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この地球の上で(家計簿から今年を振り返る)(2017年12月)

 はや12月。今年もいつのまにか、大みそかに近づきつつある。人生の3分の2はとうに過ぎた年齢にいると、それだけ向こうの世界が早く近づいているような気がする。毎日毎日、悔いのないように生きなければ。私の大事な人たち妹が33歳、連れ合いのケンちゃんが49歳で亡くなっているので、明日何かあってもいいように、一瞬一瞬を一生懸命に生きようと思うものの、なかなかうまくいかない日もあったりする。が、努力する姿勢を持つだけでも、良しとしようか。
 毎日家計簿をつけている。それを一月ごとにまとめ、さらに一年ごとにまとめている。そうすると、何をいつ買い、修理したのか、どこに出かけたのか、何をしたかがよくわかる。今年の月の集計表(自分が、わかりやすいように自分で作った表)も11枚になった。
 2月には、シャワーが凍って壊れて取り換えてもらった。
 11月には凍結防止ヒーターを取り換えてもらった。15年前に引っ越してきた時には取り付けてあったものなので、もう取り変え時だろう。水道管が凍結する前に手を打っておいた方がいい。ロケットストーブを焚いた時に沸いたお湯を入れるためのポットを買った。前のポットは、安物買いの銭失いのポットで、保温が効かなかったから。
 夏には、子どもたちや姪たちとキャンプをするために、少し大きなテント、焚火台にもなるBBQコンロ、ハンモックを買った。埼玉に住む一番上の娘夫婦が中古のマンションを購入したので、ちょっと奮発してシラルガンの鍋をお祝いに贈った。
 1月には、お父さんが亡くなって一人になったケンちゃんのお母さんをお姉さんが引き取って暮らしているので、そこへ娘たちと会いに行った。元気なうちに会っておきたいと出かけたのだけれど、認知症になっているおばあちゃんに孫がわかったかどうか、ちょっと心もとない。
 9月には、埼玉の娘夫婦の新居に、またぞろぞろと3人で泊まりに行ったし、グリーンイメージ映画祭の事務局をやっている友人が松本で映画祭を企画したので3日間通った。地球環境がテーマのよい映画ばかりだった。
 11月には、髄膜性白血病から回復した友人のライブを見に、茅野のライブハウスに行ってきた。4050代の女5人が「スパンコールズ」というグループを作って、華やかに歌って踊る。普段は生成り色の服を着てスッピンでナチュラルそのままの友人が、バッチリとメイクしてキラキラドレスに身を包みハイヒールで歌うのは、忌野清志郎の「サマータイムブルース」。「私、去年の春まで白血病で入院していたの。いつ死ぬかなんてわからないから、言いたいことは言っていくわ。原発なんかいらない。リニアなんかいらない。」とは友人のMC(曲と曲の間のおしゃべり)。ステージの上の彼女たちは、歌もダンスもかっこよくて、本当に素敵だった。彼女が無菌室で治療を受けている時に入ってきた看護師さんは「この部屋に来ると明るくてほっとする」と言っていたそうだ。前向きに生きていて笑顔が優しい彼女の復帰を心から喜んでいる。その晩集まった友人たちの中には癌の治療が終わって田んぼと畑仕事にいそしむ人がいたし、ある友人が最近癌だとわかったという話も聞いた。会える時には会って、話せる時には話しておきたいと改めて思った。
 12月は、原発の核廃棄物の地層処分に向けての説明会が長野市で開かれるので参加してくる。様々な住民説明会と同じで「やりました」というアリバイ作りでしかないだろうけど、その後で脱原発の参加者・専門家で小さな交流会を持つので楽しみ。そして、10月に紹介した一人芝居「歌うキネマー人間であること」の趙博(チョウ・パギ)さんが、浅間温泉・神宮寺でライブをしに来てくれる。これも終了後に神宮寺で懇親会がある。それに、ケンちゃんに引導を渡してくれた神宮寺住職の高橋さんは来年いっぱいで住職を辞めるそうなので、久しぶりに会うのも楽しみ。
 そうそう、今年は衆議院選があり市民として関わっていたが、出費は駐輪代とかバス代の出費としてしか家計簿に載っていないので、見落としてしまうとこだった。
2018年の新しい家計簿もカレンダーも用意した。来年はどんなことが待ち受けているのだろう。憲法改悪の動きが加速していくだろうから、もう少し頑張ろうか。仕事しながら、家のことをしながら、市民活動に関わるのは、なかなか疲れるけれどね。

この地球の上で(原発立地自治体で暮らすということ)(2017年11月)

