Yakkoのページ  2011年

この地球の上で&四季の台所

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この地球の上で(飯館村・長谷川健一さんの話)(2011年12月)

 この12月10日、全村が計画的避難区域に指定された福島県飯館村で牛50頭を飼っていた酪農家・長谷川健一さんが、長野市まで話に来た。いま飯館村では、酪農を営む農家はいない。牛が飼えなくなった長谷川さんは、飯館村で何が起こったのかを全国を飛び回って話をしている。先月はドイツまで行ってきたそうだ。私が聞いてきた話をシェアしていただきたいと思う。

―飯館村は、福島第一原発から30qから45qのところに位置する村民6200人の村だ。75%が山林で、農業は酪農、米、葉タバコで成り立っている。平成の大合併では、背伸びはしない、あるものでやっていこうと、合併せずに「までいな村作り」をめざし「日本一美しい村」に認定された。

 そして3月11日の地震。畑の土が波のように揺れたが、建物の被害は小さかった。津波に会った人々が1200人避難してきた。本気で被災者のケアをした。牛乳を温めて飲んでもらい。イノシシ鍋をふるまった。停電して搾乳機が使えないので自家発電機で牛乳を搾った。その発電機でTVを見ると、原発の様子がおかしい。役場に放射線量を問い合わせると40μ㏜(マイクロシーベルト)/hを超えていた。このことを口外するなといわれた。区長をしている長谷川さんは、3月15日に区民に呼びかけ緊急集会を開いた。「外に出るな、特に子どもは。外にある野菜を食うな。換気扇を回すな」と注意したのだが、この日は雨が降り始め、その後雪にかわったため、集ってもらったことで被曝させたことが悔やまれる。

その頃、伊達市布川に入ったチェルノブイリなどを取材しているフリージャーナリストたちが50μ㏜を測定後、飯館村に入ったのだが、100μ㏜に設定された針が振り切れたそうだ。避難のための20q、30qの同心円の線引きは意味がない、ここから早く避難させてくれるように書いてくれとマスコミに言っても、すべてカットされ報道されなかった。3月16日家族を避難させた。国や県はエライ先生を飯館村にどんどん送ってきて、「安全です。大丈夫です」という。

京都大学原子炉実験所の今中哲二先生が来て測定し「こんな線量の高いところに住んでいるなんて信じられない」と言った。それを村長は「こんなデータを公表しないでくれ」と言った。

 4月12日計画的避難区域に指定される。牛を飼ってはいけない、牛を移動させてはいけないという指示。6年前、調理師をしていた息子が「俺、ベコ(牛)をやる」といってくれた。息子が一緒にやってくれるほど心強いことはない。子牛の牛舎を作った。

昨年11月に完成して、4か月だけしか使わないで、借金だけが残った。絞らないと乳腺炎になるので、乳を毎日搾り、毎日捨てた。牛は移動するな、人は逃げろという。家族のように育てた牛を屠殺する、情けない、世の中にこんなことがあるのか。「ごめんね、ごめんね」と女たちはトラックを追っていた。20q圏内で牛が餓死している映像をTVで見た。5月20日永田町議員会館で訴えた。その後、移動制限解除。飯館村の牛は、すべていなくなった。

 6月10日相馬市の酪農家が、壁に「原発さえなければ」と書き残し、自ら命を絶った。5歳と7歳の息子がいた。

 国策として進められてきた原発。事故が起きた時の対応が決められていると思っていたが、そんなものは何もなかった。

 飯館村では除染モデルが始まる。6億円かかるという。村長は除染一直線だが、除染できなかった時に、村を出ることも考えなくてはいけないと思う。飯館村には帰りたい。けれど、早い段階で見極めるべきだ。これには山の除染費用は入っていないし、山の除染をしなければ、放射性物資は山から移動してくるのだから。

 国はステップ1だ、収束だといって、原発事故を風化させようとしている。風化させてはならない。―

 「原発さえなければ」という思いで、東北弁で力強く語ってくれた長谷川さん。それを聞く私も「原発さえなければ」という気持ちをいっぱいにして聞いてきた。

この地球の上で(原発の話・11月)(2011年11月)

紅葉、そして落葉。11月は静かに冬の準備を進めている。

福島第一原発事故から8カ月がたった。年内には冷温停止(原子炉内の温度が100度未満となり原子炉が安定的に停止した 状態)したいと、東京電力と政府。が、小出裕章・京都大学原子炉実験所助教は、核燃料は格納容器からメルトダウンし、格納容器にない状態で、格納容器の底の温度を測ったところで、何の意味があるのかと疑問を呈している。「冷温停止」という言葉が使えるのは、核燃料が容器の中にあってこそ。核燃料が炉の中にないのだから、100度以下になるのは当然で、肝心の核燃料はどこに、どのような状態で今あるのかは、放射線量が高すぎて誰も調べることなどできはしない。重い物質であるから、たぶん地下へ地下へと沈みこんでいると推測される。そんな状態の核燃料を取り出して安全な場所に保管できるのは、何十年か、それ以上先のことだろう。その間、ずっと、作業に関わる人々が被曝することになる。

