| 【よろパラ 〜文学歴史の10〜 年表】 |
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| 【弘仁4(813)年】 |
| 月日 | 天皇 | 政体 | 事項 |
| 2月3日 | 第52代 嵯峨天皇 |
右大臣 藤原園人 中納言 藤原葛野麻呂 巨勢野足 藤原縄主 |
僧尼の度縁受戒を改訂 |
僧尼の身元を明確にするため、 度縁を持って証明書とすることに、 改訂された。 |
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| 2月19日 | 新羅人、五島列島を襲撃 | ||
新羅人110人が、5艘の船団で、 肥前国小近島を襲撃し、島民と攻防戦になる。 島民は、新羅人101人を捕虜とする。 3月18日、捕虜の内、 帰化を希望する者の帰化を許し、 帰国を希望する者の帰国を許可すると言う 寛大な処分が下される。 |
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| 4月22日 | 天皇、淳和院に行幸 | ||
淳和院は、皇太弟の大伴親王の邸宅。 五位以上の官人に衣服、 六位以下の諸王と藤原氏に綿が、 それぞれ下賜された。 |
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| 5月30日 | 文屋綿麻呂、征夷将軍に任命される | ||
従三位。 父は三諸大原。 |
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| 6月1日 | 僕隷の遺棄を禁止する | ||
当時、僕隷を酷使し、 僕隷が病気になると、そのまま遺棄し、 病死や餓死させる例が相次いだ。 そこで、僕隷を遺棄した五位以上の官人に、 「杖打ち百」の刑罰を与えることとした。 |
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| 9月27日 | 国防の詔勅 | ||
辺境地域で頻発する侵犯に備えて、 兵糧に関しての詔勅が出される。 |
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| 10月25日 | 官人を人員整理 | ||
大同4(809)年に、 少納言に1名、中監物に2名、少監物に2名を、 それぞれ増員したが、現在では余剰であるとして、 それらを削減した。 |
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| 11月21日 | 夷俘の教化政策を強化する | ||
藤原藤成、高階真仲らに、 征俘の教化、慰撫が任される。 11月24日には、諸国の介以上の官人ひとりを、 夷俘専当として配置することが、 決められる。 |
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《弘仁4(813)年のポイント》 中央での政情は安定し、 政治改革とも言える改訂が行われている。 僧尼の身元確認が、 奈良時代に簡略化されたことによって、 それ以来、混乱が生じいたことに対処するために、 この年、改訂が行われた。 また増員した官人を、削減し、 適正化を図っている。 一方、地方を巡る情勢は、東日本方面における蝦夷の問題、 西日本方面での新羅による侵略行為等、 大きな問題を抱えていた。 |
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