 衆議院選挙が終わった。民進党の分裂騒動の中で、今まで培ってきた野党共闘の統一候補を支援できなくなって混乱し、長野県選挙区でも急きょ公示前23日前に新たな立候補が決まったりして、たいへんな選挙になった。結果、ご存知のとおり、自公の与党が3分の2を占め、憲法改正を国会に発議ができるようになってしまった。財政赤字は未来の世代に引き渡すことになり、原発の再稼働も進められていくだろう。こんなことでいいんだろうか。私にはとても、いいなどとは言えない。
 東京電力・柏崎刈羽原発67号機を、原子力規制委員会が、再稼働の前提となる安全審査を事実上合格とした。(正式合格はパブリックコメントを経てから)
 折しも、新潟県刈羽村在住で、原発建設に反対して村議も経験した武本和幸さんと、柏崎市で保健士をしていた時に被災地支援で福島県会津若松市の大熊町役場に派遣された経験を持ち、昨年は柏崎刈羽原発の再稼働に反対するために保健士を辞めて、市長選に出た竹内英子さんのお話を聞く集まりがあり、参加してきた。
 竹内英子さんのお話のタイトルは、「原発立地自治体で暮らすということ」
 ―避難とは、住民票のないところで暮らし続けるということであり、家族が別々に暮らすこと、同じ町や境遇の人でなければ理解してもらえないので、隣人には避難していることを隠し続けること、そしてその分断された気持ちや生活に慣れてしまい、それが日常になってしまうこと。加害者である国や東電に補償してもらっているが、加害者に保護してもらっているというねじれた状態にある。被害を受けているのに保護を受けなければならないDV(家庭内暴力)と似ている。保護している人に立てついたら、何もしてもらえなくなるのはないかという不安を持つ点でも同じ。毎朝、気温のようにモニタリングポストの値がニュースになる中、「大丈夫」と言ってほしい気持ちと「大丈夫」と言われても安心できない気持ちを持つ。漫画「美味しんぼ」の鼻血問題の時には、みんなのいる所では「鼻血なんてないわよねぇ」と言いつつ、二人きりになると「ほんとは、うちの息子は鼻血をよく出すの」と打ち明けるように、自分が体験したことと報道や国の発表との落差に悩む。大熊町にもう戻らない、戻れないと考える人が年々増えていっている。何年も避難生活が続くということは、平和で安全な生活ができず、事実を直視できないことで自分自身や他人への信頼感が取り戻せなくなっていく。葛と藤が絡まった「葛藤」の文字通りの状態にいるのが、避難者だ。
 原発を推進するということは、立地自治体に住む人にとって、家族や親戚や近所に原発に勤めている人がいたりするので、「立場を考えて」発言する。つまり、原発に触れないことがマナーになってしまい、日常的に自分の感覚に蓋をしてしまう。「原発のリスク」という核心に触れないように気を使い合い、一見和気あいあいとしながらも息苦しい。原発の補助金は地方の自立を促す目的ではなく、国策である原発を押し続けるためのもので、「原発に頼らなければ、どうにもならない」と思わされていく。災害対応の現場では、消防署、警察、自衛隊などの現場の最前線で働く人々や、避難中も地域と住民を守る医療・福祉関係者などの命を守ろうとする人々や安全を守ろうとする人々が傷つき、苦しむ、それが原子力災害だ。
 20145月大飯原発差し止め訴訟の判決は、すばらしい。「豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の損失」
 武本和幸さんは、電気の需要が減ってきていること、柏崎刈谷原発でも使用済み燃料プールが満杯に近づいていること、地震などのお話をされた。興味深いことに、衆議院選の自民党の候補者が「私が生きているうちに脱原発」とか「頼らないにこしたことない」などと脱原発を掲げていたらしい。
 自公政権が原発を推進しようと、おかしいものはおかしい、嫌なものは嫌だと、やっぱり言い続けていくしかないな。チェルノブイリ原発事故あたりから、かれこれ30年以上、言い続けているけれど。

この地球の上で(核兵器禁止条約とノーベル平和賞)(2017年10月)

 急に朝晩が寒くなって、アラジンストーブを付ける毎日。青い炎がきれいなこのストーブは厳寒期には火が弱すぎて使えないけれど、今の時期にはちょうどいい。ほっこりする。
 衆議院臨時国会の冒頭に、盛り・掛けそば(あっ、森友学園、加計獣医学部問題のこと)の丁寧な説明もなしに解散という信じられない暴挙に出た政権、それに続く小池新党立ち上げと民進党の解党、衆議院選への準備と、腹立しくも目まぐるしい日々が続くのであるけれど、一条の光がさしこむ嬉しいニュースがあった。
 今年のノーベル平和賞に、NGO「核兵器廃絶国際キャンペーンICAN」が受賞した。
 核兵器禁止条約の制定に向けての努力が評価された。「核兵器禁止条約」とは、非人道的な核兵器の使用や保有を、実験をすべて禁じる初の国際条約で、今年7月の交渉会議に出席した124か国(日本は参加していない)中122か国の賛同を得て採択され、9月からは署名手続きが始まっており、署名国が50か国に達した時から90日後に発効する。ただし、アメリカの核の傘の下にいる日本はヒバクシャを抱える国でありながら、署名しないと言っている。これは、前回も書いたが、おかしすぎる。北朝鮮の核の脅威を問題にするのであれば、いまだ休戦状態にある北朝鮮とアメリカに平和条約を結ばせることにこそ尽力し、まっさきに「核兵器禁止条約」に署名し、世界中の国々に署名を呼びかける立場をとるべきではないか。
 おりしも9月の最後の土曜日に、国立・一橋大学の前でスープカレー屋をやっている友人のお店でパギやんこと趙博さんの一人芝居「歌うキネマー人間であること」を見た。これは1974年制作、東映配給の映画「人間であるために」1本丸ごと、1時間半、一人芝居と歌で再現するという一人芝居のマルセ太郎さんを引き継ぐもので、パギやん渾身の演技と歌は、映画のシーンが目に浮かぶようだった。この映画はレンタル店にはなく、フィルムライブラリーにしかないということなので、内容を紹介。
 ―1953年大阪の弁護士・岡本尚一(伊藤雄之助)は、青年弁護士・松井康浩と共に、原爆投下は人類史上、最大・最悪の殺人行為であり、アメリカ政府は損害賠償義務があることを訴える裁判の準備のために駆け回っていた。しかしアメリカでの裁判は莫大な費用が必要とするため、断念せざるをえなかった。1955年に日本の政府の戦争責任を追及しつつ、「被爆者の損害賠償とアメリカの原爆投下を国際法違反とする」ことを求めて訴訟を提起した。それから8年、東京地裁は「国際法違反ではあるが、被爆者には損害賠償の請求権はない」という判決を下し、結審となった。この間、この裁判に心血をそそいだ岡本弁護士は脳溢血で倒れ、その遺志を受けついだ松井弁護士は多くの人たちの協力のもとに、8年に及ぶ裁判闘争をやりぬいたのだった。しかし、被爆者の病状は年につれて悪化し、死亡者はふえ被爆者二世は自分の境遇を周囲にひた隠しにしなければ、生活することすらできないところまで追いやられた。岡本を、松井を、それをとりまく人たちは、原爆をもう一度、「人間であるために」静かに怒りをこめて、見つめようとし始めていた。―
 このような裁判をしてきた人や、ヒバクシャとして声を上げ続けた人々と共に、この受賞を喜び合いたい。そして「かつては核兵器という非人道的な兵器があったけれど、人々の力でこの地球上から無くなった」と、未来の人たちに語ってほしい。

