Yakkoのページ 2016年
この地球の上で(現実を直視して行動する)(2016年11月)
お気に入りの黒の礼服が着られなくなって買い替えたのは何年前のことだろうか。
私の町会の班は、ご高齢の方が多くて葬儀に出る機会が多いのだ。確実に体重が増えていることがわかるので、おそろしくて体重計に載らないでいた。つまり、見たくないものを見ようとしないようにしていた。それが、町会の健康づくり推進委員になって、委員が健康診断を受けないのはマズイと、8月に受けてきた。
久しぶりに示された体重とBMI値(体重÷身長÷身長)を目の前に置かれ、測るだけダイエットの用紙を渡されて観念した。以来、毎朝体重計に載り、グラフを書きつけている。数字の上下はあるものの、不思議なことに全体として右下がりのグラフが書き込まれていく。食べる時にグラフが目に浮かび、ちょっと量を控えようと自制が働くからだ。夕食時の炭水化物を控えるといいとわかってきた。昼間は脳が糖を使い、寝ている間は脳が休み内臓が脂質を使って働いているらしいので、理にかなっているかも。
もともとご飯類が大好きで、若い時はお餅を5個食べた、6個食べたと自慢していたし、しょっぱい鮭や干だらをおかずに、おかわりしていた。我慢しすぎるのは良くないので、時たまは朝かお昼に、おかわりすることを自分に許している。このままグラフが右下がりを続けると、またお気に入りの黒のワンピースを着ることができるかもと楽しみにしている、でも、いつまでたってもおなか周りが小さくなった気がしない。(体の他の部分の脂肪から落ちていって、おなかの脂肪が落ちるのは最後らしい。(トホホホ)現実をおそれず直視して解決のために行動すること。 私の体重だったら私ひとりの問題だが、リニアや原発となると私だけではなく子どもや孫の世代にまで問題を引き継がせてしまう。
11月1日、2027年品川―名古屋間の開通をめざして大鹿村でリニア中央新幹線南アルプス工区の起工式が行われた。そもそも時速500キロで移動する必要があるかどうか疑問だけれど、それ以上に南アルプスに穴をあけることの危険性を十分直視しているのだろうか。
地震活動期に入っていると言われている日本列島で、東海地震などの地震が起きた時、断層がたくさんある南アルプスは大丈夫だろうか。運転手のいないリニアで、乗客1000人は5つしかない脱出口から坂道を何キロも歩いて逃げなくてはいけないらしい。水ガメといわれている南アルプスの水脈をトンネルが断ち切ることで、人々の暮らしや生態系に影響が出るだろう。大井川では最大毎秒2トン(毎分だと120トン!)の水が失われるといわれている。東京ドーム46杯分といわれるトンネル掘削で出る残土を運び出すために、大鹿村では一日最大1700台のトラックが行き交う。静かな山あいの村の暮らしは壊され、その残土の置き場も決まっていない。11月11日には、国が財政投融資でリニアのためにJR東海に3兆円が貸し出す法律ができた。人口減少が進むこの国で、採算がとれるのだろうか。私たちの税金は果たして返してもらえるのだろうか。電磁波の健康への影響は大丈夫だろうか。
一度できあがってしまえば、けして元には戻せないのは原発も同じだ。福島第一原発では、いまだ溶け落ちた燃料を回収できずに、放射能の汚染水が垂れ流されている。放射能が子や孫の代に引き継がれていくばかりではなく、コスト(除染費用、賠償費用、廃炉費用)も引き継がれていく。NHKスペシャル廃炉取材班の試算によると、13,3兆円のコストの7割が原発を持っている電力会社(つまり沖縄電力以外のすべて)の電気料金への上乗せや税金として国民が負担させられるのだという。廃炉まで40年。しかし、その難しさが工程を遅らせ延長されていき、さらにコストが膨らむかもしれない。原発を容認してきた国民につけを負担してもらうという政府関係者の発言まであった。(詳しくはNHKオンデマンドで「廃炉への道2016調査報告 膨らむコスト~誰がどう負担していくか~」をご覧ください)
リニアや原発も政府が進めるのは、経済成長戦略として海外に売りたいためらしい。経済成長はもういい。今あるものを分かち合って、みんなで心豊かに暮らす社会にシフトしていきたい。そのために、まず現実を直視して行動したい。
この地球の上で(チベット・アイヌー奪われしもの)(2016年10月)
やっと庭がきれいになった。暑い時は蚊が多くて、とても庭に出る気にはなれなかったので、手をつけられて嬉しい。桃、木蓮、松の枝を切り、トマトやピーマンを片つけ、腐食してボロボロになった木製の柵をコンクリート製に取り換え、はびこっているブラックベリーやアイビーを切り、ホトトギスを抜いた。あちこちに生えているシソは実を収穫して味噌漬けに。凝りだすと丁寧に仕事をする下の娘は、2時間もかけて10個ほどのコンクリートグロックを、カーブをつけてきれいに並べてくれた。納得がいくまで丁寧にやる彼女は、図工の時間はいつも時間が足りなくて完成しなかったそうだ。その話を聞いて、こと芸術系では「授業」という時間の枠があったり、時間内でカリキュラムをこなさなければいけないというのはおかしなことかもしれないと思った。アオツヅラフジもはびこっていて、ツルは何か編めるかもしれないととって置くことにする。パンジーとガーデンシクラメンを植えて、ひとまず終了。
