◇牧師室より◇
小泉首相の「靖国参拝」は韓国、中国から激しい反発を受けて、対話もできない状況になっている。両国は、A級戦犯が合祀されている靖国神社への参拝はかつての侵略戦争を反省せず、歴史認識を歪曲していると主張している。靖国神社は1978年、神社側の意図で14名のA級戦犯を合祀した。その14名は東条英機元首相を始め、絞首刑になった7名、公判中に病死した2名、そして受刑中に獄死した5名の14名である。彼らはいわゆる「戦死者」ではない。B級・C級戦犯も同じように合祀されている。靖国神社はこれらの刑死者を「昭和受難者・英霊」として合祀している。これは、かつての戦争を侵略戦争ではなく、正しい戦争であったと表明していることになる。
小泉首相の参拝を支持する人々は靖国神社の考えを受け入れ、極東国際軍事(東京)裁判を勝者による不当な裁判であると主張している。東京裁判については、色々な議論があるが、日本はこれを受け入れることによって、国際社会に認知されてきた事実は変わらない。
私は「靖国問題」が「外交問題」としてのみで、扱われていることに大きな危惧を感じている。中国からの反発を受け「国益」のため、参拝中止の声が大きくなっている。中国との貿易による利益の減少を気にしていることに他ならない。
靖国神社には日本兵として徴用され戦死した朝鮮人、中国人が日本名で合祀されている。また、アジアで多大な犠牲を強いた戦争の精神的支柱であったのだから「国際問題」であることは確かである。しかし、私は同時に極めて国内的な「政教分離」問題であると思っている。憲法20条3項に「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」とある。首相という公人が一宗教法人に参拝することは憲法に違反する。中曽根元首相の靖国参拝は一回で止めたが、その時は、憲法問題として、記事総数の80%を占めていたが、今回の小泉首相の時は、90%が外交問題として扱われている、とジャーナリストの浅野健一氏は分析している。「政教分離」の憲法問題が曖昧になると、かつての「神社は宗教に非ず」につながり兼ねない。これが何より危険である。
日本の政治的選択は、外国からの圧力で翻弄され、国民自身の声が出せない、また届かなくなっている。人権を尊重する民意が健全な民主主義を育てていく。