ぼくは事務所に行く。
姉がインタビューを受けているようだ。見知らぬ編集者。
スタッフ、マイコーがいる。
「なんの取材なの?」
「えーっと、草食系男子……」
分煙化進まぬ当事務所。最も原始的な方法、「ベランダで喫煙」をする。
竹下通りが見える。ほんの300か月ほど前、
僕はeXの紙シャツを、姉はyellow mazik orchestraと描かれたBricksのTシャツを着て、
あの通りを確かに歩いていた。
「おーい」
姉の声がする。インタビューが終わったようだ。
「これ、私の弟なんです。大きいでしょう」
「えー!香山さん華奢なのに」
お約束のマッスル・ポーズ。ゆるい笑いが事務所を包み込む。
「こいつはね」
と、姉。
「オファーもないのに原稿書くんですよ、そしてそれを自分一人で読んで喜んでるんです」
「姉ちゃんはさ」
と、ぼく。
「出たとこ勝負の早さし将棋みたいなもんですよ。なんで、筆が荒れて荒れて」
編集者の顔が緊張でゆがむ。
「80年代村ひきこもり弟」
「70年代フォーク村出身姉」
罵詈雑言が並ぶ。
いよいよ編集者は慌てる。
ところが
「ちっちきちっちき……、なーんだ?」
「ライディーン」
「いや、シチズンオブサイエンス」
なんて言って、2人はケタケタ笑う。
数日あとに
「あのきょうだい何なんだ?」
と編集者が言ってた、と別の編集者から聞く。
我々は何をやっているのか。
それは「プロレス」をやっているのだ。
毒づいて、殴り合い、最後は手を挙げあい、大団円。
そんな基本的ブックに沿って、我々は会話する。
三沢は落ちた瞬間、何を考えたか。
ほぼ即死であろうが「動けない」とレフェリーに言ったそうだ。
目を閉じると、週刊プロレスの写真、あらぬ方向を見ている(頸椎が離脱しているのだから当然だが)
恨みがましい三沢の顔が思い浮かぶ。
―そして、カヲルの誕生日の数時間後、
昨年12月27日に好機タツオさんが亡くなられたという悲しい知らせを、ぼくは受け取った。