牧師室より

東ティモールは大変な混乱状態にある。堀江節郎神父は、その東ティモールで神学生の教育に携わっておられる。堀江神父のことを案じていたが、東ティモールで支援活動をしているシスター中村のメールが転送されてきたので、堀江神父に関することを、紹介したい。

「この他、時々会っているのが、神学院の堀江神父です。 彼の状況は、不安があるとは言え、町の中心部からかなり離れた海沿いの修道院で高々十数名の人々と共同生活をする私とは比べ物にならないくらい厳しいと思います。 というのは、神学院は広大な敷地と大きな建物を持っているのでたくさんの人(千名とか聞いていますが)がもうずっと前から避難生活を送っており、神父さんの居室も、昨日訪問した折は、数人が床に寝ている、という状況でした。 雑然とした、所によってはトイレの臭気の漂う場所での生活の苦労が忍べました。

神父さんはそれでもお元気で、彼特有のスタイルで人々と共に日々を過ごしておられますので、関係者の方々はご安心ください。 『食料はどうですか』と伺ったら、『一昨日神学生の食料が尽きましたが、今日、 教区からお金をもらうことができたので、市内のどこかから食料を買ってくることにします』とのこと。ご本人は『食べていますからご安心ください』とおっしゃっています。門番をしている数人の神学生のためにビスケットの差し入れをして帰ってきました。」

堀江神父とは、小井沼宣教師夫妻を通して交わりを与えられた。私たちの教会でも、説教をしてくださった。私たちがブラジルに行った時、アマゾン河中流のマナウスで働いておられ、貧しく、病む者と共にある司牧(牧会)を感銘をもって体験させていただいた。また、キリスト教基礎共同体の素晴らしいミサにも与った。真樹子師は堀江神父を「歩く聖フランシスコ」と評していたが、主イエスが示されたミッションをそのまま生きておられるような方である。堀江神父の無事を知り少し安心した。混乱と窮乏の中、身を削って司牧しておられる姿が目に浮かぶ。私はもう一度、私たちの教会で説教をしていただきたいと願っている。