僕たち、私たちは、どうやら幸せのようだ。
横浜で、HASを見た。
1.以心電信
MC ユキヒロ
2.スポーツマン
3.Fly Me To The River
4.Mars
5.Flakes
6.Everybody had a hard year
7.Riot in Lagos
8.Ongaku
9.Rescue
MC坂本&細野
10.Turn Turn
11.Supreme Secret
12.Wonderful to me
13.War & Peace
14.Rydeen79/07
アンコール1
1.Chronograph
2.Ekot
アンコール2
3.Cue
「ミカバン」が活動すると、3人が集まる。あの時のユキヒロの気配の消し方は、学ぶべき点が多い。
それはさておき、横浜は静かなライブだった。ひとりだけ、うるさい人がいると思ったら、それは姉だった。
しかし、M9「RESCUE」だけ、突然に会場がドエライ緊張に包まれた。
新曲なのは分かる。けれど、この「B-2unit」のような緊迫感は、新しいような、懐かしいような不思議な感覚だった。
もっと不思議だったのは、ホソノが左手に「赤腕章」を巻いていたことだった。
千歳―伊丹は日に2本 約100分で着く 国の花はデイジー
7月7日、「YMO」でも「HASYMO」でもなく「Yellow Magic Orchestra」が京都に集合。我々姉弟も現地集合。
友人各位に会いたかったが、京都には正味12時間も居られなかった。
マイケル・ナイマンの微妙なピアノが終わった(長かった)。「火の見やぐら」のような3つのブースがステージに。会場は熱狂。
それもそのはずで、このライブの前には様々な妙な噂が流れていた。「コズミック・サーフィンと東風を練習しているらしい」「サカモトが当時の
機材を探しているようだ」……、ところがフタを開けてみると
1.以心電信
2.RESCUE
3.War & Peace
4.Rydeen79/07
以上だった。あまりにも素っ気ない。
我々姉弟は「ラーメン博物館」というところで、チャーハン等を食べながら悩んだ(ビールも飲んだ)。
なぜ、この4曲だったのか。「地球に胸キュン」というくらいなので胸キュンやっても良かったのでは。東風はどこいった。もしや、あんまり
このステージに乗り気ではなかったのか。
その夜、ホテルで僕は考えていた。
そうだった、YMOは「スカす」バンドだったのだ。
「Castaria」で始めてみたり、「写楽祭」があったり、「Liot in Lagos」で始めてみたり、「LOOM」や「Propaganda」
で始めてみたり、再生シングルがプレスリーのカバー・ソングだったり。
そう考えると、今回のセットリストも頷けないこともない。
ところが、家に帰って、この夜のビデオを見ると、3人がお揃いのコスチュームを着ていた。
ユキヒロが、かつて言っていたことを思い出した。
「ユニフォームを着ることは、ぼくたちの最大のサービスなんです」
それから約3週後、我々姉弟は日比谷野音にいた。
札幌を出るときは、17℃。東京羽田は34℃だった。
「細野晴臣と地球の仲間たち」、地球の仲間……Friend Of Earth…F.O.E…
そんな妄想をあざ笑うかのように、ステージでは若手の演奏が延々と続いていた。
暑い。後頭部が焼かれるようだ。明日は選挙のこともあり、上空にはUFOではなくヘリが飛んでいる。
休憩後、細野登場。会場が引き締まる。
MCは、
「暑いから早く帰りたい」
「テクノはやめた、クールなカントリーだ」
「9時までに撤収しなきゃいけないんだ」
「おなかが出ちゃったから、ジャケット脱げない」
「暑いから2曲止めよう」
そんな感じのユルイものだった。会場の笑いもユルイ。
すべてが終わり、帰ろうとした時、ヴァン・ダイク・パークスが出てきて
「Yellow Magic Orchestra!」
と叫んだ。
細野、ユキヒロ、サカモトが登場。
総勢50人以上の演者。その中から、カーテンコールで登場したのは、やはり「Yellow Magic Orchestra」だった。
日常に追われ、病に悩み、貧に苦しみ、老いに迷う。
ニューウェーブは、元気も勇気も感謝も与えてはくれない。
けれど、いつまでも80年代時代は僕たちに問いかけてくる。
それは本当に、贅沢で幸せなことだと思う。