牧師室より

まだ若かりしころ、学びや仕事の場面において、先輩方に求めた理想は、平素は寡黙で、適時に正鵠を射たことをバシッと言い、有言実行する姿だった。しかし、時を経るにつれ、解決されていない疑問や根本的でシンプルな問いを、警戒心なく開陳しあい、共有できる同僚や仲間の存在に有難みを感じるようになった。  いま、平和について思い巡らす時、自分自身について、賢そうに黙っているより、愚かなことでも口に出すほうが良いのだと、胸の内にくすぶる危機感が主張しているのを感じる。  私が、懲りずに口に出していることの一つ。それは、自衛隊を解体して、海外派遣もできる災害救助隊を持つ国になりたい、ということだ。この夏の酷暑といい、世界各地で起きている異常気象による災害の被害甚大さといい、もう人類は互いに戦争したり紛争したりしている場合ではないところまできていると思う。互いに威嚇し合い、攻撃しあう武器を蓄えることや、「有事」に備えてそれを使う訓練を積むことよりも、災害で失われる人命を最小限にすべく、救助のための技量を磨くことのほうに意味と必要があるのではないか。軍隊の殺傷能力を高めるための訓練と救助隊の人命救出のための訓練とでは、目指す方向が全く異なる。自衛隊に災害対応も任せるというのは、大きな矛盾を含んでいる。災害救助隊で平和外交をする国。賛同者がいないものだろうか。 (中沢麻貴)