先日11月12日にやっと、報道関係者に事故現場の原発が公開された。といっても、バスに乗って敷地内を走り抜けるだけ。バスの窓から見える1号機2号機3号機4号機の映像が私たちに届けられた。バスの中では「100マイクロシーベルト」「300マイクロシーベルト」「1ミリシーベルト=1000マイクロシーベルト」が測定されたそうだがバスの外では、その高い線量の中で働く人々の姿があった。これから先の長い収束作業で、どれくらいの人々の被曝が必要なのだろうか。一定量の放射線を浴びると、もう原発で働くことはできなくなる。いったい、収束作業に当たる人をこれから先どうやって集めるのだろう。TPPに加わって国内産業を弱体化させ、生活困窮者を原発で働かせるつもりかも、と考えてしまう。知り合いの生活保護受給者が「お国のため原発で働け」といわれたそうだ。心身の健康を損ねたり失業したりで、やむにやまれず生存のために生活保護を受給している弱者に対して、被曝というリスクを本人の意思に反して押しつけるやり方だけは、けしてしてはならないことだと思う。

そして今、本人の意思に反して被曝を強要させられているのは、福島第一原発周辺の人々だ。チェルノブイリ原発事故後の移住の義務、移住の権利のあるゾーンにあたる汚染された場所に、いまだ多くに人が住んでいる。国策として原発を進めてきた政府は、子どもや妊婦を早く避難させてほしい。費用は東京電力が出してほしい。住民の健康より、人口流出による経済的損失に歯止めをかけることを優先するなんて冗談じゃない。

それに全国にばらまかれた放射性物質は消えることはないので、除染して集められた土も落ち葉も下水処理場にたまった汚泥も、最終的にはどこに保管するか決まっていない。一番いいのは、集められたものを持ち主の東京電力に拾得物として返すことでは。でも、海に流された放射性物質なんて回収することは、もう絶対不可能だ。

これだけの事故が起きても、福島原発事故が収束していなくても、政府は原発を輸出するつもりだ。レアアースがほしい、もっと経済成長がしたいという政府の姿は、原発メーカーでありながら太陽光発電も宣伝し、もっと電気をたくさん使って豊かに暮らしましょうという某電機メーカーとダブってしまう。本当の豊かさって何、と私たちが、ずっと考えていることや、3・11以後考え始めた人が増えているのを知らないのかしら。

この地球の上で(ヨウ素剤)(2011年10月)                     

 松本市は、40歳未満の市民11万人分の安定ヨウ素剤を備蓄することに決めたそうだ。松本市は新潟県柏崎刈羽原発や石川県志賀原発から150q離れているとはいえ、事故が起これば風向きによっては放射性物質が飛んでくる可能性はある。福島原発の放射能は250q離れた東京、千葉までも大きく汚染した。チェルノブイリ原発事故後に、子どもたちの甲状腺癌が増加している。松本市長の菅谷昭さんは、ベルラーシ(旧ソ連)で5年間、甲状腺癌の治療にあたった方であるし、やはりベルラーシで医療支援を行っているチェルノブイリ連帯基金(代表・鎌田實諏訪中央病院名誉院長)の事務局も松本市にある。が、原発がある限り、松本だけではなく日本中の自治体に備蓄すべきだと思う。

 今回の福島第一原発事故後、はたして現地ではヨウ素剤が配られたかどうかが気になっていた。フォトジャーナリズム月刊誌DAYS JAPN 9月号に、福島県各自治体にヨウ素剤を人々に供給したかアンケートを行った結果が載っている。それによると、ほとんどの自治体が、国や県から指示がなかったからという理由で配布していない。そんな中、三春町では天候をみながら放射線が「高線量」になることを予測し、町独自の判断で3月15日に40歳未満の住民全員を対象に配布した。(住民から要望があったという富岡町では希望者のみに3月12日配布)このことが、将来子どもや若い人たちにどんな影響を与えることになるのだろうか。しかし影響が出てから、指示を出さなかった国や県に責任をとれと言っても遅すぎる。

 独自に汚染を予測し判断した三春町は、お見事だ。それにしてもおそまつなのが、「SPEEDI」。SPEEDI(スピーディ・緊急時迅速放射能予測ネットワークシステム)とは、文科省が百数十億円の予算で作った、放射能事故があった時にその広がり方を知り人々の避難の役立てるというシステムのこと。爆発直後こそ、私たちは放射能汚染予測データを必要としていたのに、公開されたのは3月23日と4月11日。私たちの税金をたくさん使って開発されたシステムであるのに、日本政府が公開しないものだから、私たちはネットでドイツやスウェーデンの汚染予測動画をチェックしなければならなかった。これって、なんだか変。

