◇牧師室より◇
戦前の2月11日は「紀元節」と言われていた。神武天皇が日本を平定し天皇に即位した神話に基づいている。戦後はもちろん廃止されたが、1967年に「建国記念の日」として復活した。日本基督教団は、これに反対して「信教の自由を守る日」と定め、諸集会を続けてきた。
神奈川県では、22の団体が共催して「『建国記念の日』に反対する2・11神奈川県民の集い」を持っている。私は毎年参加しているが、22の団体の共催にもかかわらず、参加者は200名以下で、教団関係の参加者も10数名くらいであろうか。
横浜地区は、主体的に関わる教会的な集会を持ちたいと「思想・信教の自由を守る日・横浜地区集会」を独自に開いた。上大岡教会で農村伝道神学校講師のT氏が「思想・信教の自由の歴史を考える」と題して「靖国問題」を中心に問題提起をされた。その後、分団に分かれて自由討論をした。討論の中で「信教の自由」は私たち日本人にはなかなか分かり難い概念ではないかという議論が多かった。
戦争中、教会は「天皇とキリストはどちらが偉いか」という問で苦悩した。この馬鹿げた問で、現人神の天皇への忠誠を強要された。ホーリネス教会の牧師、信徒たちが集中的に連行、尋問され、獄死された方もおられる。朝鮮では神社参拝を拒否した多くのクリスチャンが殉教している。
「信教の自由」は信じる自由と、それを表す自由の保障である。このことは同時に、信じない自由と、信じるように強制されない自由の保障である。人権侵害は多数者が少数者を飲み込み、応じない少数者を排除する形で表れる。少数者の信仰、思想が尊重されてこそ民主的な社会になり得る。