この地球の上で(夏の終わりに)(2017年9月)

 秋が突然訪れた。慌てて厚い掛け布団をひっぱり出し、天窓を閉め、長袖のありかを確認した。そして、夏の終わりにかかる花粉症が出たのは92日。なんだかちょっと寂しい気持ちになる。でも、今年は5月から30℃を超える日があったり、2本しか植えていないトマトがよく成って、ほとんど買わずにすませることができたり、生い茂ったブッラクベリーでジャムをたくさん作ることができた夏だった。
 856日に家族で戸隠にキャンプに行った。娘二人と姪とその小学生の子どもの女・子どもだけのキャンプ。林の中の区割りのないフリーサイトを借り、ハンモックを吊ったり、せいぜい足首までの深さしかない浅瀬の川でサンショウウオを見つけたり。夜はもちろん花火。焚き火でマシュマロを焼き、みんな寝静まった後も一人火を守り、ワインを傾けていたのは上の娘。翌日は隣接する牧場や忍者からくり屋敷で遊び、戸隠そばを食べた。場内には何でも揃う売店や、バンガローやログキャビンもあるので、子連れのキャンプにおススメだ。今回、雨が降っても大丈夫なように(今まで何度雨にあったことか…)前室付きの少し大きめのテントを買っていったけれど、パラパラ雨ですんだ。この土日以外の戸隠は、毎日のように雨だったようで、私たちは幸いだった。大好きなキャンプやアウトドアクッキングができて、よい夏だったと思っていた夏の終わりの829日の朝、不気味な音で起こされた。
 2階から下の娘が「怖い!」と言って降りてきた。防災行政無線のアナウンスは「ミサイルが発射されました。頑丈な建物や地下に避難してください。」寝ぼけた頭で一生懸命考えをめぐらす。今の状況の中で、絶対に攻撃はあり得ないが、万が一発射が失敗して落下、ということも考えられるので100%安全ではない。とにかく娘に「一緒にいよう」と言って、情報収集のためTVをつける。その数分後にミサイルは東の太平洋上に落ちたというニュースが流れ、さっそく首相が出てきて記者会見を行った。ジェルか何かで髪を整え、用意していたかのような姿に違和感をおぼえた。(後から知ったことーそれもそのはず、普段は泊まらない首相官邸に前の晩から泊まっていて、事態はわかっていたということだ。)だんだん怒りがわいてきた。木造家屋に住む人々が数分で何をしろというのか。まさかこんな時のために、政府は私たちに防空壕を掘れと言い出さないだろうか。(よく考えたら高層ビルやマンションの多い現代社会の中では無理。)今回のJアラートは、国民に不安を与え、緊張を高めるためだったのでは?国民に不安を与えぬよう、外交努力を重ねるのが政府の仕事ではないか。
 そもそもICBMの標的はアメリカであるし、訓練のミサイルに爆弾が搭載されていないことなど知らない人の方が多かったはず。「国民保護の情報」という文字も目に入り、2004年に国民保護法が成立していたことも思い出した。「国民保護」の名のもとに、有事の際は国防に国民が協力する、という戦争中の国家総動員法によく似た法律だ。こんなことを短時間のうちに思った。
 ミサイルが発射される度に、核実験が行われる度に、経済制裁の強化が言われるが、イソップの「北風と太陽」のように、北風が強まれば、ますます厚着を重ねる旅人のように、かの国はますます軍事力を高めていく。国際法的には、北朝鮮とアメリカは今も戦時中であって60年以上の休戦状態である。ここを解決すべきではないだろうか。六か国協議を再開してほしい。
 そして、ある国に核を止めろというのなら、それを言う国も核を廃絶すべきではないか。被爆国・日本は、国連の核兵器禁止条約に反対しないで、核保有国に廃絶するように働きかけるべきではないか。核兵器を持つことや、軍備を増強することが抑止につながるというのは幻想だ。これでは軍拡競争は止まることなく続けられ、どこかで一つ堰が切れたら、世界は終わってしまう。唯一核の脅威から逃れる方法は、地球上の核をすべて廃絶するしかない。77日に、核兵器禁止条約が国連加盟国の約3分の2・122か国が賛成して採択されたことは、核保有国や核の傘に入っている国だけが地球上に存在しているわけでない、と示している。
 防衛省が、弾道ミサイル防衛強化(装備はメリカから買う)などで過去最高最大といわれる52000億円を要求している。ミサイル防衛は、太平洋戦争末期に「竹やりでB29を落とす」のと同様に合理性がないといわれているにも関わらず、である。Jアラートはこのために発動したのではと思ってしまう。
 政府が、国防の危機を声高に言うのであっても、惑わされず、私たちは核も戦争もイヤだと、憲法13条の「生命、自由、幸福を追求する権利」を行使しよう。

