イスラエル
イスラエルという名前の由来について調べてみた。
wikipediaでは次のように書いてある。
兄エサウとの和解を志し、会いに行く途中、ヤボク川の渡し
(後に彼がペヌエルと名付けた場所)で、
神と格闘し、勝利したことから神の勝者を意味する
「イスラエル」の名を与えられる。
(「イシャラー(勝つ者)」「エル(神)」の複合名詞)
しかし、その元となる創世記32:24-28を見ても、
ヤコブが戦った相手が神だとは書かれていない。
ただ、相手がヤコブを祝福したことから、
神に属する者であることは確かである。
インスティテュートの旧約聖書の資料には次のように書かれている。
ヤコブは天使と組打ちをしたと考える学者がほとんどである。
しかしジョセフ・フィールディング・スミス大管長は、
なぜこうした考え方が正しくないのか、次のように説明している。
「ペニエルの山でヤコブと組打ちをしたのはだれだろうか。
聖文は人であったと記しているが、聖書の注解者は天使であったと言っている。
恐らくは祝福を与えるためヤコブに送られた使者であったのであろう。
ヤコブが天使と組打ちをして押さえ込み、
天使が逃げられなかったと考えることはできない。
聖文の中で使われている天使という言葉は時々重要な指示を
携えて遣わされた使者のことを指す。
この章の後ろの方でヤコブが主を見たと言っているのは、
組打ちの相手のことを指しているのではない。」
ネルソン大管長は2020年10月の総大会で次のように述べている。
ヘブライ語の二人の学者の助けを受けて、
わたしはイスラエルという言葉のヘブライ語の意味が
「神に勝利を得させよ」であると知りました。
したがって、イスラエルという名前はまさしく、
人生の中で進んで神に勝利を得ていただこうとする人を指すのです。
この概念に魂を揺さぶられました。
イスラエルとは、「神に勝つ者」ではなく、「神が勝つ者」という解釈であろう。
私は、神を敬うヤコブが「神に勝つ者」を名乗るのが納得いっていなかったので、
「神が勝つ者」の解釈の方が良いと思う。
創世記32:24-30
ヤコブはひとりあとに残ったが、ひとりの人が、夜明けまで彼と組打ちした。
ところでその人はヤコブに勝てないのを見て、ヤコブのもものつがいにさわったので、
ヤコブのもものつがいが、その人と組打ちするあいだにはずれた。
その人は言った、「夜が明けるからわたしを去らせてください」。
ヤコブは答えた、「わたしを祝福してくださらないなら、あなたを去らせません」。
その人は彼に言った、「あなたの名はなんと言いますか」。
彼は答えた、「ヤコブです」。
その人は言った、「あなたはもはや名をヤコブと言わず、イスラエルと言いなさい。
あなたが神と人とに、力を争って勝ったからです」。
ヤコブは尋ねて言った、「どうかわたしにあなたの名を知らせてください」。
するとその人は、「なぜあなたはわたしの名をきくのですか」と言ったが、
その所で彼を祝福した。
そこでヤコブはその所の名をペニエルと名づけて言った、
「わたしは顔と顔をあわせて神を見たが、なお生きている」。
神の使いとレスリングをしたというこの話に似たような話が日本にもある。
相撲ははじめ神事として行われていたという。
大山祇神社では、稲の精霊と相撲をとるという行事が行われている。
=> 大山祇神社の一人相撲(YouTube動画)
=> 相撲はイスラエルの神事だった(YouTube動画)
2023/3/12追記
ヤコブが神の使者とレスリングをするという話にはどんな意味があるのか、
私はずっと疑問に思っていた。
今日、気づいたのは、これが現代のエンダウメントの儀式にあたるものではないかということ。
イスラエルは「神の使者に勝った」ことによって名付けられたが、
「神の力を得て使者に勝った」とも言える。
レスリングを通して、神の力を得た。
格闘技の試合を「手合わせ」ともいう。
エンダウメントの儀式も手合わせをし、神の力を得る。
イエスは使徒たちが伝道に出るにあたって、イエスのように病などをいやす力を授けた。
(マタイ10:1)
現在でも伝道に出る前にエンダウメントを受けて神の力を得る。
エンダウメントでは新しい名前を得るが、ヤコブもイスラエルという新しい名前を得た。
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