 緊急時には国や県からの上の指示を待たずに、各自治体が、自分で考え自分で判断することが求められる。松本市のヨウ素剤についていえば、配るかどうかを、誰が的確に速やかに判断するのかはっきり決めておいてほしい。しかしヨウ素剤備蓄より何より市民のことを本当に考えるならば、原発は「想定外に」事故を起こすものだと想定し、すべての原発をただちに停止するように要望するべきではないか。静岡県牧の原市他自治体のように「浜岡原発を永久停止すべきだ」という決議も市議会で出してほしいと思う。

11月19日(土)広瀬隆講演会は、限定300席ですのでチケットはお早めにお求めください。
おやおやにあります。

この地球の上で(9.11の過ごし方)(2011年9月)

 今年の9月11日は、世界を衝撃に走らせたあの出来事から10年、東日本大震災から半年の日。どこでどう過ごそうかと考えて、東京に行くことにした。

 まず明治公園でのBE−INに行く。BE−INとは、1967年アメリカでベトナム戦争のさなか、ラブ&ピースを合言葉に集まったのが始まり。開店間もないブースを訪ね歩く。高尾山の自然を守るNGO「虔十の会」(けんじゅうのかいー宮沢賢治の童話からの名前)は、本や放射能に汚染されていない野菜を並べている。おやおやにあるような雑貨の専門店「ふろむ・あーす」のブースでは、福島のお母さんたち向けに配られているフリーペーパー(無料の冊子)「はっぴー・あいらんど新聞」をもらう。汚染された大地で子どもたちを守りながら希望あふれる未来へという願いが、かわいいイラスト入りの紙面から伝わってくる。グァテマラで、牧場にするために森を燃やしていることに心を痛めた女性が、森に自生するマヤナッツをフェアトレード(公正な貿易)することで支えたいと、マヤナッツコーヒー(穀物コーヒーの味)とマヤナッツパウダーを売るお店も。私はお菓子に使おうとパウダーを買った。

 そうこうしているうちに、経産省に向かう時間。原発いらないの思いを持って人間の鎖で、経産省をとり囲もうという呼びかけに応えにいく。同じ時間にエネルギーシフト(エネルギー転換)パレードや原発やめろデモなどもあるけれど、人数を必要とする人間の鎖に参加することにした。でも、心配は無用で、2000人以上の人が集まり余裕で手をつなぎ合い人間の鎖ができた。私と同じか、少し年上のおばさん、おじさんが多い。1986年チェルノブイリ原発事故後、原発はもういやだと思い続けてきた人たちが集まったと思うと胸が熱くなった。松本市の須永豪さんがデザインした電気は足りてるTシャツを着ている人もけっこういて嬉しかった。この後、経産省前で10日間、塩と水だけのハンガーストライキに入った19歳から22歳の4人の若者もいる。

 そして再び明治公園へ。ちょうどアイドルグループ・制服向上委員会が「だっだっ脱原発」を歌っているところだった。会場も賑わってきている。星野村から運ばれてきたヒロシマの残り火で大きなピースマーク形に置かれたキャンドルに火を灯す。鳩の足型のようなピースマークは、反核のシンボルとして始まったという話を聞く。たんぽぽ舎の放射能の話や、白石かずこさんの詩の朗読あたりでそろそろ帰る時間。

 新宿東口でも集会があったので覗きに行こうとしたけれど東口階段は封鎖されていて別の出口から出る。ピースフルな明治公園とは全然ちがうものものしい雰囲気に包まれていたので、無理して近づくのはやめにした。この日のデモでは、勝手にコース変更を強いられた上に、先導の仕方が悪いと主催者と、ただ歩いていただけの人が12人逮捕された。こういうのを弾圧と呼ぶ。新聞を開いてもどこにも経産省を囲んだ人間の鎖のことも、ハンストする若者のことも、松本で行われた「原発なくてもええじゃないか」デモのことも1行も書かれていない。私たちの声は押しつぶされている。原発を再稼働させようとする力が、大きく働いているのを感じてしまう。

 帰ってきて、メールを開くと日本チェルノブイリ連帯基金の神谷さんから、保養に来ていた福島の子どもたちが信州大学病院で検診したら少し異常が見つかり、しっかりフォローしていきたいというメールが入っていた。

このようにして、9月11日は過ぎた。なぜ、この地球の上で悲惨なことばかり起こるのかと考え行動した10年だった。まだまだ道は長くて遠いけれど、今、私がこの道の上にいることこそが大切なことだ。