 

この地球の上で(暑い夏を乗り切る)(2017年8月)

 梅雨明け前から30℃を超える日が続いている。動物園のおサルさんが、えさの入った氷をおいしそうに食べている姿や、野外の現場仕事をする人の休憩所には、かき氷機が置いてあって「これが一番」とほおばる姿をTVで見た。みんな、この暑さをなんとか乗り切らなくては。
 うちにはエアコンがないので、2階の子ども部屋には、日射熱71%カットするというカーテンを取り付けてみた。今の家に引っ越してきた時に買った一番安い扇風機は、カバーの金具が取れて針金で留めてあったり、首振りと固定の切り替えの部品が取れたままどこかに行ってしまったりしているので、業を煮やした娘は、バイト代でちょっとましな扇風機を自分用に買ってきた。居間は、冬用の濃い色のカーテンから、さわやか白のカーテンに付け変えたり、座椅子のカバーを青色系のものに変えたりと、せめて視覚的に涼しさを演出。南側の廊下には娘がいらないと出してきた服が大きな段ボール箱いっぱいにドーンと置かれたままになっていたので、先日やっと、きれいに畳み直してリサイクルショップに持って行った。これで少しは風通しがよくなったかな。(かわいい服もあったのにリサイクルショップではブランド物の帽子しか値がつかなくてショック。)
 後は冷たいおやつを用意しよう。今年は料理雑誌に載っていた「ヨーグルト・バーク」にはまっている。形がバーク(bark―樹皮の木片)に似ていることからのネーミングらしい。夜中に冷蔵庫の中でヨーグルトの水切りをして翌朝冷凍庫で凍らせると、暑い中自転車をこいで帰宅した時にはヒンヤリおやつが待っているという手順も気にいっている。

      

<ヨーグルト・バークの作り方>
①プレーンヨーグルト1パックを、キッチンペパーを敷いた小さいザルに入れ、ボールで水気を受ける。ボールにたまる水はホエといい、可溶性のたんぱく質などの栄養がいっぱい。ちょっと酸っぱくておいしいので、捨てずに飲んで。
②翌朝、水切りしたヨーグルトに牛乳少々、洗糖(もちろん、てんさい糖や蜂蜜などでも)を混ぜたものを、取り出しやすいようにクッキングペーパーをひいたバットに平らに入れる。ヨーグルトにジャムなどを入れてもいい。その際マーブル模様になるように、ざっくり混ぜるときれい。厚さは7ミリくらいが手でパッキンと割れやすいけれど、厚くなってパッキン!ができなくても包丁で切ればいいので大丈夫。上にブルーベリーなどのベリー類、バナナとココナッツフレークなどいろいろトッピングすると楽しい。
③冷凍庫で凍らせる。一口サイズにパッキンと割って、さぁ食べましょう!
 去年は、フルーツジェルにはまっていた。知人宅で甘夏の煮たものに柔らかいジェルが添えられたオシャレなおやつをいただいて感激し、自分で作ってみようと、甘夏の皮をきれいにむいて煮たら、あらら!甘夏はばらばらになってしまった。後日、甘夏の缶詰なるものが売られているのをみて、ご馳走になったのはその缶詰で作ったものかもしれないと推測している。(今年は完熟スモモを煮てばらばらにしてしまった)お手頃価格のモモを手に入れて作ったら、うまくいったので、味をしめて何回か作った。コツは水多めのコンポート(果物の砂糖煮)を既定の分量の半分強のゼラチンや寒天でゆるく固めること。
昔ながらの知恵で暑気払いにいいという茹で小豆、江戸時代は夏の飲み物だと言われていた甘酒、ところてん、葛きり、体を冷やす麦茶、冷えすぎた体を温める梅番茶もあって、夏は夏なりの楽しみがある。
 そうそう関西に住んでいた時に、市場で必ず売っていたのが「冷やしあめ」。どんな味だろうと横目で見つつ、薄茶色の液体が食欲を駆り立てなかったので、ついぞ、口にしなかった。それが、お気に入りのNHK「グレーテルのかまど」を見て、正体が生姜と水あめと三温糖(洗糖の方がいい)だとわかったので、作ってみようと思う。水で薄めずに炭酸で割るとジンジャーエールになりそうだと、味の想像もできたから。
 あっ、それからネットで閉会中審査をみるといいかもしれない。「記憶にない」「記録がない」などの答弁を見ていると、怒りを通り越して、しら~と寒くなることは請け合いだから。

 

