| 【よろパラ 〜文学歴史の10〜 年表】 |
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| 【長禄2(1458)年】 |
| 月日 | 天皇 | 政体 | 事項 |
| 8月 | 第102代 後花園天皇 |
征夷大将軍 足利義政 管領 細川勝元 侍所頭人 京極持清 政所執事 二階堂忠行 関東管領 上杉房顕 関白 二条持通 |
八尺瓊曲玉を回収する |
赤松政則の家臣である 石見太郎左衛門雅助が大和国吉野に潜入し、 旧南朝勢力と死闘を演じた末に、 「八尺瓊曲玉」を京へ持ち帰り、 御所へ返納される。 この雅助の活躍を持って 赤松家は再興される。 |
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| 12月5日 | 征夷大将軍 足利義政 管領 細川勝元 侍所頭人 京極持清 政所執事 二階堂忠行 関東管領 上杉房顕 関白 一条教房 |
一条教房、関白就任 | |
一条兼良の子。 |
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《長禄2(1458)年のポイント》 嘉吉3(1443)年の『禁闕の変』によって、 旧南朝勢力に持ち去られた八尺瓊曲玉を、 石見太郎左衛門雅助が無事に奪還したことで、 嘉吉元(1441)年の『嘉吉の乱』によって没落していた赤松氏は、 加賀半国の守護に任命され再興する。 守護大名として復興した赤松氏の次なる悲願は、 『嘉吉の乱』後の戦後処理で山名持豊の手に渡った 播磨国への復帰であった。 赤松氏復興の裏には細川勝元の支援があったとも言われ、 このために持豊と勝元との間に火種がくすぶり始めることとなり、 両者の対立は、やがて『応仁文明の乱』へと繋がって行く。 |
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