<2002年8月> 東京都の八王子市と町田市の境目あたりに「戦車道路」と名づけられた道があります。昭和18年に完成した 相模陸軍造兵廠の専用道路でした。戦車の性能テストや操縦訓練のために作られたものだそうですが、 戦争も終盤になっていて実際はあまり使われなかったようです。 現在は町田市が国から借り受け「尾根緑道」として整備していますがそれは南多摩斎場から東側であり、 西側は工事中ということでは入れない(ことになっています)。どうなっているのだろう、 またその終点はどこなのだろうかと気になり、古い道を思い出しながら痕跡を求めて捜してみました。 (画像をクリックすると拡大できます) |
<2007年1月> 記述の一部に誤りがあり、修正しました。そもそも戦車道路の西の起点ですが、国土地理院の古い地図を見ると 現在の給水塔のあるところで止まっています。そこから先の道路はニュータウン開発のために 後から作られたものでした。 今では「都立小山内裏公園」としてすっかり整備が完了し、その中の案内板にも尾根緑道の歴史と 戦車道路について触れられています。 |
これは1989年(平成元年)のころの空撮画像です。 京王相模原線が橋本まで全線開通する一年前のものです。画面の中央に蛇のようにくねっているのが戦車道路です。 |
そしてこちらが公園内にある戦車道路に関する案内板からコピーした画像です。 南北が逆さになっていてわかりにくいと思いますが、西の端は上の画像と一致します。 |
多摩ニュータウンのあるこのあたり一帯はかつて雑木林の続く丘陵地帯であした。樹木を伐採するなどという 生易しいものではなく、何台もの重機のパワーで根こそぎ剥ぎ取り、そして山を削り、谷を埋め、 形を変えてしまったのです。当時、鑓水あたりの都道から町田街道の間にかけては何もなく、 細々とした農道と思い出したようにあるわらぶき農家だけでした。かすかな記憶をたよりに鑓水の谷戸入口から入ると、 尾根から多摩美大に向かって道路の左手上に見にくいながらももう一本の舗装路がありました。 入れないようになっていますが多摩美大の直前で道は行き止まりになっています。 |
その場所を起点に東側を望むと、多摩南部給水塔の近くまで現役道路の脇から分岐するような形で 戦車道路の延長線がありました。この部分、道路としての通行はできません。 (後日この部分、つまり右の画像と上の画像の部分は戦車道路とは 何の関係もないことが分かりました。) |
道は一旦町田街道に出る道に分断されます(中央右手が町田方面)。ちなみにこの道は場違いなほど広い 並木道を下って町田街道に出ていました。多摩ニュータウンの南大沢付近が開発中のころ、 鑓水側から一本の細い道を通ってこの場所に出ると、ここから突然道が広くなり町田街道の田端に 下って行ったので不思議に思った記憶があります。そのころ戦車道路については全く知りませんでした。 (戦車道路はここから始まり、走行する戦車は下の町田街道から 上がってきたのです。だから太い道だったのです。 →町田街道田端からの上り道) |
上の場所からの戦車道路はほんの少し前まで工事壁で入れなかったはずですが、今は歩行者と 自転車がかろうじて入れます。登るとすぐにゲートがあるのですが開いていました。 (すでに整備工事が完了し、歩行者と自転車が入れる尾根緑道 となっています。ゲートもありません。) |
山中といってもよいくらいのところにありながらけっこう太い道で、くねくねと曲がりながら 尾根を走っています。相模原、丹沢方面の眺めもよく、休憩&見晴らしポイントもありました。 眼下には京王線「多摩境駅」や建設中のマンションが見られます。八王子〜町田間を結ぶいくつかの道路とは すべて立体交差(つまり戦車道路側がすべて上、下はトンネル)になっています。忘れられた道路、 廃道と思っていましたが、案外これから整備しようとしているのかもしれません。 (すでに整備工事が完了し、憩いのエリアとなっています。) |
「夏草や つわものどもが ゆめのあと」(芭蕉)をふと思い出してしまいました。 澄み切った青空に夏草だけがかつての繁栄を思っているようです。ジョギングと散歩を楽しむ人が何人かいました。 そして南多摩斎場手前の昔からの道路をまたぐ部分だけは未舗装でした。 なお余談ですが、心霊ポイントとかで小山内裏トンネルの上あたりには津島神霊があるとのことです。 鍵のかかっていないフェンス扉を開けて入ってみたのですが見つかりませんでした。 (それもそのはず、公園の整備に伴いほかの神社に合祀されたとのことでした。) |
南多摩斎場側はゲートが閉まっていて通れませんでした。脇のスキマが人一人分空いているので 無理やり自転車を通しましたが。 ちなみに斎場から米軍通信所方面に続く道は古い道路が残っているのですが、南大沢に下りる道は ガラッと変わってすでに埋められてしまいました。 |
斎場から東側へはすでに尾根緑道として整備が完了していて、種入まではケヤキ、その先は桜に囲まれた 憩いの道になっています。春には桜祭りが催され、また秋にはコスモスが咲き人を集めるようです。 宅地化の影響で新しい住宅も目立つのですが、いただけないのは心無い粗大ゴミと廃車でした。 (相模陸軍造兵廠、今の米軍相模総合補給廠から戦車道路までは 町田街道の馬場の交差点を横切ってこの尾根まで登ってきたものと思われます。 そういえばこの道も周囲とは不釣合いに太いです。→町田街道馬場からの上り道 ) 全長8kmの戦車道路は東方向へ下小山田町(さくら通り尾根緑道入口バス停)まで続きます。 しかし整備された後半はあまり興味がわきません。 |
鉄道廃線跡と同じく、この道も廃道ではありますが遺跡です。なんとか残すことが望まれます。 せめて記録の上でも! (その後、小山内裏公園内の案内板に尾根緑道の歴史と戦車道路について触れられていて、 立派に残されていると確信しました。) |
2010年2月 この戦車道路ですが、最近多摩ニュータウンの中心部にまで広がる総延長約30kmの道路計画で あったことがわかりました。 (国立公文書館アジア歴史資料センターによる) 資料(戦車類運行試験場)によれば、八王子市由木から多摩市の青木葉、一本松、町田市忠生に至るまでの 広い範囲にわたって用地買収が行なわれていたようです。東西約6km、南北約5kmのエリアを周回する道路と、 南北に連絡し唐木田付近で交差する二本の道路が計画されました。したがって現在の戦車道路は周回道路の一部で あって、残りの大部分は用地買収しただけで工事に至らず終戦ということになりました。 そして現在の戦車道路(尾根緑道)は戦後防衛庁(現防衛省)が再整備して昭和35年ごろから約10年間 使用した時のものです。それ以前は未舗装でした。 「多摩ニュータウンタイムス」に掲載されていた記事より戦車道路の略図を転載いたします。 |
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(参考資料:多摩ニュータウンタイムス 平成22年2月1日版) |
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