この拙いHPの設立動機については「このHPについて」で記した。それに少々だが
付記したい事がある。
色々な「80年代」について記述のあるHPを見ていると、「あの頃の事は恥かしい」
「若気の至り」等々の回顧文を見かける事が多々ある。
そうだろうか。
圭骸想像であるが、あの頃の事はちょっと、、、という方が多いのは、そこに「恋愛」
という、困苦且つ甘い事象と共にメモリーされているからではないか。
「振った、振られた、告白した、された、泥酔した、大泣きした、自殺未遂、、、」
そして、この様な修羅の場には必ずと言って良いほどに、BGMが付いてくる。
それは、PhewであったりYMOであったり、戸川純であったりだ。
さて、もっと恋愛について記したいが、本筋に戻る。
「80年代時代は素晴らしかった」
例えば、こんなイベントもあった。画像、情報提供は、本HPをサポートしてくださるPurita-X様だ。
まさにこれぞエイティーズ、というイベント故、敬意を表し80年代文体で御紹介したい。
そのイベントとは、、、84年於河原町ビブレ21「ビブレ・コンタンポラン」である。
まずは、このチラシ見てちょーだい。
ねっ、スゴイでしょー。そう!京都の高感度人間が集まるとゆー、ビブレで大イベントが開催される
のでーす(パチパチパチ)。
19日はEP-4プレゼンツ。本体ぢゃなくて、チト残念。20日は、江戸(笑)でゆーめーなピテカンファミリー大登場!
巷で噂のミュート・ビートが遂に登場、こりゃフツーぢゃなーい!モイチさん、ありがとー!
contemporain=現代っつーコトで、東にモダ−ンコレクションあれば、西にコンタンポ、てな具合に
このイベントが育って欲しいよネ。あー、終わってるけど待ち遠しいな、その日はみんなでねっ!
ここからフツーに戻す。このイベント自体素晴らしいが、注目したいのが「スタックがピテカンとコンタクト
を取った」ことか。この前後にEP-4がピテカンでギグを打ったり、イタリアにMELON達と遠征している事を思うと
実に意義深い企画だった。
ただ残念だったのは「スネークマン特需」が終了し、ピテカン危機説が流れるなど、この時点で既に
この一派の全体的なトーン・ダウンが始まっていたことだ(MELONの世界進出の為のスタイル模索期と重なる)。
2年、いや1年でも良い。もっと速くに茂一グループと絡んでいたら、EP-4にも違う展開が生まれていただろう
(それが良い事か、否かは別として)。
<上2枚 contemporainチケットとその裏面>
上 84年ペリカンクラブ記事 中西氏のカヲルに対する素っ気無いコメント。本当に、EP-4に対する東都のミュージシャンの
反応はこんな感じだった。
<84年ペリカンクラブ レヴュー 1枚目の下の日程はライブハウス「BIG BANG」。
圭骸は7.26に行きたい。2枚目下、僕の心の故郷「MEDIA SHOP」。
B-LIVES日記は分割してしまい読み難くすいません。アマリリス、Shinobuのレヴュー
が大変興味深いものです。>
<84年ペリカンクラブ 三本足のカラスとは>
残念な事に、このイヴェントは2回で終了。が、2回目が物凄い。
アントン・フィア氏はJB+FOEライブで紙屑投げられていて気の毒だった。
如何か。この様なイヴェントが開催される80年代時代は如何か。圭骸は執念で、若年層文化を追い、
そして出来るだけ「現場」に足を運ぶ。しかし残念ながら、NO-WAVEだ。もっと深く追うと「合法ドラッグ、
殺人」など掘り起こしてしまう。
改めて記すが、80年代(前半)は素晴らしい。そこで自我が形成された我々が、何を恥かしがる必要が
あるのか。そして、80年代は未だに終わっていない。
この項目は全て、Purita-X様より頂戴したもので構成しました。感謝しております。
、、、しかしトップのカヲルのチラシは何を意味するか。「MELONを喰ってやる」意思表示に思うのは、
読みすぎか。