この地球の上で(原発の話・8月)2011年8月

 ミンミンゼミが鳴いている。あのやかましい鳴き声は、夏も半分過ぎたと告げている。この夏、電気予報なるものまで現れて、浜岡原発全面停止で電気が足りなくなるといけない、もっと節電をと呼びかけている。供給量に対し予想される需要が%で予報されるのだが、火力発電と水力発電を止めれば、いくらでも供給量は変わるので、何の意味もない数字だ。何度でも書くけれど、止めている火力と水力を稼働させれば電気が足りなくなることはない。だけれど、今まで危険な原発の電気を安全、クリーンな電気だといって売ってきた電力会社に対して、積極的に「節電」して、私たち消費者は不買運動をしていこう。アンペアダウンする人も増えている。

 福島第一原発が今どうなっているか、毎日のように報道されていたものが、されなくなりつつある。電気予報より「今日の福島第一原発」をやってほしいものだ。核分裂反応が止まり(止まらない限り、次々に放射性物質は生み出される)安定的に冷却されている状態―「冷温停止」になるように、現場の人々を被曝させながら作業が続いているはずだろうけれど。うまくいっているのかどうかは別として。

 さて、福島(双葉郡)では毎時1.24マイクロシーベルトが検出されている。(8/1)

 この値でずっとそこに住んでいると年間10.8ミリシーベルトになり、日本の法律で決められている1ミリシーベルトの10倍以上の放射線を外部から浴びることになる。そして、ここには事故直後の爆発で放出された大量の放射性物質が風に乗って運ばれた時に空気や水から体内に取り込まれたり、地産地消の学校給食の食材から取り込まれたものによる内部被曝はカウントされていない。指定された警戒区域、計画的避難区域、緊急時避難準備区域から外れる地域では、政府は「自主避難したい人は勝手に避難してもいい」という見解しか示さない。が、年間1ミリシーベルトを超えるところに住む人、とりわけ放射能に対する感受性の強い妊婦、赤ちゃん、子どもを優先して政府は避難させるべきではないか。太陽の下、土の上で遊ぶこともままならない福島の子どもたち。勝手に避難すればいいと云い放たれたまま、家のローンを残し、避難先での住いや仕事も保障されずに自主避難できる人がどれくらいいるというのか。せめて、子どもたちを夏休みの間だけでも汚染された場所から離れてのびのび過ごさせようと長野県内でも受け入れの取り組みが行われている。6.11「原発なくてもええじゃないか」松本デモに、福島から白馬村に自主避難してきたお母さんが、福島の子どもに20ミリシーベルトを強要(強い反対で撤回された)するなんてひどいと話に来ていた。そのお母さんが赤ちゃんから高校生までの親子40人を一ヶ月間、白馬村に迎え入れる長期滞在保養を始めた。シーズンオフの民宿を提供してもらい自炊する。その食材の支援の求めがあったので、カンパを寄せていただき、40人×30日×3食=3600食の足しになればと、雑穀、調味料、お菓子などを送った。自分の家に福島から遊びに来た親子を泊めたつもりでカンパすればいいと思う。少しずつでも、みんなが心を寄せれば大きな力になる。県でも「こどもリフレッシュ募金」を集めているそうだ。

 アメリカ科学アカデミーは、1986年のチェルノブイリ原発事故による犠牲者は100万人に上ると発表した。10年後、20年後に現れる晩発性被害が気になる。10年後20年後には言及せず、「ただちに健康に被害はない」と言い放っていたあの人の顔を、腹立たしく思い出してしまった。

この地球の上で(原発の話・7月)2011年

 30℃前後の暑い日が続いている。今年の夏は暑くなりそうだ。元々、エアコンなしで暮らすことに決めていたので、この家に入居するときにアンペアダウン(契約のアンペア数を下げること)は済ませている。暑い時は窓を全部開放して、暑い、暑いといって過ごす覚悟だ。一昨年、穴のあいた網戸をきれいに張り替えたのに、ポンちゃん(うちの猫)が自分で自分用の出入り口を勝手に開けてしまったので、蚊取り線香はかかせない。避難所の人たちはいつでも飲めるのかなと気にしつつ、冷蔵庫の中には、いつでも冷えたお茶があることに感謝する。その冷蔵庫には、128円で買ってきた冷気流出防止のビニールカーテンをつけてみた。効果の程がいかほどかは、わからないけれど、このお値段なら試してみても悪くはない。TVで「地下50mの冷たい空気を、パイプを通して床に開けた穴から部屋に流す」家を紹介していた。電気をいっさい使わない冷房(冬には暖房)で、ステキ!ではあるが工事に200万円以上かかるということで、予算的に我が家では却下。夏場は電気代よりガス代の方はかかるので、お湯を作りながら電気を作ってくれる燃料電池がいいなぁ、であるが、これも200万円かかるので却下。太陽光発電も200万円近い。ビンボーな我が家としては、早く「再生可能エネルギー促進法」を成立させてもらうしかない。

