいな車で迎えにきてくれたのだった。サンキュ。 その後はあちこち万全とはいかないまでも、何とかルーティンを こなせている。 |