佐藤 薫は何を考えていたかー3
<SOUND COSMODEL ジャケット表>
例によって、薫氏の言葉を謹写させて戴く前に、この「SOUND COSMODEL」について、ご説明したい。
「音の宇宙模型」とサヴ・タイトルがついた、このアルバムは84年、
夜想 Extraとしてぺヨトルよりリリースされた。
国内外のミュージシャンによるオムニバス盤であるが、特異な事に
「60秒」という括りが設けられている。その意図は、下記の薫氏の
記述を参照されたい。
薫氏は、編集人、サイマネティック・ビデオ&フォトとしてクレジットされている。
Sound Cosmodel
「音の宇宙模型」が出来上がるのに、発起から約2
年を費やした。
手前から参加者への要望は「1分間の音響作品/
非作品」だけである。〆切り等も一応あった事は
あったのだが、結局は無意味なことだった。とにか
く、編集者の手前としては、1分間の音響的記録で
ある事が大前提としてあっただけだ。同タイプの
レコード作品にモーガン・フィッシャー編集による
「ミニチュアーズ」がある。
タイトルからも解せるように「音の箱庭」といっ
た趣で、同様に1分間の音響記録が集められていた。
1分という時間そのものには、さしたる意味がない
のは、モーガンにしても同じだろう。杓子定規に1
分間といっても、あらゆるレヴェルにおいて無限の
意味を持っている事は自明の理だ。50の1分間を
50分と見るか、いくつ集めても1分は1分である
のか、そして製作に費やした2年間は、、、?
時間とは連続性か、共有性か、それとも差異性だ
ろうか。文化/個体差を云々する前に、「1分」この
共時性こそを聖と俗の間にすべり込ませてみたい。
さて、「宇宙模型」にしろ「箱庭」にしろ、世界
を「見掛け上」の小宇宙/統一体としてとらえようと
する万人好みのロマンティックな思想が根底にある。
しかし、「現実」は我々の持つイマジネーションや
言語ではまとめることの出来ない、相互的/類比的な
運動体ではないだろうか。一見、樹木の年輪の様だが
よく見ると微細に刻まれたこのレコードの溝、そこか
ら意味を読み取ることは不可能だ。それらはシニフィ
アン(クリステヴァ)としてそこに在る。決して幻の
全体性を志向するものではない。「光」が<分解>
され「色」になるのを見て、「音」も何らかの<分解>された運動ではないかと考えたのはノヴァーリス
だった。分解され、それぞれが鮮やかな、異なる運動
体に変容していく様もまた、我々にとって魅惑的な
思想を生む鏡になっているに違いない。
大きな自己矛盾を抱えることを承知の上で、あえて
「音の宇宙模型」のタイトルを冠することにした。
この作品が、分光器のような役割を果たしてくれれ
ば幸いだ。
佐藤 薫 <謹写 圭骸>
付記になり、恐縮だがインナーの前文は、中沢新一氏が担当して
おられる。
また、EP-4メンバーも参加しており、唸る作品を提供している。
ユン・ツボタジー「One From Ten」
BANANA−「Kenosuna」
好機タツオー「Fluctuation」
最後にこのレコードには、参加アーティストによるポストカードも
封入されており、上記3人の方々の作品も「記憶の中のEP-4」に
掲載させて戴く。ご興味をお持ちの方は、是非御覧戴きたい。