牧師室より

 イースター、おめでとうございます。十字架の死の中から復活された主イエスに出会った弟子たちは「イエスはよみがえり、私たちのただ中に生きておられる」と大きな喜びをもって証し、キリスト教信仰は始まりました。今日は、その主イエスの復活に感謝し、神を賛美するイースター礼拝です。

 死人の復活などあり得ないことですが、聖書はこの事実を力強く証言し、ここにキリスト教信仰の根拠と確かさがあると語っています。私は主イエスの復活に時間を超えた永遠(神)が啓示されていると信じています。時間の中だけにいて、どれほどの希望が持てるでしょうか。これを突き抜けた永遠を思う時、「今」を生きる意味を見出すことができます。主イエスの復活は無意味から有意義へ、死から命への道筋が開かれていることの喜びを伝えています。

二千年に渡るキリスト教会の歴史は挫折の連続です。殊に、私たち日本基督教団の戦時中の歩みは無残でした。主イエスを復活させた全能の神への信仰は、天皇を現人神とする「皇国史観」の下に位置づけられていました。

しかし、その挫折と無残が赦され、よみがえる希望を主エスの復活は約束しています。もちろん、今の私たちの信仰が間違いないという訳では決してありません。将来の歴史から批判されることは当然です。間違っていても再生できる道を、主イエスの復活は常にお示しくださることを信じるのが復活信仰です。

今日のイースター礼拝で、二人の方が洗礼を受けられます。また、二人の方が転入会されます。同じ信仰に立って、共に教会生活ができることを何より嬉しく思います。

私たちの教会は新興住宅地に建てられた教会ですから、転入会者が多い教会です。その使命を果たすように、開拓伝道が始められたと思います。転入会者の中には、かなり長い間、教会生活から離れていた方々がおられます。現教会員の4分の1強ほどでしょうか。その方々は「私はクリスチャンである」という思いを心の片隅に持っておられ、私たちの教会で復帰する幸いを得ました。私たちは赦されて、いくらでも立ち直ることができるのです。主イエスの十字架の「赦し」と復活の神の命に与る「新生」は常に約束されているのですから。