9月初めの大鹿村のお祭りに行って以来、今年はあちこち参加することが多かった。その一つに入山辺・桜清水のキャンプ場で開かれた「キキソソ・チベットまつり」がある。「キキソソ!ラーギャロー!」(山や川などの神々を讃える叫び声・チベット語)と叫んでツァンパ(大麦の炒った粉のことでチベット人々の主食・麦こがし)を空に投げ、捧げて、お祭りが始まった。中国のチベット侵攻によってチベット文化が壊されることに危機感を抱いた人々が世界中に亡命している。日本にも日本人と結婚して住み着いた人たちが暮らしている。このお祭りを楽しみに日本中からチベットの人や、チベットに心を寄せる日本人が集まった。チベットの歌・踊り、松本界隈の若いアーティストの音楽、チベット医学の話、二度とチベットの土を踏むことがないであろう亡命チベット人のために、中国の支配下にあるチベットからインド・ダラムサラに2tの土を運ぶというプロジェクトを思いついた米国在住のチベット人のドキュメンタリー「ブリンギング・チベット・ホーム」の上映、そしてチベットと同様に奪われ失われつつあるアイヌ文化の担い手・OKIのトンコリ(アイヌの弦楽器)。チベットの歌では、木曽節のように森や草原を超えて遠くまで響くような歌い方が好きだ。お祭り中は、ほとんど雨だったけれどカフェ・マヤのテントの下で、みんなで買ってきては分けっこしたチベッタン・モモ(小龍包に似ている)、シャパレ(ひき肉が詰まった大きな揚げ餃子みたいなの)を食べ、バター茶を飲んだ。外食ばかりしていると出費がかさむので、又カセットコンロを持ち込んで味噌煮込みうどんやミネストローネも作ってシェア。そして雨の中、かっぱを着て踊る。
最近、池澤夏樹の歴史小説「静かな大地」を読んだ。明治政府ができて誰のものでもなかった北海道=アイヌモシリは和人のものとなった。物語は、明治維新によって士族が廃止された淡路島の侍たちが、北海道開拓を命じられ移住するところから始まる。アイヌは未開の土人として差別され文化を否定され、日本人と同化させられてきた。(土人保護法という法律が廃止されたのはつい最近の1997年)主人公の元士族の若い息子はアイヌの側に立ち、共に牧場を切り開き経営し、うまくいくのだけれど、人々の妬みなどによって悲惨な結末を迎えるという物語に、アイヌの文化が織り込まれている。アイヌの神さまは、必要なものを必要なだけくれるという。でもこれは、欲を出して必要以上のものを欲しがらないという但し書き付き。和人が来て、鉄砲でたくさんの鹿を殺して鹿肉の缶詰を売った。鹿を食べるからと狼を絶滅させた。川の鮭も乱獲した。そして、狩猟採集生活のアイヌが鹿や鮭をとることを禁じた。アイヌの名前を日本の名前に変えさせ、アイヌ語を使うことを禁じた。(朝鮮半島でも同じことを日本はしている)連れ合いのケンちゃんはチセを作る人だった。チセとは家のこと。アイヌ文化を継承する人に出会って、すべてを取り尽さないそのやり方に惚れ込み、ヨシと木と柳だけで作るポン(小さいという意味)チセをあちこちに作りに行っていた。東京の児童館や小学校にも作りに行っていたっけ。建築業に関わっていたケンちゃんは、現代の家が自然に還らない資材でできていることに嫌気がさし、すべて自然に還るチセに出会ってこれだと思ったそうだ。真ん中にアペ(火)フチ(おばあさん)カムイ(神)の炉を作り、生まれて間もない子どもと1か月間、チセで暮らしたこともある。
ケンちゃんの思い出話も出たことだし、剪定した枝もたまっているので、今度の休みには、きれいになった庭で、ケンちゃんの作ったドラム缶パン焼き窯でパンを焼こうと思う。
この地球の上で(地球が僕らを愛しているように僕らは地球を愛しているか)(2016年9月)
干した寝袋や雨具を取り込んで、原稿に向かっている。
9月の初めの土日、大鹿村・鳥ガ池キャンプ場に行ってきた。
友人たちの企画するおまつりは、いつもキャンプインしながらのもの。ティピ(アメリカ先住民の円錐形テント)をステージに、広場では火が焚かれ、周りには手作りのお店が並ぶ。畑でとれた野菜、炭、手作りの服、おやおやでも扱っているカフェ・マヤのコーヒー屋、茹でトウモロコシ、すいか、スィーツ、畑のトマトで作ったソースのスパゲティ屋、高キビで作った担々麺風のご飯、かき揚丼屋、5歳の子が焼いた卵焼きなどなど。
私はカセットコンロを持って行って自炊だったので、お買い物はあまりしなかったけれど、友人たちが「おいしいよ!」と一口食べさせてくれた。私の作ったエビピラフや玉子サンドを配ったり、右隣のテントのチベット人が、のびたラーメンやチャイをご馳走してくれたり、左隣のテントからはリンゴをもらったり。分かち合うって楽しい。
