なぜ、オリバー・カウドリーは一時の間、教会から離れたのか

オリバー・カウドリーはジョセフ・スミスと一緒に、イエス・キリ ストや天使たちに会っている。そのことを列挙する。 このようなすごい経験をしていたのに、
やがて、ジョセフ・スミスに対して反抗的になり、
1838年4月12日に教会から破門された。

1844年6月27日、イリノイ州カーセージで
ジョセフ・スミスとハイラム・スミスが殉教したあと、
1847年には、教会の指導者と和解し、教会への復帰が認められた。

なぜ、ジョセフ・スミスと仲たがいを起こしてしまったのか。
以下の2つの資料から、調べてみた。

・教会歴史のテーマ オリバー・カウドリ

・教会歴史「聖徒たち」第1巻、第3部、25-27章

簡単にまとめると、以下の点が原因となったようだ。

「教会歴史のテーマ」からの抜粋

カートランド安全協会銀行の破綻を含む、カートランドにおける経済危機が
オリバー・カウドリの財政に強烈な打撃を与えました。
すると彼は、自分の財産を引き続き教会に奉献するのではなく、
自身の事業を追求するようになります。
さらにカウドリは、教会指導者が基金の管理を誤ったと主張して彼らを訴え、
またジョセフ・スミスが不貞の罪を犯しているといううわさを広めました。
1838年、ジョセフ・スミスはカウドリの申し立てを調査するために
高等評議会を招集しました。
やがて評議会が開かれ、カウドリに対する幾つかの容疑について検討した結果、
最終的に容疑の大半を支持する決定が下され、カウドリは破門されることとなります。

カウドリは十二使徒会の会員に、自分の離反のおもな理由は、
ミズーリ州の攻撃的な末日聖徒から脅しを受けたことによるものであって、
使徒やほかの指導者への個人的な疑念から生じたわけではないと話しています。

1847年、カウドリは近くのアイオア州で開かれた大会で話をし、
十二使徒定員会への支持を誓いました。
数日後、高等評議会は、カウドリが再び完全な会員資格を取り戻すことを認めます。
十二使徒定員会のオルソン・ハイドがカウドリに再びバプテスマを施し、
改めて確認と聖任を執り行いました。
カウドリはその後、ユタ州に住む聖徒たちと合流する計画を立てていましたが、
健康状態が悪化し、西部へ旅することなく、1850年に亡くなりました。

「聖徒たち」からの抜粋

オリバーは、地元の経済および政治分野において、
ジョセフの方がより精力的な役割を果たしていることを不快に思うようになっていました。
オリバーと、ミズーリにおける教会の長であるデビッド・ホイットマーの両者は、
預言者としての役割を担うジョセフが、この世的な事柄に
あまりにも多くかかわりすぎていると感じていたのです。

ジョセフへの忠誠心が薄れてきており、オリバーと預言者ジョセフとの不和は、
教会の管理方法を巡る意見の相違にとどまりませんでした。
聖書の霊感訳に携わる中で多妻結婚について学んで以来、
ジョセフは、神が時として、御自分の民にこの原則を実践するよう
命じてこられたことを知っていました。

主の命令に従い、ジョセフはリーバイの助けを借り、
またファニーの両親の承諾を得たうえで、ファニーに結婚を申し込みました。
ファニーはジョセフの教えと結婚の申し出を受け入れ、
おじが結婚の司式を執り行いました。

オリバーは、事の次第をどれほど知っていたかは不明ですが、
ジョセフとファニーとの関係を手厳しく批判しました。

ジョセフは個人的にトーマスとオリバーに会いました。
彼らは、ジョセフのファニー・アルジャーとの結婚に対する
オリバーの異存について話しましたが、
意見の相違を解消することはできませんでした。
最後に、ジョセフはオリバーに手を差し伸べ、
相互間に生じた不和をすべて取り除きたいと言いました。
オリバーはジョセフと握手を交わし、二人は別れます。

オリバーとジョン、ウィリアムはつい先日、
ジャクソン郡の所有地の一部を売ったところでした。

その土地は主に奉献されたものであり、啓示を通して売却が禁じられていたのです。
これら3人の男たちは神聖な聖約を破っただけでなく、
シオンに対する信仰の欠如を露呈したのでした。

オリバーはミズーリ高等評議会に姿を現し、
自分たちはジャクソン郡の土地の代金を自分自身で支払ったのだから、
思いのままに売却できるはずだと主張しました。
オリバーはまた、評議会会員の何人かに密かに会い、彼らの真意を問いただしました。
地位や権威をむさぼっているように見えるトーマス・マーシュやそのほかの人々を、
信頼していなかったからです。
オリバーは、彼らが何らかの方法でジョセフを自分に敵対させるように仕向け、
すでにこじれている預言者との友情をさらに損なおうとしているのではないかと
疑念を抱いていました。

