◇牧師室より◇
映画「ヒトラー 最期の12日間」の原作本「私はヒトラーの秘書だった」を読んでみたいと思った。
どこにでもいるような普通の若い女性がヒトラーの秘書になった。彼女は1942年から1945年のヒトラーの自殺まで、お気に入りの秘書として第三帝国の中枢部で働いた。ヒトラーの素顔や側近の者たちとの交流を細やかな視点で描いている。ヒトラーは気のいい叔父さんで、楽しい会話を交わしたらしい。しかし、暗殺未遂事件や、ソビエト軍に包囲された時のヒトラーの苛立ちと不安と恐怖は隠しようもなく表れたことを率直に記している。
まだ平穏な会食の折など、自由な会話がなされた。その中で教会に対するヒトラーの考えが述べられているところが興味深かったので紹介したい。「どのような源から人類が誕生したかについて、科学はいまだ解明できてない。われわれは爬虫類から哺乳類へと、おそらくは猿を経て人間へと進化したある哺乳類の、高度に発達した最終段階にいる。われわれは創生の一環であり、自然の子供である。だからすべての生き物と同じ法則がわれわれにもあてはまる。そして自然は最初から戦いの法則に支配されているのだ。生きる力のないもの、弱いものはすべて淘汰されてゆく。弱いもの、生命力がないものや下等な存在の命を人工的につなぎとめるという目的を持つようになったのは人間が最初で、そもそも教会が原因なのだ。」自然淘汰の戦いの法則を信じたヒトラーはその通りを暴走し、人々を恐怖と悲劇のどん底に陥れた。しかし、ヒトラーと同じ考えに引きずられていないと公言できる人はいるだろうか。ヒトラーは遠い昔の狂人ではなく、口には出さないけれども、私たちの心の中に巣食う現実であり、世界は彼が信奉した法則で動いているのではないか。
主イエスは小さく弱い者を最優先させ「共に生きよ」と神の是認の下に置くために十字架の死に向かわれた。キリスト教は、このイエスを「私たちの主」と信じる信仰であり、今週、十字架の死への足跡を辿る。