今回の私のお目当ては、ご機嫌な音楽はもちろんのこと、京都から来た守田敏也さんのお話と東京から来た坂田昌子さんのお話し。
守田さんのテーマは「脱被ばく・平和」。最近は危機管理について話すことが多いという。―最近は熊本地震で震度7が続いておきたり、台風10号が八丈島近海で発生し、西に進んでいたものがUターンして 直接東北に上陸するという観測史上初めてということがおきて、激甚災害が増えている。(前にNHKスペシャルで気候が極端化しているという特集もやっていた。雨が降るとなると大雨、降らないといったら降らない、というように)だから今やるべきことは、集団的自衛権でアメリカと一緒に戦争をすることではない。海岸線の長い日本は防衛しきれるものではないし、立ち並ぶ原発を攻撃されたらひとたまりもない。隣国とは仲良くやっていくしかない。
自衛隊は災害救助隊になればいい。アメリカが「世界の警察」と称して軍隊を送るのならば、日本は「世界の消防隊」となって、災害救助に駆けつければ世界の人々から尊敬される。地震の多発、気候変動の今、この方が、ずっとリアルだ。自衛隊の迷彩色の制服は、被災地に行っても被災者には見えにくい。(被災現場の中継をTVで見ていた娘が「自衛隊どこにいるかわからないね」と言った)何しろ敵から隠れるための色だから。まずはあれを目立つオレンジ色にしたらいい。―まったく大賛成!
坂田さんは、高尾山の自然を守るNGO虔十の会(ケンジュウノカイ)代表で、「生物多様性とリニア」という題で話された。―生物多様性とは、ある一種類の種の絶滅だけを問題にするのではない。例えば新潟のトキ。トキが絶滅しそうなのは、田んぼからフナやドジョウが農薬でいなくなったから。トキだけ保護しても、その生きる環境が壊れたままでは無意味。今、佐渡の人々はそのことに気が付いて、フナやドジョウがいる田んぼ作りに取り組んでいる。生き物は関わりあって生きている。
人間の開発のせいで、もうすでに九州や四国からはツキノワグマがいなくなり、そこら中にいたアカハライモリは、関東では絶滅しかかっている。
日本はフィンランドに次いで世界第2位の森林大国。その森を育んでいるのが水。南アルプスに大きな穴をあけることで、水が枯渇する。80%の水が失われることで何が引き起こされるのだろう、人間の体から80%の水が失われたらと想像してほしい。生物多様性の観点からもリニアには反対だ。―大井川の水量が毎秒2トン減ると試算されている。これって、一日で2880トン!人々の暮らしの観点からも、危機管理の観点からも、経済・財政の観点からもリニアは不必要なものだと思う。大鹿村にはトンネルの坑口が作られ、残土を運び出すために1日最大1736台のダンプが行きかうことになる。自然と共に生きることを選んだ多くの移住者がいる村であるのに。
最後に、大鹿村のミュージシャン・内田ボブの歌を!
♪地球が僕らを愛しているように、僕らは地球を愛しているか♪
この地球の上で(2016参議院選終わる)(2016年8月)
2016年参議院選長野県区は、市民と野党が推す杉尾ひでやさんが当選を果たした。嬉しい。でも、手放しで喜べないのは、与党が改憲をあえて選挙の争点にせず、結果的に議席の2/3をとったことで、国会で改憲の発議が可能になってしまったからだ。
沖縄では沖縄・北方担当大臣の島尻安伊子さん(辺野古の県外移設の公約を破って真逆に転じ、基地建設反対する市民の取り締まり強化を国会に提案するなど、沖縄に軍事負担を強要する側に立っていた)が落選し、元宜野湾市長の伊波洋一さんが当選し、これで沖縄の衆参両院議員は6名すべて辺野古基地建設に反対する人々で占められることになった。喜びのカチャーシー(沖縄の手踊り)が、ネット上ですぐに流れていた。と、その喜びは束の間、一夜明けた9時間後には、沖縄北部高江に計画されているヘリパット(ヘリコプター基地といっておきながら実際はオスプレイの基地になる)に機動隊と大型車両が入り、建設の準備を始めた。やんばるの集落を囲むように作られる基地は、オスプレイの騒音と墜落の恐怖にさらされる。人々が大型トラックの前にしがみつき、必死に止めようとする。沖縄の民意を踏みにじる、この仕打ちに、動画を見ていて涙が出てきた。(動画は「マガジン9」で検索、「三上智恵の沖縄辺野古撮影日記」へ)
東京選挙区では、3月初めの時点で選挙に出ないと表明していた三宅洋平が、公示8日前に突然立候補を表明。自民党改憲草案を読んで、これは危ないと思ったそうだ。テーマは「自分らしくあれる社会」。