 毎日、原発のことがTVや新聞にのらない日はない。福島原発の核燃料は冷やし続けなければいけない。そのために注水して冷やしているのだが、そうすると放射能に汚染された水が溜まる。それを避けるために、汚染水をアメリカ製フランス製の放射能除去装置を使ってきれいにして、冷却のために循環させたいが、トラブル続きでなかなかうまく稼働してくれない…。避難できずにいる福島の子どもたちや現場作業員の被曝は続く…。農地や海に放たれた放射能は増え続ける…。こんな中で、私たちは生きていかなければならいのだから、関心を持ち続けるのは当然だろう。多くの政治家たちが利権にしがみつき「脱原発」できなくても、私たち市民の意識が先行していけば、社会は変わっていくと信じよう。何十年も原発を推進してきた自民党の、福島県連は6月26日「原子力発電は今後一切推進しない」と決定したそうだ。

 9月17日には、内橋克人、大江健三郎、落合恵子、坂本龍一、瀬戸内寂聴などが呼びかけ人となって「さよなら原発1000万人アクション」が呼びかけられている。何らかの、目に見える行動ができたらいいな。

 7月末の「国連軍縮会議inまつもと」の市民企画として、軍縮と共に原発を考える企画もいくつか出ている。核兵器(Nuclear Weapon)と原発(Nuclear Power Plant)は同じルーツのものであり、「ヒロシマ」「ナガサキ」が「フクシマ」に続いていてしまったことを、しっかり見据えていこう。

この地球の上で(3・11後のこと)2011年6月

3月11日から、はや2ヵ月半が立つ。TV画面に映る町や村は、まだまだ瓦礫の山が散在している。先日、私より年上の友人が陸前高田に5泊6日の支援に行ってきた。お前なんか行っても役に立たないと連れ合いさんに言われながらも、行ってきたいからと参加してきた。瓦礫を石や木、ガラスに、燃えるもの、燃えないものに分別するという力のない女性でもやれる仕事があったそうだ。手慣れた人はチェーンソーを持ち込んで大きな柱を切り分けて運びやすくしてくれたという。道路以外の瓦礫の片つけや泥出しは、自衛隊はやらないので、もっぱらボランティアの仕事だそうだ。

今朝TVを見ていたら、出張手当を出し、長靴なんかも揃えてくれて会社の業務として支援ボランティアに参加している会社が出ていた。ちゃんと社会貢献している会社もあるんだと感心したけれど、私の友人たちは、田んぼをやったり、自営業だったり非正規雇用で働いているので、被災地まで行く高速代やガソリン代などがたいへんだ。そこで、ボランティアを支援する「ボランティア後方支援ネット信州」を立ち上げた人がいる。チャリティーコンサートで集まったお金や個人のカンパを振り込める口座も開設。【ゆうちょ銀行・記号11190番号19371771 ボランティア後方支援ネット信州】

これからボランティアに行きたいという人の相談にものってくれるはず。報告会も随時行っている。(次回は6月7日穂高陶苑にて〜今伝えたいこと。伝えなければいけないこと〜お茶付き400円)ブログはhttp://supportnet.naganoblog.jp/ まだまだ息の長い支援が必要だ。

早い梅雨入り(5月28日)をした今年は暑い夏になるのだろうか。どうだろう。節電の夏になることはまちがいない。余分な電気を使わない工夫は、今まで電気を消費しすぎてきた私たちの暮らしを見直すために必要であるし、家計も助かるので大歓迎。しかし、中越沖地震で柏崎刈羽原発7基全部(発電量821.2万kw)が止まった2007年の夏、東電管内は停電にはならなかったし、マスコミあげての節電はこんなには呼びかけられなかった。その時、ほらね、原発が止まっても停電しないでしょと言った人がいたせいなのかどうか、今回は計画停電をしたり、あっちもこっちも節電キャンパーン。原発が止まったら電気が足りなくなるゾは、テロがこわいから軍備を増強するゾとよく似ている。これを「足りないゾこわいゾキャンペーン」と呼ぶことにしよう。松本ならいざ知らず排熱ヒートアイランド・東京で、猛暑の中、ご高齢の方がエアコンをつけずに節電して熱中症でお亡くなりになるという事態が起こりませんように。猛暑日の昼間、企業が操業時間をづらしたり、夏休みをとればいいだけのことし、本気で足りなくなると心配だったら、消費電力がピークになる昼間に発電してくれるうえに余った電気を売れる太陽光発電パネルを屋根につけるよう奨励すればいいと思う。メガソーラー(1か所で1000〜20000kwの発電をする太陽光発電所。一般家庭用は2〜4kw)は広い用地を必要とするため食べ物を生み出す大地が使えなくなるから、空いている屋根や駐車場につけてね。何にしても大きいものが少しあるより、小さいものがたくさんあった方がいい。

