航空基地へのロジスティックス(補給路)としてジェット燃料輸送は欠かせないものです。 終戦後、アメリカ軍厚木飛行場への航空燃料輸送は相模鉄道(相鉄線)が行っていて、 相模大塚駅から専用線が分岐していました。 一方、青梅線拝島駅のヤードから分岐して横田基地へと続く引込線があり、 米軍の燃料輸送を担っています。こちらは廃線でも休止線でもなく今なお現役です。 |
(2006年3月記) |
【厚木航空隊線】 厚木基地といえば、第2次世界大戦の敗戦の年に進駐軍元帥ダグラス・マッカーサーがパイプを咥えて 最初に降りたった場所として有名です。 厚木基地の正式名称は「厚木海軍飛行場」といい、現在米海軍は空母艦載機の本拠地として、 また海上自衛隊は対潜哨戒機や救難ヘリコプターの基地としてそれぞれ共同使用しています。 500万平行メートルという広い土地なのですが、じつは厚木市とは関係なく綾瀬市と大和市に所属しています。 その厚木基地へは相模鉄道線の相模大塚駅から専用引込線があって、1998年(平成10年)まで 航空燃料の輸送が行われていました。元はといえば1941年(昭和16年)に開設された 「相模野海軍航空隊(厚木)飛行場」への軍用線として引かれたものです。 |
昭和20年8月30日、サングラスとコーンパイプ姿のマッカーサー元帥が厚木飛行場に着陸した。 実はその直前まで海軍厚木航空隊の一部が徹底抗戦を主張し抵抗する構えを見せていたという。 修理待ちの戦闘機を含めて多数の機体と爆弾、火気類で着陸を妨害しようとしていたが、 しかし司令官は説得され急ぎ場内整備が行われた。飛行機のプロペラをはずしたり、移動したり、 爆弾で開いた滑走路の穴を埋めたりと二日間の徹夜作業を続けて間に合わせた。こうして日本政府は 全力を注いで進駐軍を受け入れたのである。 (参考図書:「地図から消えた東京遺産」(田中聡)より) |
平成18年3月5日(日)、相模鉄道「相鉄・鉄道フェア」が相模大塚駅構内で行われました。 このときED4重連が「かしわ台駅」をでて「海老名駅」で折り返し、「相模大塚駅」まで運転されたのです。 (この画像は海老名駅に向ってくる場面を望遠撮りしたものです) |
このあと【横田基地】に続く |