| 【よろパラ 〜文学歴史の10〜 年表】 |
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| 【天文20(1551)年】 |
| 月日 | 天皇 | 政体 | 事項 |
| 正月15日 | 第105代 後奈良天皇 |
征夷大将軍 足利義輝 管領 六角定頼 政所執事 伊勢貞孝 関東管領 上杉憲政 関白 二条晴良 |
長尾景虎、藪神城を攻撃 |
越後の長尾景虎は、 上杉政景方の藪神城を攻撃し、 謀反の動きを牽制する。 |
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| 3月14日 | 三好長慶暗殺未遂事件勃発 | ||
管領・細川晴元の家臣・三好長慶が、 伊勢貞孝邸で開催された宴の席において、 公家の進士賢光によって襲撃される。 |
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| 5月26日 | 武田軍、戸石城を陥落させる | ||
武田晴信の家臣・真田幸隆、 村上義清の戸石城を陥落させる。 ≫『真田幸隆』 |
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| 7月 | 松永久秀、管領軍を撃破 | ||
三好長慶の家臣・松永久秀、 管領・細川晴元の武将・香西元盛軍を、 相国寺にて撃破する。 ≫『松永久秀』 |
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| 8月1日 | 上杉政景、長尾景虎に恭順 | ||
長尾景虎が、 坂戸城攻撃の構えを見せたことで、 上杉政景は降伏を申し入れる。 |
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| 8月27日 | 陶隆房、謀反 | ||
大内義隆の家臣・陶隆房は、 居城の富田若山城から山口を目指し出陣。 ≫『陶隆房(晴賢)』 ≫『大内義隆』 |
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| 9月1日 | 大内義隆、自刃 | ||
大内義隆は大寧寺にて自刃。 |
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| 9月 | 大友義鎮、ザビエルを招待 | ||
豊後国の大友義鎮は、 フランシスコ・ザビエルを豊後国府内へ招待し、 ポルトガル国王への親書や財宝を贈る。 |
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《天文20(1551)年のポイント》 この年、日時は未詳であるが、 斎藤道三が土岐頼芸を追放し美濃国を手に入れている。 また西国の雄であった大内義隆も家臣の陶隆房(後の晴賢)により、 自刃に追い込まれてしまう。 まさに「下剋上」が極まった年である。 一方、京都では三好長慶が権力を握っていた。 この天文20年頃を境にして室町幕府が、 連綿として続けて来た勘合貿易が廃絶することとなる。 |
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