EP-4と負け犬とニューウェーブと一枚の写真
まずは、この一枚のキャプ写をご覧ください。
「友人は必要ではないが、大事にしなさい」と圭骸パパンは言った。
「負け犬ー」の著者、酒井さんは、姉の数少ない友人だ。大事だ。
けれど、やはり、どうしても、、、「負け犬本」には触れずにはおられない。
その理由として
・このHPはノスタルジアではなく、現代と80年代の比較、考察が主目的であるため
・「イマ」とは何か考え続けるHPであるため
・そして、女性から頂くメールに何件か「いわゆる負け犬ですか(笑)」という記述が目立ってきているため
以上です。
検索にひっかるのも厄介なので、酒井=オリーブ酒井=オリ酒女史とする。
本自体は、彼女の持論が展開しているのみで特記事項は無い。そういう考えもあるだろうし、そういう本も
出版されるであろう。
ですが、幾つかのミステイクと誤算がある。僭越ながら指摘したい。
まずは
A)売れすぎた
これが、500部程度なら問題は無かった。しかし30数万部。坂龍の「Riot In Lagos」まで入った
超絶名盤ベストがタタヤンに負けるこのご時世に、、、
B) A)により、「負け犬」という大変便利で無神経なキャッチーなフレーズを
男社会のマスコミに与えてしまった
C)不妊で悩む女性に対する差別
勿論、オリ酒女史はそんな人ではない。けれどもA)の結果として、そうなってしまった。
D)あとがきの失敗
ー自分のことを「負け犬」と称していたら、心ある勝ち犬の方が
「自分のことを負け犬なんて言わない方がいいわ。あなたは全然負けてなんていないんだから」
と言われたことがありましたー
とある。この後にも文が続くので、ここだけ抽出するのはアン・フェアだが、この箇所により
今までコツコツと持論を積み重ねてきた作業が、一瞬にして崩れてしまった。歯科業界用語でいうところの
「遁路」を作ったのだ。
「負け犬と呼ばれても、抗うことはない。むしろ積極的に受け入れて楽になろう」
ということを、本書の主題とするならば、このあとがきには大きな矛盾があろう。「提唱者」が一筋の退路を
設けては台無し、と思う。人様の懐から大事なオゼゼを頂くには、本当に最後の最後まで気を抜いては
いけない。
さて、冒頭のキャプ画に戻ります。
これはCBS/SONY YMO「WinterLive81」のOPムービーだ。初見の方も多いだろうか。
会場には「来るべきもの」が流れ、「前奏」に移る。そこでスクリーンにこの工業地帯のムービーが
流れた。もう会場はシビレまくって声も無い(唯一、大阪初日だけ大歓声だった。興味深い)。
初見の皆様、この写真をどう思いましたか。胸が苦しく、切なく、懐かしくありませんか。
「未だ見ぬ近過去」「懐かしい近未来」ではありませんか。
何故、我々はこの写真で胸が苦しくなるのでしょうか。
そして、このムービーのアイディアを出したYMOは、何故、このムービーで我々が切なくなるのを
知っていたのでしょうか。
このシンクロっぷり、それは「80年代時代」としか言い様がないのです。
若い人に見せました。反応はありませんでした。
圭骸は頑張って、いろいろな「旬」な文化に触れています。O-レンジも行きます。ウタダ嬢もクラキ嬢も中島嬢も
数回行きました。サンボ、くるり、ハロー、ジャニ、Sonar、、、行きました。そこに「何か」があるなら、
労は惜しみません。瞬間風速なら「あっ、抜かれた」と思うこともあります。けれどもそこからが「何も」無いのです。
自分がティーン・エイジャーではない、それをさっぴいても何もありません。
もし、「それ」を見つけたら、このHPの役割は終わり「倉庫」になります。
圭骸は「勝ち負け」で表すという風潮は嫌いだ。しかし禁を破るなら「80年代時代という大変な、もう二度と体験
出来ない時代に居なかった人達が負けである」、そう考えているのです。
耳を澄ませば、「CUE」のイントロが聴こえ、「ブロウクンバイセコオオオ」が流れています。