【よろパラ 〜文学歴史の10〜 年表】
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【嘉元3(1305)年】
月日  天皇 政体 事項
4月12日 第94代
後二条天皇
征夷大将軍
久明親王
執権
北条師時
連署
北条時村
政所執事
二階堂行貞
問注所執事
三善時連

関白
九条師教
九条師教、関白就任

 父は九条忠教。
 前任者の二条兼基はこの日退任。


4月23日 『北条宗方の乱』勃発

 幕府の侍所別当で、
 得宗家内では御内人の内管領の地位にあった
 北条宗方が、連署の北条時村を、
 暗殺した事件。

 5月4日に、宗方は、
 得宗である北条貞時の命令を受けた
 北条宗宣によって
 殺害される。
 ≫『得宗』
 ≫『御内人』
 ≫『連署』


7月22日 征夷大将軍
久明親王
執権
北条師時
連署
北条時村
政所執事
二階堂行貞
問注所執事
三善時連

関白
九条師教
北条宗宣、連署就任

 父は北条宣時。
 大仏氏(北条氏大仏流)。
 ≫『大仏氏』


9月15日 亀山法皇、崩御

 亀山法皇は、
 「大覚寺統」の重鎮であった。
 ≫『大覚寺統』
 ≫『両統迭立』


 

 《嘉元3(1305)年のポイント》

 この年『北条宗方の乱』が勃発する。
 事件は侍所別当兼内管領であった北条宗方が、
 連署の北条時村を襲撃し、幕府の実権を握ろうとしたものであった。

 これは幕府の権力を握る事変であったと同時に、
 「得宗専制」体制に大きなほころびが生じていることを
 示すものでもあった。

 また「両統迭立」によって、
 皇位継承を行っていた朝廷では大覚寺統の亀山法皇が崩御。

 この亀山法皇が後二条天皇(大覚寺統・後宇多上皇皇子)の皇太子として、
 尊治親王(後の後醍醐天皇・後宇多上皇皇子))を推挙していたのを撤回し、
 自らの皇子である恒明親王(嘉元元年誕生)を推挙したために、
 大覚寺統では法皇崩御後、混乱が発生する。

 公武共に内部に抱えた大きなきしみが
 顕著化した一年であった。


 

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