切実な記憶ー0
「引っ越す時には、不要なものは捨てよ」というのが、大鉄則だそうだ。その通りだと思う。圭骸は5回ほど
引っ越した。
鉄則に弱い圭骸は、その則を遵守した。その結果「何故、あんなド貴重なものを、、、」というものを
失った(例 細野inベルギー生写真、PLASTICS USA Live 告知チラシ)。そして「何故、こんなド不要な
ものが、、、」というものが手元に残った(例 初デートで拾った石、MSXプログラミング入門)。
ここに至り、圭骸は「鉄則より経験則を信ぜよ」の思想的支柱を得た。
それでも、EP-4の物だけは残った。インターネットなど考えもつかない80年代の頃だ。
今なら分かる。EP-4を初めとして、日本のニューウェーブ物は如何なる品も捨てない。しかしインドネシアの
歌謡曲を蒐集していた時、韓国のニューウェーブを聴いてた時。そんな80年代時代の、圭骸長距離引越し時も
EP-4の物だけは、どうした事か処分しなかった。
そして、話題は最早「共同制作者」と呼びたい位のPurita-X様に移ります。
賢明な諸姉、諸兄の皆様はお気づきと思うが、Purita様のデータと知識量は筆舌に尽くし難い。特にサイン色紙と
ポスターには引っくり返った方も多かった様だ。当時のメディアショップ、いや、スタック・スタッフさえも、
エラーしていたであろう資料もPurita様は持っておられる。
「如何なる理由で、それらを処分しなかったのか」Purita様の凄みは、ここに集約されると思う。
Urban-Sの頃からとして、もう260月以上経つ。その間「保持」するというのは、大変なパワーが必要だ。
もう一人の「共同制作者」Naoka Togashi様も同じ事が言える。「えー、、、貴女は、、、その
アーバンの写真を、、、」と絶句するしか術は無い。
今でも活躍していたり、何らかの形で音楽業界に留まっているなら保持理由も分かる。しかし、EP-4だ。悲しい事だが
影も形も無い所か、「抹殺」されたようにさえ感じる。
Purita様から、生写真を頂いた。さらりと書いたが、これが微熱が出るほどに貴重なもので、バナナの使用シンセまで
解かる逸品だった。早速スキャンして送り返す旨を伝えたところ、次の一文を頂いた。
たいした写真ではないですが、これまでどこにも公開していない
未公開写真ですので、使えるものがあれば、使って下さい。
圭骸様のHPに出会わなければ、ずっと埋もれたままの写真でした。
これも何かの縁、と思います。
こんな言葉は安易に用いるべきではない、と承知で書くが「Kaoru-calling」、もっと言うならEP-4の最終曲、
「Any W.O.O.W!!」で絞り出された、美しくも切ないフレーズ「切実な記憶」である。
駄文にお付き合いくださり、有難うございました。と、いうわけでPurita様より頂戴した「ペリカンクラブ」の
データを新枠「切実な記憶」としてスタートいたします。