この地球の上で(共謀罪法案は通ってしまったけれど)(2017年7月)

 6月は、5月のように暑い日がなくてよかった。でも、種を播いて育てたうちのビワが、今までは45個しかならなかったのに今年は40個くらい成ったので、やはり温かくなっているのだろうか。私が子どもの頃は松本でビワがなるなんていう話は聞いたことがなかった。実は小さくて甘みも少ないけれど、ちゃんとビワの味がした。鳥も10個くらい食べていたので、おいしかったのだろう。
 先日たまたま図書館で見つけた伊坂幸太郎の「火星に住むつもりかい?」。タイトルにひかれて、ミステリー作家の伊坂もついにSFか!?と借りてきた。(タイトルはデヴィッド・ボウイ「LIFE ON MARS」に着想を得たらしい。
 伊坂幸太郎・原作で堺雅人・主演の映画「ゴールデン・スランバー」は、政権抗争の中で、首相暗殺の犯人に仕立てられたた宅配ドライバーが逃走するお話。こちらはビートルズ)
 2015年に刊行だが、共謀罪が成立した後のような世界が描かれていた。
 警察の中には「平和警察」という部署ができて、社会の秩序を乱すとされた人(主婦とか高校生とか、ほとんどが一般人)が警察に連れていかれ、拷問で自白を強要され帰ってこない。その拷問というのは、エアコンで取調室を長時間冷やされ、身体が弱ったところで、もうこの状態から逃れたいと「自白」してしまう。これだと拷問の証拠も残らないし、特別な道具も必要ないなと変なところで感心してしまう。
 犯罪を実行もしていないのに、監視やPCの改ざんなどを駆使され、密告が横行し、容疑者はネットでありもしない噂を書かれる。犯人と決めたら犯人にしてしまう。実際、冤罪がたくさんあるし、名張毒ぶどう酒事件の奥西勝さんのように、再審請求が棄却されつづけたまま獄中死という事例もある(映画「約束」。仲代達也・主演、樹木希林、山本太郎ほか)
 国会では数の力で成立させられることは想定内だったけれど、あまりにもひどすぎた。そもそも、最初は法案に「テロ」の字句はついていなかった。国際組織犯罪防止条約(TOC条約)を締結するのに必要だというけれど、この条約は、経済的利益を目的としたマフィアなどの 越境的な犯罪防止のための国際協力を目的とするもの。「テロ」を防止するためといえば、みんな賛成してくれるだろうというネーミングだ。しかし日本はこれまで13の「テロ」対策関係条約に加入し、関連する国内法の整備を行っている。対象となる277の犯罪の中には、キノコ狩りや山菜取りが森林法違反、著作権法違反など組織的犯罪集団と何の関係があるの?というものが含まれている。他方で、政府、警察、大企業が行いそうな犯罪はなぜか共謀罪の対象から除外されている。これって、やっぱり、一般人だけが対象?
 国際条約が大事と言いながら、国連人権員会特別別報告者ケナタッチ氏の、この法案はプライバシー権や表現の自由を不当に制約する恐れがあるという疑問には答えないまま、法案を成立させてしまった。スノーデン氏が暴露したネット上での政府による通信傍受に関しては、4月に少し書いた。政府による監視を監視する法律なり監視機関が、絶対必要だと思う。
 共謀罪は成立してしまったけれど、おかしいことはおかしいと言い続けよう。
 今年の夏も暑いと予報が出ている。なんとか、乗り切りましょう!

この地球の上で(5月なのに30℃)(2017年6月)

