異論覚悟で記しますが、80年代時代、無数にリリースされたレコードの中での最大の収穫は、Phew+坂本龍一の
「終曲/うらはら」であろうと思う(EP-4、YMO除く)。
アーント・サリー時代の「終曲」は申し訳無いが、特に琴線に触れない。おそらくはサーカスのジンタが
モチーフかな、、、位の感想しか圭骸馬鹿頭にしか浮かばない。
ジャーマン・テクノのコニ−・プランクを迎えての次作品にしても、特記すべき事柄は無い(勿論良品ですが)。
Phewの生来の育ちの良さ、素っ気無い様でいて豊かなヴォイス、そんな所を坂龍はキャッチし、そして
その魅力を十全に引き出した、それがPASS版「終曲」だ。
伊武雅刀ではないが「さすが芸大はホンモノ、基礎が違う」。シンプルなコード進行だったアーントの「終曲」。
それがジャーマン・テクノでは無く、テクノ・シャーマンの魔術により極上の一品に仕上がった。
炸裂するテンション・コード、抑えながらも攻撃的な音色(これが難しい)。
「 ♪あなーたはぁ」のサビで、突然フィルターが開いたProhet5がブファァーと襲い掛かる。
陳腐な言葉だが「死への誘惑」、「私を断罪せよ」と思うのは、今も260ヶ月前も同じだ。
随分に良い所を列挙した。しかし、戸川純女史がカヴァーしたり、鬼才・碇ポルシェ氏が「ニューウェーブ
愚連隊」でチョイスしたり、そのインパクトの大きさは絶大だったのだ。
さて、ここで思うのは「なぜ坂本龍一がPASSと絡んだか」ということだ。それは手元の貧弱な資料では
「PASSの後藤氏と知り合いだった」、、、それではつまらない。もっと精神的な物をということで、
以下のものを。月刊Player80年 4/15号である。ナローな方には申し訳なく思いますが、興味深い話なので
是非ご一読ください。
坂本龍一PASSを語る、というのもあまり記憶に無い。察するに、PASSの事を聞きたいメディアは予算とコネが無く、
コネと予算があるメディアは「ワールドツアー総括、並びに今後の展望」に留る、というところか。
それにしても、このハンサム・ガイのハリーに対する敵愾心はどうだろう(3枚目のシーナ&ロケット以降)。
恐ろしい事に、中学生の圭骸は「坂本=革新、細野=保守」という公式が成立してしまう。だが、それは
逆であると数年後に分かるのだ。