【よろパラ 〜文学歴史の10〜 年表】
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【皇極天皇2(643)年】
月日  天皇 政体 事項
正月元旦 第35代
皇極天皇
大臣
蘇我蝦夷
天空に五色の雲が広がる

 東北東(寅)の方角だけが雲は無かったという。
 これ以降、春先まで天変地異が続く。


4月21日 翹岐弟王子、来朝

 翹岐弟王子は百済王王子。
 6月には高麗使が来朝するなど、
 舒明天皇後の外交の模索が行われていた。


4月28日 飛鳥板蓋宮へ遷る

 新宮完成までの間、小墾田宮を仮宮として利用。
 ≫『飛鳥板蓋宮』


9月6日 舒明天皇を改葬する

 滑谷岡から押坂陵へ改葬する。

9月11日 吉備嶋皇祖母命、薨去

 吉備嶋皇祖母命は皇極天皇生母。
 17日に土師射手により葬儀が執行され、
 19日には壇弓岡に埋葬。
 ≫『土師射手』


10月6日 蘇我入鹿、紫冠を授与される

 蘇我入鹿は蘇我蝦夷の子。
 ≫『蘇我入鹿』
 ≫『蘇我蝦夷』
 紫冠は蘇我蝦夷から私的に授与されたもので、
 これにより「大臣」に相当する扱いとなったという。
 ≫『大臣』
 また12日になると入鹿は古人大兄皇子の
 即位を画策するようになる。
 ≫『古人大兄皇子』


11月1日 山背大兄王襲撃事件

 山背大兄王は厩戸皇子の子。
 ≫『山背大兄王』
 逃亡するも斑鳩寺にて自害して果てる。


 

 《皇極天皇2(643)年のポイント》

 舒明天皇崩御後の政権主導権を巡り、
 蘇我氏内部では蘇我蝦夷から子の入鹿へと、
 権力の確実な移譲へ向けての動きが見られるようになる。

 と同時に蘇我入鹿は次期天皇に古人大兄皇子の擁立を固め、
 その実現に大きな障害となり、以前から皇位に野心を持つ
 山背大兄王を独断で実力排除したのである。

 蘇我入鹿が大臣となるべく布石を打った年であった。


 

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