【よろパラ 〜文学歴史の10〜 年表】
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【承元3(1209)年】
月日  天皇 政体 事項
5月12日 第83代
土御門天皇
征夷大将軍
源実朝
執権
北条義時
政所別当
中原広元
侍所別当
和田義盛
問注所執事
三善康信

摂政
近衛家実

和田義盛、国司となることを要望

 上総国の国司となることを、
 将軍の実朝に対して要望したが、
 北条政子によって却下される。
 ≫『和田義盛』
 ≫『北条政子』


5月26日 源実朝、右近衛中将に就任

 この年の4月には従三位に進み、
 幕府将軍として着々と昇進を、
 重ねていた。


 

 《承元3(1209)年のポイント》

 和田義盛が国司への就任を願い出たのは、
 鎌倉幕府にとって重要な意味が含まれていた。

 幕府草創以来、国司に就任出来るのは源氏に限定され、
 御家人は、国司に就かないとするのが慣例となっていたのである。

 しかし北条時政が、将軍外戚を理由にして遠江守に就任、
 さらに時政の子の義時が相模守に就任するに至り、
 義盛は北条氏の専横に対して立ち向かう姿勢を
 見せたのであった。

 この義盛の決意は、北条政子によって阻止される。

 だが義盛の動きは、北条氏に動揺を与え、
 この年、義時は、自身の御内人を、
 御家人にしようと画策する。

 だがこの義時の策謀も、政子によって制されてしまう。

 幕府内で、北条氏と他の御家人との間で、
 確執が表面化して来た年であった。


 

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