 5月だというのに、30℃を超える日々が時折まぎれ込んでいた。
 56日に予定されていたアルウィン東側芝生でのアースディ松本が、天候が悪くて520日に順延された。私の所属するグループの会員が、ちゃんと保健所の許可を取って、たこ焼き屋「みどり繁昌亭」を出店するというので、私も手伝うことになった。大阪出身の山田さんが焼くたこ焼きは、皮がカリッと中はトロリのホンマモンのたこ焼き。昆布、シイタケ、かつお節で出しを取り、粉は長野県産を使っている。(タコは、国産は高すぎるので外国産だったけれど)なのに、この日も30℃。たこ焼きなんか売れはしない。お隣のガネーシャさんの、イチゴやマンゴーがごろごろ入っている手作りシロップのかき氷は大繁盛だった。(手回しのかき氷機を一人で回しっぱなしだったので、たぶん翌日は腕が痛んだことだろうと、お察しするが、ホンマモンの手作りシロップはおいしかった!)おかげで仕入れたカットタコやら調味料やらは大量に余ってしまい、みんなで手分けして買い取ることになった。たこ焼き、たこ入りペペロンチーノ、タコ飯なんか作れば1kのタコは何とかなるだろう。
 さてさて、暑いけれど庭での仕事が待っている。
 福島第一原発事故があったにも関わらず、次々と原発が再稼働していく。
 今年の春も、東信ではコシアブラから国の基準値(100/これでも高いと思うけど)を超えるセシウムが検出されている。一度でも事故を起こせば、取り返しがつかないのはもちろんのこと、運転すれば生み出される放射性廃棄物は、その最終処分場が決まっていない。
 611日に上映をする「チャルカ」は、その核のゴミをテーマにしたもの。おかしなことにはおかしい!NO!と言いつつ、チャルカ(ガンジーが独立・自立のために、綿を紡いだ糸車)のように、自分の暮らしの中でできることを紡いでいきたい。
 でも、ソーラーパネルも、エネファームも、私には高すぎて手が出ない。エネルギー源としては、庭には剪定した枝が山になって貯まっている。薪ストーブを導入したくてもうちの間取りでは無理。ならば、外で燃やせばいいと、前から目をつけていたのは、ロケットストーブ。知り合いの自然エネルギーネット松本の平島安人さんを講師にお願いして、庭の剪定枝を抱えて右往左往していそうな友人3人に声を掛けて講習会を企画した。折り畳み式の作業台、金切はさみ、電動ドリルなどの道具や材料を揃え、優しく教えてくれたので、おばちゃん(私が最年少)でも、2時間余りでちゃんと完成した。
 上面と側面下方に穴を開けたペール缶を縦に二つ繋げて、煙突を通す。側面下方の曲がった煙突が焚口になり、杉っ葉や松葉、小枝を積んで着火。気持ちの良いように燃え始める。燠(おき)ができるまで、煤の煙が出るけれど、燠(おき)ができて温度が高くなると、煙突の途中で2次燃焼がおき、煤は出なくなる。なので、まずは、やかんが煤だらけになることを覚悟して(石鹸で洗えば落ちる)お湯を沸かす。そのうち燠(おき)ができれば、ご飯を炊いたり、スープや煮物や蒸し物をするなど、たぶん、なんでもできる。ケンちゃんの作ったドラム缶のパン焼き窯でパンを焼くことがあるので、手慣れていると思うのだ。
 燠(おき)は火消し壺(私が子どものころ家にあったのは土の壺。今、売っているのは壺というより缶)に入れると炭になるし、灰は肥料になる。
 1台で剪定枝の片つけ、料理、炭、灰と4役もやってくれる。アウトドア気分も味わっているので、5役かも。こうなると、邪魔だった剪定枝が、お宝に見えてきて、けちけち使いそうなので気をつけよう。また秋には枝を払わなくてはいけないだろうから、なくなることはないもの。蚊がブンブン飛び回らないうちに、アウトドアキッチンを楽しもう。

この地球の上で(桜の花・・・そして共謀罪)(2017年5月)

 市民と政党が集って、意見を交わす「市民と政党のつどい」も、7回目を迎えた。難しい話の合間に、ティータイムを設けて頭を休めたらどうだろうと始まったお茶とお菓子のサービス(カンパ制)も、7回目。お菓子作りの担当としては、毎回、60人から80人分のお菓子を、何を作ろうかと楽しみながら悩みながら作っている。今回は42日だったので、桜の花の塩漬けを使うことは決まり。昨年はたしか、今の時期おやおやで売っているのと同じ桜の花クッキーを作ったような気がする。今年は、上に桜の花をのせた小さな小豆入りの蒸しパンにした。66個も作ると花が咲き誇ったようで壮観だった。桜の花の塩漬けは、毎年お隣さんの八重桜を摘ませてもらって、手作りしている。桜のお菓子は期間限定なので、この出番はありがたい。それとカボチャの種入りのアイスボックスクッキーも作った。
 この号が出るころには桜が咲いていることだろう。八重桜はソメイヨシノの後に咲くので、摘ませてもらえる八重桜を見つけて、今年は桜の花の塩漬けを作ってみてはいかがだろう。
<桜の花の塩漬け>
 〇七分咲きの八重桜の花‥‥100g 
 〇塩‥‥3040g 
 〇酢‥‥大匙3くらい
 〇仕上げの塩
 1 花をきれいに洗い、塩を混ぜて重しをして、2日ほど漬ける。
 2 軽く絞って、ペーパータオルで水分を取る。
 3 酢と混ぜて、2日くらい置く。きれいに発色!
 4 ペーパータオルで水分を取って、塩をまぶし、瓶で保存する。
桜の小豆蒸しパン
 〇小麦粉‥‥100g 
 〇ベーキングパウダー‥‥5g(小さじ2) 
 〇水‥‥90
 〇砂糖‥‥10g 
 〇ゆで小豆缶や甘納豆‥‥適量
 1 粉とべーキングパウダーを一緒にふるう。
 2 水、砂糖、小豆を混ぜて小さめの型に入れ、
   塩抜きした桜の花の塩漬け(少し塩気が残っていた方がおいしい)をのせ710分蒸す。

 今回のテーマである共謀罪についてもお伝えしなくては。
 現代の治安維法と言われる共謀罪。まず戦前の治安維持法で逮捕された方たちのドキュメンター「横浜事件を生きて」を見てから、米山秀之弁護士に今回の法案について解説いただいた。従来は、被害が発生した段階で処罰が行われる。
 しかし共謀罪においては、共謀したと捜査機関が認定すれば犯罪が実行されていなくても処罰される。
 そのために盗聴、監視が常態化する可能性がある(政府の通信監視を暴露したエドワード・スノーデン氏によるとネット上のメール、検索、SNSは既にすべてデータが集められているし、サーバーに入ることも可能。IP電話も簡単に盗聴できるらしい。携帯のGPSで位置情報も簡単に調べられる)。
 何をもってテロ集団とするかも定義がない。
 国際組織犯罪防止条約の締結に必要だと政府は言うが、条約は国境を越えた経済犯罪への対処するためのものであってテロ防止のための条約ではないし、テロを防ぐには現行の法律で十分だそうだ。
 では、何のために作ろうとするのか。何を言おうが何を書こうが、思想信条の自由であるはずなのに(憲法で保障されている)、私たちは監視されているかもしれないと委縮して、自由に言いたいこともいえない息苦しい社会に生きたいだろうか。
 桜の花が咲いても憂鬱なのは、花粉症のせいばかりではなさそうだ。