憲法13条には、「すべての国民は、個人として尊重される」と書かれている。英文では「All of the people shall be respected as individuals」。これが自民党改憲草案では「全て国民は、人として尊重される」。どこが違うのか。「個人」が「人」に変わるだけで、大した違いはないとお思いだろうか。英語のindividualは、集団に対する個人、それぞれに個性を持つ人間を指す。みんなとは違う考えを持ったり、隣の人と違う服装をしたり、が認められる個人。続く13条は「生命、自由及び、幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」つまり、「幸福追求権」と呼ばれているこの条項は、みんなの幸せに反さない限り、自分の幸せや自由を、自分らしく追求してもいいんだよと、いうこと。自民党草案では「公共の福祉に反しない限り」(みんなの幸せ)の代わりに「公益および公の秩序に反しない限り」となり、政府の都合で制限されることになってしまう。・・戦中の「贅沢は敵だ」と、お国のためにおしゃれも禁じられたことを連想しませんか?戦争はいやだと思いつつ、戦争に協力させられたことを連想しませんか?・・・
三宅洋平の応援演説には、女性装をしてトランスジェンダー(心と体の性が一致しない)だとカミングアウトしている東大教授・安富歩さんが、「一人一人が非暴力でアートに生きよう」、80歳になる音楽評論家の湯川れいこさんは、「戦争体験者として戦争への道をすすまない」、松本在住の小出裕章さんはメッセージとして「誰も私の代表にはなれないので、(代表制民主主義の)選挙の応援はしない。けれど東京都民だったら三宅さんに入れる。」などと多彩な顔ぶれだった。本人もロン毛、ひげ、Tシャツ(たまには襟付きシャツも着ていた)、裸足(たまには靴を履いていた)で、自分のスタイルを貫き通した。街頭での選挙フェスには、1万人が埋め尽くす人だかりだったけれど、準備期間が短すぎて25万7000票で落選した。「STOP改憲2/3議席」「脱被ばく」「消費税やめて富裕税を」に共感したので、残念だ。
選挙後も学びは続く。7月12日には、毎月1回開かれている「新安保法制に反対する信州大学人の会」に参加した。イスラム研究の第一人者・板垣雄三さんのお話は、戦後の中東を中心とした世界情勢と日本で起きたことを時系列でみていくと、日本が戦争に関わらなかったというのは大間違いで、のっぺらぼうな戦後史ではなかったこと、軍産複合体のために何かが仕掛けられて戦争の種がまかれ続け、「反テロ戦争」の名のもとに市民が殺されていく、というものだった。
7月24日には「積極的永世非武装中立宣言」をして軍隊をすてたコスタリカのお話を聞く。ふだんの努力を続けていこう。
この地球の上で(参議院選近し)(2016年6月)
6月12日、国会も終わって実質的に参議院選に入った日曜日、松本駅前に安倍首相が来るというお知らせが入った。飯田市から始まって上田市までの県下横断遊説らしい。友人曰く「山越え谷超えて東京まで行かなくても、向こうから来てくれる。」
この日は、町会の用事があったけれど、中座させてもらって駅前に行ってきた。模造紙いっぱいに、道行く人が読んでくれるように(安倍さんの目には入らないだろうからね)意見を書いて持って行った。皆さんが、一番興味があるという景気をテーマにした。アベノミクス×(ばつ)と、大企業からの富が滴り落ちてくるというトリクルダウンを大きな口を開けて待っていても滴り落ちてこない絵に吹き出しで「国民年金6万5000円で暮らせるの?」「非正規の親を持つ子どもは進学できない」「武器を売って、原発を動かして作られる豊かさって何?」若い男の人がこれを見て、「ダメノミクスだよね」と声を掛けてくれた。そう書けばよかったかも。
松本駅前は支持者やスマホを持った野次馬に加えて、黒服のSPやスタッフ札の人がいっぱいだった。後ろの方に控えめに立っていると、スタッフ札の男性が2人、模造紙が見えないように立ちふさぐ。動くと慌てて彼らも移動する。まるで、イタチごっこだったけれど、こちらが先にイタチごっこ遊びに飽きてしまった。大の大人のすることじゃない。年配の男性から「日本から出ていけ!」と言われた。若い友人は「日本人か」と言われた。自分と意見が違うものを排除しようとするこの言い方は、政府に批判的なものを「在日」と呼び攻撃するヘイトスピーチと同じ線上にある。これが行き過ぎると、16日の英下院議員ジョー・コックスさん銃殺にもなってしまう。ここには小競り合いをするために来たわけではないので、無視した。
どう見てもおばちゃんの友人が金子兜太書「アベ政治は許せない」を持って立っていると、会場を巡回していた松本選出某国会議員に「なにかしたらお巡りさんに言いつけるからね」と言われたそうだ。彼は憲法21条「表現の自由」を知らないのかな。自民党改憲草案によると、表現の自由は政府の都合で制限されてしまうけれど、まだ改憲などされていない。
18日の澤地久枝さんと落合恵子さんの講演会場前では、チラシ配りをした。金子兜太書「アベ政治は許せない」スタンディング提唱者の澤地久枝さんの講演会なので、チラシの受け取りがよかった。
