◇牧師室より◇
T姉が92歳の生涯を終え、天に帰られた。T姉は鉄道関係の仕事をしておられた方と結婚して、中国北支に行かれた。教会の昼食会で、日中関係のことが話題になった時に、T姉は語気を強めて「日本が悪いんです。日本が中国を占領したんです」と言われたことを印象深く覚えている。中国での日本人の振る舞いを目の前で見た経験から、言われたのだと思った。
ご主人は兵役は逃れたが、引き揚げ時に、傷を負い、破傷風で急逝された。3人の幼い子どもを抱え、1945年10月に帰国された。そして、瓦礫と化した東京での生活を始められた。ご主人を失った悲しみと辛さ、女手ひとつで、戦後を生き抜いた苦労を思い、「大変だったでしょう」と聞いた。T姉は「イエ、親戚や友人が親切にしてくださり、良い仕事に恵まれましたから」と何事もなかったかのように答えられた。この言葉がT姉らしい。どんなに悲しく辛いことがあっても、不平や泣き言を言わず、乗り越えていく気概とバイタリティーを持っておられた。そのT姉の愛読聖句は「わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことはありません」であった。
子どもの頃、始めて教会学校に行った時のことを「若木」に書いている。別天地に来たような夢心地でキリスト教に触れている。戦後の困難な中で、賀川豊彦牧師や良いクリスチャンに出会い洗礼を受けられた。主イエスを信じて、希望に向かって生きようと決心されたのであろう。私たちの教会には1984年に転入会された。集会によく出席され、開放的で明るい性格が愛され、信頼された。諸々の奉仕もしてくださった。
絵画と書道を愛し、多くの友人を持ち、旅行を楽しまれた。晩年に近づき、病気がちで教会生活ができにくくなり、最後は癌に侵された。主イエスを信じ、望み、活力あふれる気丈な生涯を全力で走り抜かれた。