Yakkoのページ 2008年
この地球の上で&四季の台所
四季の台所(11月)(2008年11月)
朝おやおやに向かう道、薄川や東の山々の紅葉を見るのが楽しみだったけれど、冷たい強い風が吹いた翌朝には欅も桜も葉を落としてしまった。これからは日ごとに白くなっていく西の山々を見るのが楽しみになる。
庭のバジルも一晩でだめになってしまった。盛りの頃は放っておいたくせに、もう食べれないとなるとなんだか食べたくなる。唐辛子は採り忘れていたのに大丈夫そう。第一団が赤くなったのに、次の一団が青々とした実をたくさんつけているものだからこれも赤くなるかなと待っていたけど、もう抜くことにする。赤い唐辛子は干す。青いのは、そうだ「ゆずごしょう」を作ってみようと思い立つ。たった2本の木のそれもタカノツメタイプの小さいものだから50gしかない。半分に切って中の種を先の尖っているバターナイフで取り除き、細かく刻む。柚子一個分の皮も刻む。大量だとミキサーにかけたりするらしいが、あまりに少ないものだから、すり鉢とすりこ木で潰すことにした。しばらくやってみたけれど、おやおやで売っているゆずごしょうみたいなペースト状にはならないので、さっさとあきらめることにした。柚子の香りはするし、おそろしく辛いし、薬味の役目は十分果たしてくれるだろう。タイで使っている石のすり鉢とすりこ木(すりこ石?)だったら、タイカレーペーストを作るように、ゆずごしょうもペーストにしてくれそう。普段あまり使わないだろうけど、この時はほしいと思った。
種から育てているアボガドは、はやばやと家の中に避難している。すくすく育って、天井まで後20p。来年の冬には家の中には入らなくなるだろう。外で育つかどうか試してもてもいいけれど、可愛がっているので、吹き抜けの高い天井をお持ちの方にでも差し上げたいなぁ。
11月中に片付けものはできるだけしておこうと、パントリー(本当は食料品貯蔵室のこと。うちでは廊下にあるジャムやらラム酒漬けレーズンやらシロップ漬やら豆類、時々使う台所用品をいれた小さな物入れをこう呼んでいる。)に手をつけた。やたら積み重ねてある鍋(圧力鍋、土鍋3、パエリヤ鍋、しゃぶしゃぶ鍋、すき焼き鍋、焼き芋鍋、スモーク鍋―なんでこんに種類があるの)、卓上コンロ、木のおひつ、竹の3段重お弁当箱、ハンドミキサー、ジューサー、ミキサー、ホットプレートなどをすっきりするように流しの下に取り付ける棚を買ってきて置いてみた。使いたい時に使いたい鍋がすぐ取り出せるなんて、なんて便利なんだろう。(当たり前のことといえば当たり前のことだ。)台所ではないけれど、ついでに段ボールに入って積み重なっている「美味しんぼ」102冊やら文庫、新書をスライド式の本棚に収納した。読みたい時に読みたい本が読めるのも当たり前だけれどとてもいい。別の物入れに重なっていた段ボールの中身は引き出し式のプラスチック箱に入れ、中身をラベルに書いて貼り付けた。使いたい時に金切り鋏や延長コードや電球がさっと出せるのだって、当たり前だけれどとても便利だ。
こんなに片付けものをしたのだから、今年の片付けはもう充分と、目を上げると部屋の隅のほうには切り抜いたままの新聞記事の山が・・・・
(11月24日初雪。いよいよ冬到来。)
この地球の上で(私たちのささやかな楽しみ)(2008年10月)
今年はあちこちの店先にハローウィン仮装グッズやお菓子が目に付く。しっかりこの国に根付いてしまったキリスト教由来のクリスマスのようにハローウィンも商魂たくましげな戦略で根付くのだろうか。ハローウィンはキリスト教とは関係なくケルト人の信仰に由来するものだ。10月31日が一年の終わりのケルトでは、死者の霊が家族を訪ねたり、魔女や精霊が現れたり、お墓参りをして火を灯したりするというまるで日本のお盆のような行事だったらしい。それが、大きなかぼちゃをくり抜いて中でろうそくを灯すお化けかぼちゃ<ジャック・オー・ランタン>を作ったり、子どもたちがお化けや魔女に仮装して家々を回り、「トリック・オア・トリート」(お菓子をくれなきゃいたずらするぞ)とお菓子をもらうという楽しい部分がイベントとして世界に広まっている。でも、「生」が死者と共にあること、闇の中の恐ろしいものを表に出して見つめることといった本来的なものまでは伝わっていかないかもしれない。
