モルモン書と私
モルモン書には、この本が真実か、聖霊によって分かるとの約束がある。
「あなたがたはこれを読むときに、
アダムが造られてからあなたがたがこれを受けるときまで、
主が人の子らにどれほど憐れみをかけてこられたかを思い起こし、
それを心の中で深く考えてほしい。
また、この記録を受けるとき、
これが真実かどうかキリストの名によって永遠の父なる神に問うように、
あなたがたに勧めたい。
もしキリストを信じながら、誠心誠意問うならば、
神はこれが真実であることを、聖霊の力によってあなたがたに明らかにしてくださる。」
(モロナイ10:3-4)
私は試してみた。
ジョセフ・スミスのように、朝早く起き、
私の通っている高校の近くにある人けのない林で祈った。
しかし、何も特別なことは起きなかった。
神様や天使の姿を見たり、声を聞いたりしなかった。
神様のものだとはっきりと分かるような不思議な現象は起きなかった。
何か起こるのではと、わくわくしていたが、何も起こらなくて少し残念に思った。
しかし、不満はなかった。
既にモルモン書は真実のものだと分かっていた。
話は、その数か月前にさかのぼる。
私が16歳のとき、カトリックの教皇が日本を初めて訪問した。
これをきっかけに、キリスト教に興味を持ち、
聖書を買って読み始めた。
聖書を読んで分かったのは、
実際に経験した人が書いているということだった。
古事記などの日本神話やギリシャ神話は、
古来からの伝承をまとめたものなので、
どこか曖昧でふわっとしているが、
聖書は詳細に書かれている。
つまり、聖書の神は実際に存在し、預言者たちは現実に神と交流し、
それを聖書にまとめたものだと実感した。
どこかのキリスト教会に行ってみたいと思っていたが、
勇気がなく、行動に移せないでいた。
あるとき、聖書ではないが、聖書のような本があるという噂を聞いた。
いろいろな本屋と図書館を探したが見つからなかった。
ところが、ある古本屋で「モルモン経」と書かれた本を見つけた。
見ると、キリストについて書かれていたので、これが私の探していた本だと思った。
しかし、その時はお金を持っていなかったので買えなかった。
郵便局には貯金があったので、そのお金を崩して、また来ることにした。
その日は土曜日だったので、月曜日にすることにした。
月曜日、学校から帰ってすぐ、郵便局に行って、お金をおろし、
その本を買いに出かけた。
行きの道、交差点で信号待ちをしていると、
後ろから二人のアメリカ人の青年に声を掛けられた。
彼らはモルモン教会の宣教師だと名乗り、話すことができるかと尋ねた。
私は、これから買いに行こうと思っている本に関係があると分かり、
彼らの話を聞くことにした。
彼らはジョセフ・スミスの経験したことについて教えてくれた。
また土曜日に教会で会う約束をし、別れた。
私は古本でなく、新しい本が手に入れられると思い、
その日は、古本屋にあった本を買わずに家に帰った。
宣教師からモルモン書を買って、読んでみたが、すぐに、聖書と同じように、
神と直接交流のある人が経験したことが書かれていることが分かった。
そして、モルモン書には真実のことが書かれていることを前提にして、読み進めていた。
たとえて言うなら、学生が教科書に書かれていることが、
真実であることを疑わずに読んでいるのと同じである。
モルモン書に記述されていることは歴史的な出来事と一致していた。
また、モルモン書が翻訳された後に起こった出来事にも一致していた。
聖書に記述されている内容とも矛盾がなかった。
むしろ、聖書で曖昧になっていることが明確になっていた。
例えば、アダムとエバの堕落の意味や、
ユダヤ民族の役割と、彼らが散乱し、集合していることの意味など。
一見、失敗、挫折、後退と思えることが、神の計画に当初から含まれていて、
そのことが、むしろ、神の目的にかなっていた。
モルモン書が無かったら、
このような、神の計画の全体像を知ることができなかった。
これは、神から来ている本であることが分かった。
というわけで、その時には、モルモン書が真実であるか神に祈って、
特別な経験をすることに、あまり意味がなかったのだった。
モルモン書が真実の書であることが分かる方法は人それぞれだろう。
私の場合は、聖書に対する知識があったので、それが助けになった。
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