牧師室より

 教会員K姉が時々、月刊誌「文芸春秋」を貸してくださる。色々な人の言葉を聞き学びなさいとの親心で、感謝している。今回は「8月臨時増刊号 戦後六十年企画 特集 昭和と私  全編書下ろし 激動の時代を語り継ぐ」を見せてくださった。70人ほどの著名人が、昭和と自分との関係を書き、また語っている。 

大正、昭和初期生まれの人々は、アジア・太平洋戦争の時代と戦後の復興期という二度の人生を体験している。それは劇的な転換であった。この転換点は、言うまでもなく1945815日に流された天皇による詔書「玉音放送」である。「玉音放送」によってピタリと戦いを止め、時代はガラリと変わった。「本土決戦、一億特攻」を叫んでいた日本国民が5分ほどの詔書によって敗戦を受け入れた事実に米国は驚いた。米国はこの天皇の力を占領政策に利用した。現人神の天皇はそれほどの威力を持っていた。戦時中の教育の徹底さが分かると同時に、権力に押されれば一方向に暴走する日本の国民性も見えてくる。

しかし、悩み抜いた人もいる。資生堂の名誉会長の福原義春氏は下記のように書いている。「ぼくが昭和の時代に見てしまったのは、世の中の価値観ががらがら変わるのに、いつも便乗する節操のない人たち。そして社会がどう変わろうと、ひたすら上手に立ち廻ることだけを考えている主体性のない人たち。それに二、三年ごとに論調が逆転しても、として恥じない新聞の見出しである。(中略)多分ぼくと同世代は同じような思いを持っているに違いない。昭和一桁世代が『懐疑の世代』と呼ばれることがあるのは、正にその故である。ぼくたちの世代は、今でも目の前で起こっていることを喜ばないし、悲しまないし、信じない。ある日それは突然逆のベクトルに転じることがあることを体験で知っているからだ。このような懐疑の世代が世の中の少数派になるとき、この国はまたいつか来た道を辿ることになりはしないか」。時代の価値に飲み込まれず、「それは本当に人を愛し、平和につながっているか」を問う姿勢を持つことが大切であろう。

俳人の金子兜太氏は、糧道を絶たれたトラック島で虚脱状態の中で敗戦を迎え、捕虜になった。米兵の若く快活な姿を見て、餓死した戦友の小さな仏のような顔が頭にこびり付き、自責の念にかられた。一年ほどの捕虜生活の後、ささやかな墓碑を残して復員船で帰国した。「水脈の果て炎天の墓碑を置きて去る」金子氏は船中で、死者に酬いる道を反戦平和の達成と思い定め、この意志を支えとして歩み出したと書いている。戦死者は物言わないが、金子氏の思い定めこそが彼らの死を真に受けとめることではないか。

昭和の語り部たちに共通していることは、現在の私たちの主体性のなさと心の貧しさを考え、将来に対する深い危惧を感じている点である。

聖書は「人は神のかたちに造られた」という。誰からも侵されない尊厳ある存在であるとの告白である。主イエスによる罪の赦しの福音は「あなたはあなたであれ」という自己回復への是認宣言である。