中学生の娘が仮装して塩尻のハローウィンに行くという。100円ショップで黒猫の帽子を買ってきてうちでマントを作るからとお友だちが集まった。ミキちゃんが作ったマントを持ってきた。黒い布の上部に赤いリボンを通したもの。ちょうど光沢のある黒い布も赤いリボンもうちにあったので、さっそくお嬢さんたちは縫い始める。私は残っていたキーマカレーを具に差し入れのカレーパンを作る。(こんな時、自家製酵母とちがって思い立ったらすぐ作れる白神こだま酵母は都合がいい)「口ばかりじゃなくて手も動かして!」と口を挟むのは忘れてはならない。10月最後の日曜日、中学校の黒に近い制服の上にマントを着た女の子たちの集団を塩尻大門商店街で見かけた方がいたらそれがそうです。手作りマントに身を包みチョコやキャンディーをいっぱいもらってきて満足した顔で帰ってきた。
高校生の娘は何をしているかというと、普段から古着をピンで留めたり破いたり巻きつけたり不思議なファッションをしている子だが、最近は紅茶で染めたブラウス2枚をはぎ合わせたスカートを作っている。襟のところにゴムを通してウェストに、袖は切り落として穴を埋めそこに袖を切り裂いたものをヒラヒラと縫いつける。斬新なデザインで完成を楽しみにしていたのだけれど、袖の部分4ヵ所に同じことをしたくない、後のアイデァが出てこないからと中断中で、マフラー作りに入ってしまった。
そして母は、エコバックを4枚作った。すぐに骨を折ってだめにしてしまう子どもの傘は、生地がきれいで捨てるにしのびなくて洗ってとっておいた。縫い合せて、どピンクのワンちゃん柄、赤い「ハムたろう」柄、紺チェックのワンちゃん柄の傘のバック3枚とフリマで買ったままで着ていないデニムのギャザースカートで作ったバック1枚を作って満足。ただし、どピンクと赤いのは子どもたちが大きくなりすぎて引き取ってくれない。(小学生のうちに作ればよかったのだけれど。)次は20年前にもらった薄茶色のウールの生地に虫食い穴を多数発見したので、穴の周りに細かいチェーンステッチで模様にしてストールにしようと思っている。
使わなくなったものをリメイクして楽しんでいる家族である。新しいものをなるべく買わないで、使い回しするのがエコってもんじゃないかしら。
いつかはなくなる石油。食料を燃料にしたって限度があるから、将来は自家用車が少なくなって公共交通としてのバスが大事になり、路線や本数が増えて使いやすくなるといいなと考えていたら、次は電気自動車だそうだ。エンジンがいらないため構造はより簡単で、世界中でベンチャー企業も参入して開発中。資本主義経済の中では、ひたすら消費して経済を成長させる(と同時に経済格差も成長させて)しかないのだろうか。そして、今回の金融危機は金融工学の濫用を規制しなかったのが原因だという。果てしない利潤の追求は世界に何をもたらすのか。
ささやかな手作りを楽しみながら、世界にはひたすら消費をあおり、投機で楽しんでいる人のいることとの乖離を思ってしまうのだ。
この地球の上で(語る力)(2008年9月)
十五夜お月さんにはススキの穂が出て、お彼岸には赤いヒガンバナが咲いて・・・そんなあたり前の季節の移ろいが、今年もあたり前のものとして立ち現れることを嬉しいと思う。海水温の上昇による「磯焼け」で海草が生えない海が増えているとか、瀬戸内海で熱帯魚が越冬しているとか、ヒマラヤ山脈、ヒンズークス山脈を水源とする地域が旱魃で苦しんでいるとか、日本では今年やたらと雨が多かったこととか、こんな時代に生きているのだからお彼岸にヒガンバナが咲いているというだけでほっとする。
お彼岸中日近くの日曜日、ひめゆり隊として沖縄戦を体験なさった方々の証言をドキュメンタリーにした映画「ひめゆり」を見た。その前にプレイベントとして、沖縄出身・現在上田市在住ハンセン病元患者の伊波敏郎さん(著書・岩波ジュニア新書「ハンセン病を生きて」他)の話を聞く会にも参加した。
