◇牧師室より◇
教会員H姉から、淵田美津雄氏の「真珠湾からゴルゴダへ わたしはこうしてキリスト者になった」という伝道パンフレットを見せていただいた。
淵田氏は真珠湾攻撃の空中攻撃隊の総指揮官として「全軍突撃せよ」との号令を下した海軍大佐であった。当時は米国に対する憎しみと敵愾心の塊であった。「われ奇襲に成功せり(トラ、トラ、トラ)」と報じた時、さっそうとしていた。三千万人もの死者を出した惨劇の4年後、日本は敗戦を迎えた。敗戦後は、職業軍人として非難され、友は皆去っていった。孤独な自給自足の生活の中で、植物や家畜の自然現象を通じて、創造の神の変わらぬ恩寵を覚えるようになった。
日本軍捕虜が送還されて、米国での捕虜の扱いについて聞いた。20歳前後のお嬢さんから、敵国の捕虜に親身も及ばぬ介護を受けた。心を打たれて理由を聞くと「わたしの両親が日本軍隊によって殺されましたから」と答えた。話は逆ではないかと疑った。彼女の両親は宣教師としてフィリピンにいたが、戦争を避けてルソン島に隠れていた。そこへ日本軍が来て、スパイだと疑われ惨殺された。その惨殺の前、両親は聖書を読み、祈る時間を求めた。彼女は無法な日本軍の仕打ちに憎しみと怒りで胸が張り裂ける思いであっただろう。しかし、両親の祈りが何であったかを思った時、憎悪から人類愛への転向をしたという。淵田氏は美しい話だとは思ったが、よく理解することはできなかった。
宣教師として来日していた元米軍軍曹から、偶然「わたしは日本軍の捕虜でした」というリーフレットを受け取った。獄中で日本兵から虐待されながらも彼らへの憎しみを捨て、兄弟愛に変えさせるキリストの十字架の愛が書かれていた。聖書を読んでみようと買い求めた。ルカ福音書23章34節「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」というみ言葉にハッとした。自分を殺す者のために、イエス・キリストはゆるしをとりなす祈りを神に捧げられた。両親を日本兵に殺されながらも、日本軍捕虜に献身的な看病をしたお嬢さんの信仰をはっきり理解し、受けとめることができた。
憎悪と敵愾心は新たな悲劇を生み出すだけである。戦争になれば、残虐行為は必然的に起こる。これを断ち切り、和解をもたらす十字架を淵田氏は信じた。大粒の涙を流しながら、ゴルゴダの十字架を仰ぎ、イエス・キリストを救い主として受け入れたと証ししている。