T.S. 昨年9月、第7回総会で体験発表の際、「皆さんえらいなぁ」と思って しみじみ聞き入ってしまい、自分の番が来た途端、頭の中が思いもよらず 真っ白になってしまいました。それで、あとからご無理をお願いして 追記させていただくことになりました。 発表の続きとしてお読みいただければ幸いです。 朝日新聞の小さな切り抜き記事を頼りに、初めて順天堂大AS診を 受診したあの日、私は、これまで巡ってきた数多くの病院にならって、 突っ立ったまま医師の質問に応じようとしていました。井上先生は、 まず「お座り下さい」と椅子をすすめて下さり、「いま、一番おつらい ことは何ですか?」と、じぃっと耳を傾けて下さいました。こんなに やさしく医師に応じてもらった覚えが皆無だった私は、この一瞬は、 まさに強烈なカルチャ−ショックを受けたも同様の驚きでした。 私は20代から入退院をを繰り返し、たえず死の恐怖と生への執着に 揺れ動きながら、如何に今を生きるかを模索してきました。永い 闘病生活の中でいつも感じたことは、『不治の病』を患者に告げた場合、 それが行為の終わりではなく、むしろ始まりであることを、 医療スタッフは、はっきりと認識して頂きたいということです。 特に、難病を抱えた者にとっては、医師と患者の心と心、命と命との 対話が必要なんですよね。 現在、私は、短歌に魅せられて、命燃やして心豊かに生きています (短歌に至るまでの経過は、らくちん5号に載せてい頂きました)。 まだ5年生の未熟者ですが、詩型の持つエネルギ−と文学として、 屹立する難しさに戸(途)惑いながらも何とか頑張っています。 西空の雲間に淡き茜あり 明日につなぐ光り愛(かな)しも はばからず吾が苦しさは云うべきか 耐えることのみきたえられきて 生きる証しこれより他になしと決め 短歌(うた)に添いゆく吾が現身(うつしみ)は |