伊波さんが中学2年の時にハンセン病とわかり、療養所に隔離された時からのご自身の体験を語られた。療養所に着くなり渡されたのは、新しい名前「関口進」。親類縁者に迷惑が及ばないようにと、この日から「伊波敏郎」は抹殺され、社会との関係は一切断ち切られた存在となる。少年少女舎で皆が療養所内の学校に行っている間、一人で心細く待っていると階段をおかしなリズムで上ってくる者がいる。現れたのはハンセン病で体のあちこちに障害が残る人だった。サータアンダギー(沖縄の揚げ菓子)を1個手渡して「困ったことがあったら、僕はいつも礼拝堂にいるからね」と不自由な足でまた階段を下りていった。今でいえばケーキのようなサータアンダギーは1個を兄弟で分け合って食べている時代だった。そのサータアンダギーを気味が悪くて伊波少年はトイレに行って捨ててしまう。どうしてこんなことをしたのだろう。伊波少年は階段を駆け下り礼拝堂にとび込み、サータアンダギーをくれた人に「ごめんなさい、ごめんなさい」と抱きついた。義足をはずした状態で椅子に座っていた彼は、その拍子に倒れてしまうのだがただ黙って抱きしめてくれるのだった・・・という話を、65歳の伊波さんはまるで14歳の少年のように語り続けてくれた。伊波さんの言葉を聞きながら、30人ほどの会場で聞いている者一人一人に染み渡っていくのがわかるのだった。
映画の元ひめゆり隊の方々も、50年前60年前の10代の体験を昨日のことのようにはっきりと語ってくれ、ほとんど証言だけで構成される2時間10分の間、いっときも聞く者の注意をそらさせずに、引きつけさせるものだった。真実を語る力は、聞く者にその情景を想起させ、それぞれの中で体験しなかったことを体験させる力を持つ。この語り部たちの伝えなくてはという思いの源は、こんなことを語るのはもう自分たちでおしまいにしたい、差別も戦争も体験するのは自分たちだけで充分だという強い意志ではないだろうか。
でき上がったドラマとして差し出される「ひめゆり」よりも、証言者(語り部)の言葉から心の中に描き出された「ひめゆり」は、私の中の「ひめゆり」として強く心に刻まれていくような気がする。
忘れたいことを語ってくれた人がいる。
そして、一見平和な日常の中では忘れたことにしておきたいことがある。有事(つまりは戦争のこと)法制は出来上がっていて11月26日には長野市を中心に過去最大規模の長野県国民保護訓練がなされるし、自由競争を推し進め社会保障・福祉をじわりじわりと縮小させているこの国では、貧富の格差を広げて貧困者を戦争に参加させる米国式のやり方で兵士を集める用意だってできているのではないだろうか。
こんなことを考えて憂鬱になるのは、最近の雨の多さだけではきっとないだろう。
四季の台所(夏は洗い物!)(2008年8月)
果てしなく続く暑い日々。でも確実に季節は移ろっている。例年のごとく夏の終わりに襲ってくる花粉症が、おやおやの夏休みの最終日にやってきた。夏が終わるのはいやだ。暑い暑いと文句を云いながらも、窓をいっぱいに開け放ち軽装で過ごせる夏が好きだ。
夏は洗い物がすぐ乾くので嬉しい。シミの付いた布団カバーを酸素系漂白剤で漂白していて思いついた。台所に持って行こう。ステンレスのザルを一晩漬け込んでみた。石鹸で洗っていてもなんとなく黒ずんでいたが、20年間染み付いた汚れが浮き上がって取れ、ピカピカの新品になった。カップや茶碗の茶渋は重曹でこすり落とせるが、保温水筒の複雑な形状の栓の茶渋はあきらめていた。でもこれでいけるかも・・・と、もう一つあきらめていた冷蔵庫のお茶ポットのプラスチックの蓋と一緒に、漂白剤液に漬け込む。バッチリ!改めて容器の小さな説明書きの字を読むと、まな板、食器、ボール、ザル、ごみ入れ、哺乳瓶と何でも除菌、除臭、漂白してくれる。今までどうして使わなかったのかしら。