この地球の上で(芽吹き)(2017年3月)

 庭の水仙やチューリップの芽が出て、クリスマスローズの花芽も枯れかかった葉の間から顔を出している。「芽」は、どれも初々しく力に溢れているが、台所のじゃが芋の芽だけは、なんとも厄介だ。おやおやの店先に、鹿児島産の新ジャガが並び始めたので、ヒネジャガを早く食べなければと急かされているようだ。松本ではまだ種イモの植え込みも始まっていないのだから、じっくりいけばいいのだけれど、じゃが芋料理がしたくなった。シチュー、ポテトサラダ、コロッケ、肉じゃがの定番はもちろんのこと、こんなのはいかがだろう。
じゃが芋団子>
 じゃが芋600gを茹でてマッシュする。さめてから、すりつぶし、片栗粉200gを混ぜ、よくこねる。直径3センチの棒状にまとめ、ラップやすだれで形を整える(冷蔵庫で4~5日保存できる)。これを5ミリの厚さに切り、茹でる。炒ったクルミをすりつぶしたもの、砂糖、醤油を水でのばしたクルミだれとの相性は抜群!
じゃが芋(カムジャ)チヂミ
韓国料理店「やんちゃ坊」の張琴順さんの「韓流おかずは野菜がいっぱい」(信濃毎日新聞社)のレシピより。直径241枚分。じゃが芋300gを皮をむいてすりおろす。にら適量を3センチに切り、にんじん適量を3センチ長さの千切りにする。塩少々とじゃが芋に混ぜる。半量をフライパンに入れ、スライスチーズをのせ、もう半量をかぶせて焼く。(チーズを入れなくてもおいしかった)ヤンニョム(つけだれ)醤油、みりん、酢、粉唐辛子(私はコチジャンを使った)、白ゴマなどで作るをつけて食べる。つなぎの粉を入れなくてもモチモチです!
スペイン風オムレツ
 卵4個、塩コショウに、じゃが芋200gをゆでて荒くつぶしたものを加えてフライパンいっぱいに入れ、蓋をして焦げないように両面焼く。グリーンピースやパプリカの微塵切りを入れてもいいかも。ボリュームたっぷりのオムレツです。
・・・他にもじゃが芋ニョッキ、サモサ、じゃが芋のケーキ、じゃが芋パン、フライドポテト、作りたいものが次々に浮かんでくる。
 一日中台所にいたいけれども、そうとばかりもいっていられない。312日は福島第1原発事故から6年の脱原発の集まりとデモ。年間線量20ミリシーベルトで帰還せよと言っているのはおかしい。そこで食べたり飲んだりしてはいけないという放射線管理区域より高い線量の所に帰っていいというのは、どう考えておかしい。319日は塩尻で、市民と野党の共同候補として参議院選で当選した杉尾ひでやさんを迎えての集まり。326日はパーマカルチャーの有機農家、グリーンエネルギー、ごみゼロ、脱石油・地球温暖化防止のための地域づくりなどに取り組んでいる人々のドキュメンタリー映画「Tomorrow」をみる。42日は野党共闘をめざす市民と政党のつどいで平成の治安維持法といわれている共謀罪を考える集まり。45日~9日は、沖縄辺野古大浦湾の海の生物をダイバーたちが撮った写真展。辺野古基地建設の工事は始まってしまった。沖縄に基地を押し付けている私たち本土の人間は、沖縄の人々に、海に住む多様な生物に、思いを寄せ続けたい。
 春の芽吹きの季節の中で、私たちも芽吹いていこう。

この地球上で(安保法制って憲法に反している!だから訴訟)(2017年2月)