この地球の上で(福島原発事故後2)(2011年5月)

松本市内でも、あちこち節電しているところがあって余分なエネルギー消費を減らすのはいいことだと思っていた。でもある日、店内に流れるアナウンスにふと気がついた。

 「東日本地震によって停電の恐れがあるので節電しています」???夏場のピーク時、中部電力はたとえ原発を止めても、休ませている火力・水力発電所を稼働させれば電気が足りなくなることない。ましてや今は夏場に比べれば、ずっと電気の消費量は少ないし、60ヘルツの西日本(中部電力・関西電力など)から50ヘルツの東日本への送電は、変換能力が100万kwしかないので、それしか送ることができない。だから、東京電力の電気が足りないからといって、ここ松本で停電になることはないはず。根拠もないことで不安感を煽り立てかねない。そのことを伝えると、「私たちもおかしいと思うので、アナウンスは止めます。」と、その店は迅速に対応してくれた。

 地震直後、東電の千葉、東京、神奈川の火力発電所は止まっていたが徐々に復旧している。被災した福島県広野火力発電所(380万kw)を早急に復旧し、夜間に汲み上げた水で昼間発電する揚水発電所の全活用、余った電気を電力会社に売ることのできる太陽光発電を補助金付きで普及させることなど、素人の私でも思いつくのだから、停電を回避する策はあるのではないかと思っている。

 原発に頼らないエネルギー政策の見直しや再生可能エネルギーの調査も始まっているようだ。環境省によると、風力発電は陸上と洋上設置を合わせて19億kwの発電が可能、地熱発電(アイスランドでは主力、発電装置は日本製)は1400万kw、中小水力発電は1400万kw、他に太陽光発電。そして東北地方にはこれら再生可能エネルギーの大きな可能性があり、火力・原発中心の現行発電量を上回る潜在能力があるという調査報告をまとめた。電力会社が独占している送電線を開放するよう法律の改正など進めて、実現できるようにしてもらいたい。福島原発事故を体験した私たちは、もう同じ轍を踏みたくはないのだから。東京、神奈川で85店舗を持つ城南信用金庫は、今回の事故をふまえて脱原発の方針を発表した。誠実な企業だと思う。

 その福島原発だが、前回クロル38が検出されたことから、再臨界が起こっているかもしれないと小出裕章さんが考えていると書いたが、東京電力は、クロル38検出は間違いだったと発表したそうだ。再臨界の可能性が少なくなったとはいえ、ずっと冷やし続けなくていけない状況は変わらない。注水すれば汚染された水が出る。原子炉を安定冷却に持ち込むための工程表が示されたが、注水作業などよりはるかに高濃度の放射線を浴びることになるこの作業を誰が担うのか。高い日当を提示して、作業員集めが行われているというが、作業する人がいなかったら、予定通りには進まないだろう。放射性物質の放出は抑えてほしいが、それには作業員の被曝が伴う。私たちのために「誰か」に被曝をしてくれということになる。

春は来たのに、なかなか心が晴れないのは花粉症のせいばかりではないみたい。

この地球の上で(福島原発事故)(2011年4月)

3月11日の地震と福島原発事故から1カ月がたった。被害が大きかったため、長期にわたって、私たちは関心を持ち続けて行くだろう。

緊急停止はしたものの、電源喪失で冷却機能が失われた福島原発は、いまだ予断が許されない。核分裂反応が止まっても、崩壊熱を出し続けるために、とにかく冷やし続けなければない。当初は空から水をかけたり、放水車で海水をかけたりの措置をとり続け、いまは真水を注水し続けている。閉鎖された循環ポンプで冷却するわけではないので、冷却に使った核分裂生成物を含む汚染された水がダダ漏れしている状態だ。4月4日には、法律で環境への放出が認められている濃度基準の500倍の放射性物質を含む大量の水を海に放出した。広い海で薄まるから大丈夫だという政府。しかし、魚は回遊するし海底に沈殿するものもあるし、潮の流れもある。生きものすべての海を汚染した責任は、原発の運転を許してきた私たちすべてにある。