翌日19日には市民グループ「希望・長野ネット」のおばさん6人おじいさん1人が街に繰り出して、おかっぱ頭の女の子「黙っていられないちゃん」が「選挙があるよ 投票行こうよ」と呼び掛けているかわいいのぼり旗を立て、風船を持ち、ハンドマイクを持ってスピーチをした。台本なしのぶっつけ本番で「皆さん、アベノミクスはうまくいっていると思いますか?」「ねぇ、そのアベノミックスジュースって、おいしいの?」「添加物だらけでおいしくありません」なんて漫才風に喋るのだから、おばさんはあなどれない。選挙の風を吹かすことができたなら、いいのだけれど。
7月10日の参議院選を大事に思っている。70年間、戦争で誰一人殺されず誰一人殺さなかったこの国が、昨年成立した安全保障関連法で他国の戦争に参加できるようになり、その可能性ができてしまった。それを廃止にしたい。そして、30年たった時(私は生きてはいないだろう)に、この国は100年間誰一人殺さず殺さなかったと誇れる国になってほしい。そんな未来を子どもたちに手渡したい。参議院選で、自民党は改憲を争点にしていないけれど、自公で議席の3分の2をとったら、改憲に手を付けるはず。まだ自民党改憲草案をご覧になっていない方は、参議院選の前に是非目を通しておいてくださいますように!
この地球の上で(夢や信じる力があれば大丈夫)(2016年5月)
今年の連休は、駆け足のようにどんどん過ぎていく春に追われるように、ヨモギ団子やヨモギケーキを作ったり、狭い庭にトマト、ピーマンなどの苗を植え、バジルの種を播いたりした。
一番うれしかったことは、北杜市で行われた「春風めぐる」ツアーのライブに行ったこと。大鹿村の歌い手・内田ボブと諏訪瀬島の詩人・ナーガ(長沢哲夫)が組んで、毎年春に各地を回っているのだけれど、なかなかタイミングが合わなくて10何年かぶりに、やっと参加できた。
その少し前に、北杜市の友人から久松重光さんの訃報の電話があり、その時「春風めぐる」のライブを知ったのだ。以前、日本版白熱教室でおなじみの千葉大学の小林正弥さんが来松して講演会があった時に、それに参加した久松さんが松本で平和運動をしている人に会いたいということで、友人から紹介されたことがある。だから友人は、私と久松さんが旧知の仲だと思って訃報を知らせてくれたのだが、久松さんが勧めてくれた小林正弥さんのやっている「地球公共平和ネットワーク」のMLのあまりのメールの多さに辟易して、早々に辞めてしまったりで、久松さんとはあまり交流がなかったのだが、2011年以降久松さんが福島で、高濃度放射能汚染地区で線量測定に関わっていたことを知った。心疾患での突然死ということなので、放射能に起因するものであるという疑いはぬぐえない。
とにかく久松さんの訃報を聞いたことで、このライブにはどうしても行かなくっちゃと思った。大好きな友人たち、縁ある友人たちに、会える時に会っておきたいという気持ちが強くなったから。
会場の「蔵屋グリーンズ」さんは、フェアトレード商品やおやおやのような無添加食品を扱うお店で、裏には気持ちのいい林がある。(店主夫妻は、今難病の子どもたちの保養所建設や管理に関わっているので、どうやら店は無人販売所と化しているらしい。)その林の中に、テンペ屋、天然酵母のパン屋、手作り石けん屋などが並びミニ・マルシェができていた。
何より今回嬉しかったのは、白血病を患っていた教子ちゃんが無事退院して、すばらしい歌声を聞かせてくれたこと。彼女はお連れ合いと「アマナ」というバンドをやっていて、あちこちのアース・ディなどで活躍している。私の連れ合いが、具合が悪かった時には北相木村から駆けつけてくれて、テルミーという温熱療法を施してくれたり、私がアフガニスタン支援をしている時には、イスラム関連の取材をしているフリージャーナリストの家まで案内してくれたりした。白血病になったと聞いた時には信じられなかったけれど、前向きの姿勢の教子ちゃんの病室は、感染予防のための面会謝絶の部屋であっても、看護士さんがこの部屋に来るとほっとするというほど良い気に満ちていたという。
他にも最近「急性大動脈解離」で、救急車で運ばれた友人や、癌の友人、みんなの元気な顔に会うことができてよかった。
その夜は、あこがれの山暮らしを始めている友人宅に泊めてらう。カメラマンだったくまさんは、今では「くまのパンや」。チェコ生まれのイエルカ作の特大薪ストーブで、おいしいパンを焼く。麦を発芽させ砕いてレーズン酵母で焼いたパンは、本当においしかった。娘がパンの上に「PEACE」と文字をいれさせてもらうというおまけ付き。翌日は、お隣の作道さんの家を見せてもらう。カナダ在住の息子さんが送ってくれたというカナダの古民家の材を使ってほとんど一人で建てたという家は立派すぎる。そして、作道さんのお年は72歳!今度はバーベキューハウスを作るのだと整地中だ。
病気になっても、年をとっても、夢や信じる力があれば大丈夫と思える旅だった。
今、失業中の娘は大鹿村に長靴、モンペ、麦わら帽子をもって旅立った。いい旅を!