 安保法制は憲法に反すると、昨年726日、292名の市民が原告となって長野地裁に控訴がなされた。この23日には口頭弁論が開かれ、いよいよ本格的に裁判が始まった。長野以外に札幌、福島、群馬、さいたま、東京、横浜、京都、大阪、高知、岡山、広島、山口、福岡、長崎、大分、宮崎、鹿児島と全国で一斉に始まっている。私は原告になっているので、陳述書を書かねばならない。戦争体験者であれば、その悲惨さを綴ることもできるのだけれど・・・どう書こうかと先延ばしにしていた。でも戦争体験がなくてもこの法律は、おかしいと言わなければと書いたのが以下の文。
私も声を上げたい!という方!第2次原告団を募集しています。〆切は220日。
「信州安保法制違憲訴訟の会」で検索してみてください。
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 1952年生まれの私は、戦争の悲惨さを直接知らずに育ちました。高校生の時にベトナム戦争を知り、同じ地球の上で、たくさんの人々の命が奪われ傷ついていることを、映画や報道、書籍を通じて知りました。体験しなくても、感じ考えることはできるのです。以来、なぜこのような理不尽なことが起こるのだろうと、50年近く、ずっと考え続けています。
 ベトナム戦争から始まって、日本が参戦した太平洋戦争や第2次世界大戦、最近の2001年アフガン攻撃、2003年イラク戦争まで、知れば知るほど、考えれば考えるほど、戦争は、人を殺し、築き上げてきた暮らしを破壊する、あってはならないものだと思います。すべての人は、命を脅かされることなく、平和の中で育ち、学び、仕事をし、子どもを育て、そして死んでいく権利を有します。国家による戦争でも、集団による武力攻撃でも、人を殺してはならないし、人は殺されてはならない。紛争の解決は、人類の英知を結集して、話し合いや外交で解決していくのが、700万年の歴史を持つ人類の進化ではないでしょうか。
 私は、「戦争放棄」を掲げた憲法を持つこの国に生まれたことを誇りに思っていました。それが、人類の理想のモデルともいうべき平和憲法を踏みにじり、新安保法制が制定されたことによって、私の誇りは崩れ落ちてしまいました。なぜ、平和のうちに生きる権利を侵し、幾多の戦争から学んだ「戦争放棄」を手放した法律ができてしまったのでしょうか。
 高校生の私は、当時、両親と口論しました。今ベトナムで多くの人が殺されているのに、どうしておかしいと声を上げないのかと。両親の答えはこうでした。「自分たちの生活の方が大事で、それどころではない。」そこから、私は学びました。自分の生活が大事なのはわかる。けれど、殺される人だって、生活や命を大事にしていたことは想像を広げればわかるのに自分の生活から目を広げないのは、本当に生きることを真剣に考えない態度であると。今の私だったら、こう考えます。「私」が平和のうちに生きたいのであれば、すべての人が平和のうちに生きることを認めるべきであると。
 新安保法制は、他国が人を殺すことに後方支援し、武器を持って駆けつけ警護をするものです。人の命を奪うことに協力するものです。
 2015919日に新安保法制が成立してから、毎日、私の胸はかきむしられるような思いで、いっぱいです。
 この法律が憲法違反であるという法の裁きを心から願っています。

この地球の上で(2017・お正月)(2017年1月)

 お正月、ただ日付が一日変わるだけなのに、今年は少し心待ちにしていた。一番上の娘が2年ぶりに帰ってくることや、20年ぶりに鴻巣市にある連れ合いのkenちゃんのお姉さんの家を訪ね、九州から引き取られているお母さんに会う予定が立てられていたから。離れている家族に会うのは嬉しい。
 おせちは、何十年も作っていると定番のおせちが決まってくる。毎年作るのは栗きんとん、田作り、数の子、黒豆煮、紅白なます、花れんこんの甘酢漬け、筑前煮、松前漬け。それにおやおやで買った紅白かまぼこ、伊達巻、昆布巻を加える。ここ数年はお頭付き海老の塩焼きやニシンの糀漬けも作っている。一度作って止めたのは錦卵。甘いものだらけのおせちにもう一品増やす必要性はないだろうと判断して。今年は焼き豚も作ってみた。
 私の生家では、大晦日を「お年取り」として元旦よりご馳走が並んだ。用意したおせちを並べ、茶わん蒸しとブリ1匹を親戚と半身ずつ分けて、お刺身と塩焼きにしたもの、それと、とろろご飯を年の数だけお代わりしろと言われたものだ。元旦の朝は。お酒をあまり飲まない家族だったので、お屠蘇はなしで、お茶。そして開運堂のお菓子の詰め合わせから好きなお菓子を選ばせてもらった。御嶽さま(山岳信仰の御嶽教)には、まだ動いている伊勢海老がお供えされ、数日後には煮て食べるのだが、いかんせん、お線香のにおいが染みついていて、わくわくして箸を持った私たち子どもは、いつも期待を裏切られるのだった。
 お餅は毎年、うちの蒸籠、お釜、かまど一式を貸してある友人が臼でついたものを届けてくれる。力のありそうな友人が臼でついたお餅は、形は悪いけれど本当においしい。今年は真ん中の娘が、大鹿村で田植えから稲刈りまで手伝ったもち米が届いたので、キビを混ぜて餅つき機で作ってみた。いつもは、餅つき機で黒豆と青のりを入れたうるち米入りのお餅を作っていたのだけれど、これだと、せっかくの娘のもち米の味がわからないかもしれないと思ったので。
 ついでに生家のことも書くと、年末にはお餅屋さんから大量のお餅が届くとそれは、もうすぐお正月が来るという意味だと子ども頃の私は嬉しかった。大きな四角い、のした白餅、ナマコ型の青のり入りの豆餅、そしてたくさんの丸餅。よく、この丸餅を大小組み合わせてお供え餅にする仕事を言いつかった。生家には、御嶽さまの他に、荒神様、水神様、大黒様、恵比寿様、お便所の神さま、天神様や四柱神社などのいろんな神様を祀ったもの、などのたくさん神棚があったので、お供え餅もたくさん必要だったのである。お餅は、おなかがすいた時に食べ放題だったのも嬉しかったなぁ。
 子どもたちが巣立ってから母は、餅つき機で少しばかりのお餅をついていた。私は呼び出されて、きれいなお供え餅の作り方を伝授された。丸いお餅を下の方に手をあて、両手で回しながら、だんだんと下の方にだれてこないように、上に持ち上げるように丸く形を整えること。お供え餅づくりには自信あり。
 あっという間にお正月休みは終わって、今年が始動している。2017年は、衆議院選があることだろう。憲法を改正ではなく改悪しようとしている勢力に、国会で2/3以上を占めさせない大事な選挙になる。また忙しくなりそうだ。

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