「そうした権力争いには、もううんざりです」と、オリバーは兄弟に打ち明けています。
「わたしがこの地に来たのは平和を享受するためなのですから、
それができないなら、そうすることができる場所へ行くまでです。」
オリバーは大管長会の一員であったため、高等評議会の管轄外におり、
自らの召しを保持していました。
一方デビッド、ジョン、ウィリアムは、それぞれの職を解かれていました。
4日後、オリバーはこの3人に加え、教会からしきりに
離れたがっている複数の人々に会いました。
彼らの多くは、ウォレン・パリッシュと、カートランドにおける
彼の新たな教会に共鳴していました。
ウォレンと同様、彼らもまた預言者に敵対することを決意していたのです。

来る日も来る日も、聖徒たちはジョセフがファーウェストに戻って来るのを待ちわびていました。
その間、オリバーは教会指導者に対する軽蔑の念を強めていきます。
オリバーは、自分がこのような行動に及んだ理由を、
指導者たちが理解してくれないのではと思っていたのです。
「道理をわきまえておらず、無知なのだ」とオリバーはあざ笑っています。
「わたしたちは称賛されることも認められることも期待していません。」
それでもオリバーは、モルモン書と福音の回復に対する信仰を保っていましたし、
預言者と共有した神聖な経験を忘れることも、否定することもできませんでした。
オリバーとジョセフは長年兄弟であり、親友であり、
イエス・キリストにともに仕える者だったのです。
しかし今や、そうした日々は記憶の彼方に去ってしまいました。

ジョセフは、ミズーリで新たにやり直したいと思っていました。
カートランドやアメリカ合衆国東部、カナダの教会支部からやって来る聖徒たちが、
間もなく到着するでしょう。
彼らを迎えるべく、教会はシオンのステークを確立し、そこで人々が平和のうちに集合し、
繁栄の機会を得られるようにする必要がありました。
オリバーはすでに新たな集合場所のための土地を探し出しており、
彼の報告は期待できるものでした。
ところがジョセフには、どこであろうと聖徒たちが新たな定住地に入植し始める前に、
ファーウェストで増大しつつある離反の動きに
対処しなければならないことが分かっていました。
オリバーのような友人が教会から離れていくのを目の当たりにし、
ジョセフは深い悲しみに沈みます。
しかし、カートランドで起きたような不和の蔓延を、
ミズーリで再び繰り返すわけにはいきません。

今やオリバーの背教に対処するときであると、ジョセフは確信します。
4月12日、エドワード・パートリッジは、教会におけるオリバーの地位を見直すために、
ビショップの評議会を招集しました。
オリバーの反抗的な態度は周知のものでした。
教会の集会に出席しなくなり、ほかの教会指導者の勧告を無視し、
トーマスや高等評議会を侮辱するような手紙を書いていたのです。
オリバーはまた、啓示に反してジャクソン郡の所有地を売却し、
ジョセフを姦通罪で不当に告発し、
神の大義をないがしろにしたことでも非難されていました。
オリバーは聴聞会には出席しないことにしましたが、
自らを弁護する手紙をパートリッジビショップに送りつけます。
その手紙でオリバーは、ジャクソン郡の土地を売却したことや、
教会指導者に従わなかったことを否定しませんでした。
それどころか、いかなる啓示、聖約あるいは戒めがあろうとも、
自分には土地を売却する法的権利があったと主張しました。
さらには、教会における自身の会員権を放棄したのです。
終日、評議会は証拠を見直し、オリバーの行動に関する複数の聖徒の証言を聞きました。
ジョセフは立ち上がると、かつてオリバーに対して抱いていた信頼について語り、
オリバーの告発にこたえてファニー・アルジャーとの関係について説明しました。
さらなる証言を聞いた後、評議会はオリバーの件について話し合いました。
オリバーと同様、評議会一同は個人の選択と自由に関する原則を大切にしていました。
それでもほぼ10年近くにわたり、主は聖徒たちに、一致するように、
また神の王国を築くために、個人の望みを脇に置いて
自分の持てるものをささげるように命じてこられたのです。
オリバーはこれらの原則に背を向け、むしろ自分自身の判断に頼り、
教会とその指導者、主の戒めを軽視してきたのです。
もう一度告発を見直した後、パートリッジビショップと顧問たちは、
オリバーを教会から破門するというつらい決断を下したのでした。

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