この地球の上で(春)(2016年4月)
4月1日に桜の開花宣言がでて以来、あれよあれよと花々が咲いていった。ピンクの桜、芝桜、桃、黄色い水仙、レンギョウ、タンポポ、菜の花、紫のヒヤシンス、ムスカリ、白のコブシ、ユキヤナギ、赤のボケ、チューリップ。うちや、およその庭を眺めながら、なんて華やかなの!と、うっとり。お花見は家族全員休みの日に雨が降って、行きそびれてしまった。(でも温泉に行った)こんな年もあるのだろう。
この春、嬉しかったことは、今夏の参議院選で全野党の統一候補予定者が決まったこと。共同テーブルが開かれ、①安保法制の廃止、集団的自衛権の行使容認の撤回、立憲主義の回復②安倍政権の打倒③安倍政権による憲法改悪阻止④格差社会の是正の4項目について、立候補予定者の杉尾ひでやさん、民進党、共産党、社民党が協定書の署名するのに、市民として立ち会ってきた。民進党と共産党が同じテーブルに着くなんて、前代未聞のこと。それは、政治がそれだけ危機に瀕していることを意味し、本気で参議院選に向かう心意気を表していると思う。
そして、4月3日には杉尾ひでやさんのお話と、全野党と市民が意見を交わす集いを持つことができた。途中ちょっと一休みのティータイムのお菓子作りを、今回も担当した。漬けただけで死蔵している桜の花の塩漬けを、この際一気に使ってしまおうと桜の花クッキーとココナッツクッキーを焼いた。お手伝いに来てくれた美雪ちゃんが桜型を抜き、私が塩抜きした桜の花の形を整えてのせる、をえんえんと繰り返し200個以上は焼いた。塩味のチーズクラッカーも焼いた。友人が作った野沢菜の菜の花と蕪、柚子の一夜漬けやパウンドケーキも所狭しと並べられ、市民グループ「希望・長野ネット」の集いのお茶の時間は、名物になりつつあるかも?(集いのお話はYou Tubeで見られます。「市民と政党のつどい第3弾」で検索を!)
それから、友人の金井奈津子さんが、信毎のタウン情報紙に連載していた「憲法をお茶の間に」が、今度装いも新たに1冊の本になる。その名も「幸せのための憲法レッスン」(かもがわ出版)憲法記念日の前に出るそうなので、今から楽しみ。
少し前に、石川県に住む水野スウさんの憲法のお話し会を松本おかんの会が開いてくれた。私は仕事で出席できなかったけれど、参加した人がスウさんの「けんぽうBOOK」を買ってきてくださった。私という、かけがえのない存在を憲法が守ってくれるという、とても優しい語り口の本。スウさんは、チェルノブイリ原発事故後、お便りを出していて当時からお名前を知っていた。まだお会いしたことはないけれど、今も、時代を感じ取り、考えていることがとても嬉しかった。
先日は、飯島町・風の谷絵本館の和恵さんが、静岡県に住む馬場利子さんのブックレット「誰のための憲法改『正』?」(地湧社)を送ってくれた。馬場さんは、チェルノブイリ原発事故後に「浜松放射能汚染測定室」を開き、福島原発事故後には、「静岡放射能汚染測定室」を開設したという。いのちと暮らしを守る活動の中で、市民の意見が政策立案にどうやったら反映させられるかを見つけたくて、大学の法学部に入学し直したという経歴の持ち主の馬場さんが、2012年に発表された憲法改正・自民党草案を読み込んで作られたのが、このブックレットだ。私も憲法メダカの学校と称して、友人たちと週に1回10ヶ月かけて読み込んだことがあるけれど、学んだことを次へと手渡すことに至らなかったので、こうして1冊の本として、誰でも読めるようにしてもらったことが嬉しい。
発信する熱い女たちに触発されて、私も「私からあなたへの手紙」を書いてみた。ふだん、憲法や政治を遠いと感じている人にも、憲法や安保関連法のことを伝えたいなぁと、カットも入れて読みやすいコンパクトなものにした。お手元に届いたら、どうぞ、読んでください。
ソメイヨシノは、散ってしまったけれど、八重桜は、これから。また桜の花の塩漬けを作らなくっちゃ。
この地球の上で(福島第一原発事故から5年)(2016年3月)
今年の脱原発信州ネットワーク・松本の集会宣言を書くように言われたので、思いのたけを込めて、こんなふうに書きました。
ここには書ききれなかったけれど、福島原発告訴団の刑事告発を、検察庁が不起訴としたものの、市民からなる検察審議会は強制起訴を決めました。福島原発事故の責任を問う裁判が、ついに今年から始まることになります。どうぞ、ご注目ください。
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2011年3月11日のあの日から、5年が経ちました。
でも、5年という年月は、半減期の長い放射性物質を前にすると、まだまだ収束とはほど遠いものです。いまだ避難している人々は11万人以上に上っています。