今、原子炉はどうなっているのだろう。原発の研究者でありながら、原発の危険性とムダについて訴え続けてきた京都大学原子炉実験所、助教・小出裕章さんは、1号炉では「再臨界」が起きているかもしれないという。ウランの核分裂が始まることを「臨界」という。地震の後、緊急停止が働いてウラン燃料は核分裂を止めた。それが、半減期8日の放射性ヨウ素の濃度が減るどころか増えているし、核分裂生成物であるクロル(塩素)38が検出されている。ただし、再臨界で爆発するかというと必ずしもそうではなく、ウランが溶けて固まった場所で温度が上がり形状が変わって臨界が収まる、それが又また核分裂を始め、また収まるといった風にブツブツ燃える状態ではないかという。いわば、ずっと小さい原子炉が動いている状態。では、どうしたらいいかというと、冷やし続けるしかないらしい。いつまでこの状態が続くかはわからない。

3月24日福島県で、30年間土を作り安全な野菜を作ってきた有機農業の農家の男性が、政府が出荷制限の指示を出した翌日、自殺した。農薬を使わないで安全な野菜を作り続けてきたのに、放射性物質が放たれれば、すべてがなかったことになってしまう。

彼の絶望を共有したいと思う。そして怒りたいと思う。でも、絶望や怒りだけでは明日を生きていけない。今もなお、20kから30k圏内にいる人々のこと、たくさんの捨てられた農作作物、牛乳、魚それらすべてのことを自分の中で引き受けながら、どんな明日を私たちが作っていくのか、考えていこう。

お知らせ

・福島県南相馬市などに医療支援を行っている日本チェルノブイリ連帯基金へ、店の募金箱で集まった13440円を届けました。ご協力ありがとうございました。これからは

<口座番号:00560−5−43020 口座名:日本チェルノブイリ連帯基金 連絡欄:福島原発震災被災者支援寄付>にお振り込みください

・5月12日(木)Mウィングにて田中優さん講演会を開きます。絶望から希望へ向かえるようなお話をしていただこうと思います。詳細は後日店頭のチラシで。

この地球の上で(3・11地震、原発、火事、津波)(2011年3月)

3月11日M9の地震と共に、絶対起きてほしくない原発事故が起きてしまいました。原発をはじめとする巨大技術に完璧な安全性を求めることができないことが実証されたのでした。

何が起きているのかTVで原発報道を見て不安に襲われている方もいることでしょう。東京電力自体が正確に事態を掌握できていないはずなので私たちに至っては、ですが、悪くなることはあっても好転はしないと思います。<外出するときは肌を露出せず濡れたタオルで鼻、口をふさぐ。室内に入る時は衣類を袋に入れ全身を洗う。窓を閉めエアコンや換気扇の使用を控える>こんな注意が流れています。この対策は、今の福島周辺ように放射線量の多いところでは是非守っていただきたいことです。今のところ、長野県ではここまで厳格にする必要はないでしょう。長野市にある「長野県環境保全研究所」で、放射線量を一日に何回か測定した数値をHPで公表しているので、チェックしてください。3月17日からは松本にも測定器を配備するそうです。企業のためではなく、市民のための「原子力資料情報室」にアクセスするなり、自分で正しい情報収集に努めましょう。自分で判断する力をフル回転させましょう。

シーベルトという耳慣れない単位が出てきます。これは放射能による人体への大きさを示す単位で、人工放射線は、一般の人では1年間で1ミリシーベルトと決められています。1ミリシーベルトは1000マイクロシーベルトです。数字を聞くときにはこれを思い浮かべてください。測定値では1時間当たりの値が出てきます。そして、この値というのは常に変化していきます。

もし、これから大量の放射性物質が放出された場合、モノと情報が不足している被災地の方々が、地震と被曝という二重の災害がさらに大きくなってしまいます。被災地で赤ちゃんが生まれています。放射能に対して、大人に比べて子どもは10倍弱く、乳児と胎児は100倍弱いといわれ、妊娠3カ月以内での被曝は幼児癌の発生率を15倍増加させるといわれています。(3か月までの妊娠に気づかないことがあるので、妊娠の可能性のある女性も注意が必要です。)

友人が東京から孫が避難してきているので、もう2組くらいは受け入れてもいいと表明しています。彼女はホームスティという言葉を使っています。松本が100%安全だとはいえませんが、福島、岩手、宮城の被災地や関東平野よりずっと安全なはず。ガソリンも水も食糧も不足している現地へボランティアに出かけることは、余計に混乱を招く場合もあるようです。今ここで、できることがありそうです。できたら、松本市がそのコーディネートをしてくれないでしょうか。受け入れ家庭を募り、登録し、被災地からの希望と照らし合わせ迎える、そんな仲立ちを。温かいご飯と熱いお風呂、ゆっくり眠れる布団と被爆の脅威から遠ざかる安心の提供を。

地震も原発事故もまだ終息しないで長期化しそうです。が、おびえているだけでは何の力にもなり得ません。こんな時こそ、つながり合い、それぞれが出来ることをしながら、分かち合っていきましょう。

