牧師室より

イスラエルとレバノンは国連決議を受け入れ、一応戦闘が止んだ。この間、1,300人ほどの人が亡くなった。死者の無念さ、そして家族の大きな悲しみを思う。

九州の閉山炭鉱の「福吉」で、地域や社会の問題と真摯に関わりながら伝道してきた犬養光博牧師が40周年記念説教を送ってきた。その中で、出エジプトしたイスラエル人がカナンに侵入、定着していった状況を語っていた。これは、小井沼國光牧師の卒業論文のテーマであった。励まされるので、紹介したい。

カナン侵入は「軍事征服説」と「平和浸透説」がある。聖書は明らかに「軍事征服説」である。カナン先住民をことごとく打ち破って、イスラエル国家を樹立した。これは「乳と蜜の流れる」神の約束した土地として占領したと書かれている。

しかし、聖書を注意深く読んで見ると、征服後も他民族が多くいたことが分かる。また、事実として軍事征服したとは考えられない。

米国のメンデンホールという旧約学者がカナン侵入に関し「引き上げ説」という仮説を提案している。

イスラエル人は奴隷から解放されたとはいえ、困窮し切った難民の群れである。強力な武力など持ちようがない。一方のカナン先住民は高度な文明を持ち、大きな都市国家を形成していた。しかし、その都市国家は貧富と身分の格差による矛盾と軋轢をはらんでいた。当然のことのように、人間扱いされない奴隷たちがいた。その奴隷たちは軽蔑をこめて「アピル」と呼ばれた。彼らは都市国家から「引き揚げ」て、イスラエルの難民と合流した。犬養牧師は、この時の「アピル」のイスラエル人との出会いを下記のように語っている。「40年間、荒野をさまよって、放浪の民として、やっとの思いでカナンにやって来た民が、何か生き生きとした、何か喜んでいる、そういう姿に接したのです。つまり唯一の神であるヤハウエに導かれるという経験を、荒野で繰り返し体験して来た民、マナによって養われ、ウズラによって養われ、つまり自分達の力や自分達の持ち物で生き延びてきたのではなくて、神様が私たちを守って下さった、神様が導いて下さるということを、これでもかこれでもかと徹底的に経験させられた人々の姿に接したのです。」

両者は同じ差別と抑圧の苦悩を体験した者同士、歴史理解を共有し、民族を越えた契約共同体を形成した。その共同体の核は圧倒的な恩寵で導かれる神への篤い信仰で、高い倫理性を保持していた。

カナンの高い文化文明が内包する矛盾の裂け目から、ヤハウエ信仰がもたらす、生き生きした喜びが民衆の心を捉えた。諸都市を制圧し、奴隷や下層階層を解放して、重税も廃止した。そこで、神信仰に基づく「宗教連合」を確認し合った。

これは仮説であるが、何も持たない最底辺の民衆の信仰と生き方がカナンに定着させたという説は現在のイスラエルの軍事力を奢る政策とはかけ離れたものである。今の時代にあってほしい社会変革ではないか。