そんな中、国は、避難指示区域の解除を進め、支援や賠償を打ち切り、被害があたかもなかったかのようにする動きを進めています。福島県では、借り上げ住宅制度による、自主避難者への無償の住宅供与を2017年3月で打ち切る方針です。年間20m㏜以下だから帰れというわけですが、国の現在の法令では、一般の人の年間限度線量は1 m㏜であり、放射線管理区域でも5.2 m㏜という基準があります。ですから、この20mSvは被爆せよと言っているのと同じです。事故後から今までに104人の子どもたちに甲状腺癌が見つかっています。
福島では、除染した土を入れた「フレコンバッグ」が大地を覆いつくしています。
最近報道が少なくなっている福島第一原発の事故現場はどうなっているのでしょうか。汚染水がひたすら漏れ続け、溶け落ちた燃料(デブリ)がどこにあるのか、内部はどのような状態であるか不明なままであることだけは確かです。そして事故原因も解明されていません。
原子力発電を進めてきた国や電力会社の罪は一切問われないまま、大多数の人々が反対する中、原発は再び稼働させられてしまいました。昨年には九州電力の川内原発1・2号機を、今年の1月には関西電力高浜原発3号機を再稼働しました。そして2月には高浜原発4号機も再稼働しましたが、3日後には緊急自動停止するという事態が起こっています。高浜原発3・4号機は、プルトニウムとウランの混合酸化物(MOX)燃料を使う危険きわまりないプルサーマル発電であり、使用済み核燃料の最終処分方法も決まっていない状態での見切り発車です。
次は、四国電力の伊方原発が再稼働させられそうです。また、経団連は原子力規制委員会に対し、東京電力の柏崎刈羽原発を早期に再稼働できることを求めています。
原発には「絶対安全」ということがないことを、大勢の被害者を生み出した福島第一原発事故が証明しました。それにも関わらず、国や電力会社はいまだ原発にしがみついています。
でも、私たちは原発のない社会に生きることを、これからも望み続けます。
私たちは、けっしてフクシマを忘れません。
私たちは、原発の再稼働を許しません。
私たちは、すべての原発をなくすまで、あきらめません。
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これを書いた後、3・11を2日前にした9日、大津地裁が高浜原発3・4号機の運転差し止め仮処分という嬉しいニュースが飛び込んできました。住民らの人権が侵害される恐れがあるという、まっとうな判決です。11日は伊方原発に対して「被爆地ヒロシマは被爆を拒否する!」と提訴がヒロシマから、なされます。
この地球の上で(雪の日の風景)(2016年2月)
暮れからお正月にかけては暖かく、湯たんぽも使わないくらいだったのに、ちゃんと寒さも雪も訪れた。大雪は、雪かきが厄介で腰や肩が痛いと文句ばかり出てしまうけれど、雪のある風景の中でしか、出会えないことがある。
今年の雪のある風景から
(シーン1)1月18日の雪の翌日は、よく凍みて道がツルツルだった。その道を、向こうから手を引かれて、ディサービスに行くのか、おばあさんが歩いていた。転びませんようにと見ていたら、その見ず知らずのおばあさんが、私に向かって手を大きく振って「おはよう!」こちらも思わずにっこりして「おはようございます。」
(シーン2)その日の帰り道。道の真ん中(歩道のない道)で、おばあさんがしゃがんでいる。どうしたのかと近寄ると、滑って転んだ拍子に、お財布の小銭が道に散らばったという。向こうからやってきたトラックのお兄ちゃんも降りてきて、みんなで拾った。新雪の上に落としたのでなくて、よかった、よかった。
(シーン3)さてと、私も転ばないようにと気を付けて歩いていたのに、自動車を避けて、足を着いたところが、凍っていた。オットトと踏ん張った。なのに、某ハンバーガーチェーン店の前の歩道で転んだ。雪が降った時に雪かきをしてあるところは、翌日凍らない。歩いていると、雪かきをしてある所としていない所の差が歴然としていることに否が応でも気がついてしまうのだ。店の駐車場は雪かきしているのに、その前の歩道の雪かきをしている所としていない所。歩道は敷地内ではないけれど、「社会的貢献」という概念をその企業が持っているかいないかの指標になってしまうなぁ。
(シーン4)何とか自転車で通勤できるようになったある日。橋およびその周辺の歩道は、誰も雪かきをしない。したがって道は人が一人やっと通れるくらい。自転車を引いて上ろうとする私。向こうからは自転車を引いて下りようとする若い男性。どうしようかなと考えていると、その人は、端に寄って、片手で自転車を持ち上げ、片手で「どうぞ!」のしぐさ。その当たり前のような軽々とした動作に感動した。こんなことに出会えるなら、雪も悪くない。