 最後に現場で原発への対応、救急、消火、救援に命がけで取り組んでくださっている人たちありがとう。無事を祈るばかりです。

この地球の上で(次世代エネルギー)(2011年2月)

 12月に紹介した映画「ミツバチの羽音と地球の回転」は350人の方に見てもらうことができた。見た人たちから、いい映画だったと感想をいただくので嬉しい。
 ヒジキを干し、魚を獲り、畑をしながら上関原発建設に反対するおばあちゃんやおじいちゃんたちと、2020年までに脱原子力、脱石油をめざすスウェーデンを描いた映画だ。
 ここで生まれる疑問は「スウェーデンでできてなぜ日本でできないの?」。
 国のエネルギー政策によるところ大きいと思うけれど、飯田市でこの1月28日、出力1000キロワット(300世帯分)の太陽光発電所が運転を開始したし、一部住宅メーカーはエネファーム(家庭用燃料電池コジェネレーション・システム)付きの家を売り出すなど、原子力や石油にかわる次世代のエネルギーの萌芽があちことで見られる。
 近未来の私たちの暮らしを描いてみた。

四季の台所(タジン鍋)(2011年1月)

 お正月が来るのが早すぎると文句を言っているうちに、年は明け、今年が一週間二週間と過ぎていく。昨日から今日へと続く毎日ではあるけれど、気持ちを新たに始めよう。

一番長いこの正月休みは、ぜいたくにゆっくり過ごした。年賀状を書いたり、クロスワードを解いたり、古本屋で本を漁ったり、5本1000円のレンタルDVDに浸ったり。1月15日上映予定の「ミツバチの羽音と地球の回転」で使うパンフのカットを描いたり、祝島の絵葉書を注文したり、頼まれた原稿の手直しをしたりの仕事もちょこっとした。おせちは帰ってくるはずだった上の子たちが誰も来なかったので、三が日ではたべきれなかった。筑前煮だけは末娘がおいしいおいしいと食べ尽くしてくれたけれど。残り物のかまぼこ、花れんこん、イクラ、絹さやで豪華なちらし寿司ができたから、よかったとしよう。その後は、この冬わが家に登場したタジン鍋が大活躍。

水の少ないモロッコで生まれたタジン鍋は、蒸し煮料理に最適だ。

【ジャガイモとハム】を塩こしょうで蒸し煮して、粒マスタード入りのマヨネーズで。

【千切りキャベツ、セロリと生ソーセージ】を塩こしょうで蒸し煮。

【レンコン、豚バラスライス】を軽く炒めて蒸し煮、ゆずごしょうと塩で味付け。

【スープカレー】は玉ネギ、ジャガイモ、生シイタケを軽く炒め、ひき肉団子、水、カレー粉、ケチャップ、塩を入れて蒸し煮、最後に小松菜をいれて。

魚もアサリも野菜も何でも蒸し煮にしてしまおう。野菜が甘くなっておいしい、熱々を蓋つきで食卓にのせられる、洗い物が少なくてすむ、ごく弱火で調理するのでガス代が少なくてすむといいことだらけで、まだしばらくははまりそう。

借りてきたDVDのうち1本は「食堂かたつむり」。実家の物置を改造して食堂を始めた倫子のお店は、一日一組だけのお客さんに心を込めて作る。食材に心の中で語りかけ、耳を澄ませ、食べる人のことを考えて作った料理は食べた人を幸せにする。ザクロのカレー、ごぼう、かぼちゃ、玉ネギ、セロリ(あと他にもいろいろ)のポタージュスープ、生いちじくとクリームチーズ(本で読んだら生クリームとヨーグルトクリームだった)のぶどうパン・サンドウィッチ。ずっと喪に服していて元気のないおばあさんは、ホタテと甘鯛のカルパッチョからサムゲタン、カラスミのリゾットから子羊と野生キノコのガーリックソテーへとコースが進むにつれ、背筋がピンと伸びるようになるほど。おいしそうなお料理シーンに魅せられて原作「食堂かたつむり」小川糸著も読んでしまう。

質素な暮らしを送るデンマークのある村で、当たった宝くじのお金で女性シェフが村人に精いっぱいの食事をふるまう映画「バペットの晩餐会」や古い伝統に縛られたある村に魅惑のチョコレートのお店を開くお話、映画「ショコラ」、ヘルシンキで食堂を開く映画「かもめ食堂」なんかも思い出した。おいしものが、しあわせにしたり、元気にしたり、ほっこりさせたり。

今年も「食堂おかあさん」は頑張るゾ。さっそく、お正月に飲んだ自家製ぶどう発酵液の底にたまったオリに、全粒粉を混ぜ、パンを焼く準備を始めよう。


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