先月末だったろうか。降ったのが雪ではなく、雨でやれやれと思っていたところ、標高の高い扉温泉や清水高原では、雨が地表近くの低温で樹木の枝にあたって凍る「雨氷」という気象現象で、枝が折れ道路は不通になり、停電という事態が起きていた。寒い時期の停電は大変だったことだろう。
停電になったらというシミュレーションは、しておいた方がいいかもしれない。ファンヒーターではないストーブはある。電気こたつは、今年は厚めのアルミ下敷きと、ふかふかのこたつ下掛けをプラスしてあるので、湯たんぽを中に入れれば十分暖かいだろう。懐中電灯(電池のストックをぬかりなく)、ろうそく、灯油ランプはある。ガスがあれば、電気炊飯器がなくてもご飯は炊ける。凍結防止ヒーターが使えないので、蛇口の水はチョロチョロ出しておかねば。冬は冷蔵庫が使えなくても不便はないだろう。お風呂は使えない。電話機、パソコン、TVも使えない。非常用の蓄電池付きポータブルソーラーは、それなりの値段がするので、どうしようかな、なのだけれど、娘用のソーラーパネル付きの携帯電話用の充電器だったら買える。・・・などと、つらつらと考える。備えあれば憂いなし。
そうこうしているうちに、立春は過ぎ、日に日に日差しが力を増してきた。少しずつではあるけれど、雪は融けつつある。もう大雪が降りませんように。
この地球の上で(2916新しい年の初めに)(2016年1月)
新しい年が始まった。
毎月3日「アベ政治を許せない」のポスターを掲げるスタンディング。今年はお正月3が日の中で始まった。元京都大学の小出裕章さんは毎回参加で、もちろん今回も参加。お正月中なので、帰省中の小学生の孫と来た人、高校生の娘さんと遠く埼玉から来た人、大学生とその両親という一家総出で来た人などを含めて50人ほどが松本駅前に立った。私は、ちょっとお正月らしくとフリージアを買っていった。
今年は7月に参議院選が控えている。憲法違反の安保法制を成立させ、福島原発事故もまだまだ続く中、原発を再稼働させている現政権に終止符を打ちたい。長野県区は定数が2人から1人になったので、全野党が協力し合って候補者を1人に絞って参議院選に向かってほしいという市民の声を集め届ける活動に、昨年後半は関わってきた。今年も、「希望・長野」という市民グループとして、1月24日(日)に市民と全野党が意見を交わす「市民と政党・新春のつどい」を企画している。女鳥羽川沿いの商工会館601にて13:30~参加費500円。(誰でもご参加いただけるけれど、会場が狭いので先着100人。つどいの途中のティータイムのお茶菓子作りは私が担当)
アベさんは、憲法改正も狙っている。どう変えたいのかは、自民党改憲草案を読んでほしい。一人で読もうとすると、見ただけでうんざりするので、私は10人ほどで「憲法メダカの学校」と称して週一度集まり、丁寧に読み込んだことがある。だれが生徒か先生か方式で、みんなで自由に意見を述べ合って、わかったことは、一人ひとりが表現・思想・信条の自由を持ち人権を尊重される「個人」から、「国」のための「人」に変容させられることであり、自衛隊は「軍」になり、戦争になったら緊急事態が発令されるということ。戦後レジュームから脱却して、どこに向かうのか。まるで戦前への回帰だ。
いまだ「竹島だ、尖閣諸島だ、日本を守らねば」と言っている人たちがいる。アメリカは同盟国である韓国と日本の対立を避けさせる方に動くだろうし、中国はいまや、アメリカに次ぐ第2の輸出相手国であり、「爆買い」や観光の大事なお客さま。敵対するのではなく、友好を深めるしかないだろう。
今回の安保法制の真の狙いは、地球の裏側までいって国連軍に参加できるようにすることで、国連の常任理事国入りをしたいのだと、昨年12月に一橋大学の鵜飼哲さん(専門はフランス文学思想)から聞いた。日本とフランスは急接近しているが、これは常任国入りのためにフランスの票を得たいということらしい。
1月4日の年頭記者会見でアベさんは、「緊急事態条項」を憲法に新設することを軸に改憲を参議院選の争点にしたいと表明した。多発する自然災害や「テロ」に対処するといえば、反対が根強い9条改正よりも、国民の理解が得やすいと考えたのだろう。しかし、緊急事態条項というのは、有事や災害の際、時の内閣が発する法律と同じ効力を持つ政令に、何人(なんびと)も従わなくてはいけないというもの。国会の承認もなしに法律のようなものが作られるという民主主義も何もあったものではない、独裁的性格を帯びたものだ。一人ひとりの人権はそこにはない。
そして、この緊急事態条項の新設というのは、戦争とはいえないような「対テロ戦争」に参加していくことを、念頭に置いているのだろうか。ちょうどフランスも時限付きの非常事態法(現在は2月まで)を緊急事態条項として恒久的な憲法に盛り込もうとしているのは、単なる偶然だろうか。
「見ザル聞かザル言わザル」の年にせず、「よく見て、よく聞いて、よく話す(+よく考え、よく感じる)」年にしていこう。