きれいにしだすと、あちこちの汚れが気になり始める。ガスコンロの受け皿は汚れたらすぐ洗えばいいのを、忙しいときはついそのままに。結果、頑固にこびり付いたものをゴシゴシ洗う羽目になる。こんなことを何回も繰り返し、これもある日思いついた。フレンド粉石鹸で煮洗いしてみよう!受け皿がすっぽり入る鍋に粉石鹸を入れてグツグツ煮る。汚れが浮き上がってゴシゴシせずとも落ち、受け皿洗いが快適になった。重曹に一晩漬けておくのとどっちがいいか今度やってみよう。
水に溶かして使う天然ワックス(残念ながらおやおやにはないので通販で買ったもの)で床も拭いた。暑さをこざっぱりとして過ごすのはなかなかいい。
せっかくの夏休み、洗い物ばかりしていたわけではない。所用で東京に行くことになったので、ついでに一番上の娘のうちに行ってきた。実は10年以上、向こうから来てもらうばかりで、こちらから行ったことがなかったのだ。下の子たちが小さい時は、狭い部屋に一家総出で泊るわけにもいかないので諦めていたが、私一人のお出かけもそろそろいいかなと行くことにした。高校生の姉もお出かけなので、中学生の末娘は一人で初のお泊り留守番だ。
仕事帰りの娘が買い物しているところに合流して、一緒にアパートに向かう。帰省した時にはお母さんなんだからお母さんがご飯作ってよと、うちでは全然ご飯を作ってくれない彼女の手料理にやっとありつくことができた。あんなところで買い物をして、あんな道を通って、あんな風にご飯を作って、あんな部屋で暮らして、とこれからは遠くからでも想うことができるのが嬉しい。
お留守番の娘も一人でちゃんと焼そばやら、たらこスパゲティやら作っていたようだ。
夏休みの最終日は、プレゼントなどでもらったキャンドルをいくつもお風呂場に持ち込み、ぬるいお湯にゆっくりゆっくりつかった。夏はシャワーだけですますことが多いけど、たまにはこんな贅沢もいい。お風呂上りに冷たいミニトマト・ジュース(頂き物がたくさんの時に作る。甘くて濃厚)を飲みながら、買ったばかりの竹宮恵子「アンドロメダ・ストーリー」(SF・漫画)を読んで至福のひととき。
終わりそうで終わらない夏に今年もなるのだろうか。暑くても、それをやり過ごすためにあれやこれやと工夫するは楽しいものだ。
四季の台所(ベーコン作り)(2008年7月)
大気が耐え切れないほどに水を抱え込み、「そろそろ来るね」と人々がささやき交わすのを待っていたかのように、勢いよく降出す雨は爽快だ。つい見入ったりしてしまう。
もう少し経てば梅雨は明けるだろう。後何日かでブラックベリーは黒く熟し始めるだろう。その前に冷凍庫にたまったラズベリーをシロップにする。毎日手のひらいっぱい位づつ収穫した実を冷凍してためて置き、ビニル袋いっぱいになってからシロップやジャムにする。ラズベリーとブラックベリーの収穫時期がずれていてよかった。そうでなかったら、冷凍庫はWベリー様Wのものになってしまうもの。梅シロップの中でシワシワになり果てた梅も取り出す。何の根拠もない思い込みで、火を通さないのがいいような気がして例年発酵するのにまかせていたが、発酵しているということは糖分がCO2とアルコールに変化しているということだから、むだだと思いついた。生物が出すCO2と石化燃料を大量に燃やして出るCO2とは訳が違うから温暖化貢献云々ではなく、ただただ甘さが減ってはもったいないと思っただけ。今年は火を通してみたから、どうだろうか。赤ジソジュースも作ったし、シークワァサーもあるし、これで夏の飲み物は十分。
この暑さの中、ベーコンを作ろうと思う。S代さんのブログを読んでいたらベーコン作りのことが書いてあって私も作ってみたいと触発されたのだ。彼女の燻製器は電気代がかかるからと使われなくなった乾燥機!チップは連れ合いさんが家具を作っているので十分供給される。Yさんのベーコンは台所のガスコンロの上に一斗缶をのせて作ったという。私はというと、ずっと前に旅の途中どこかの金物屋さんで、これは絶対燻製器に違いないと買ったまましまい込んでいたのをひっぱりだしてきた。−どこで買ったかは覚えていないが、ここら辺では売っているのをまだ見たことがない。青森に行った時には、時計型薪ストーブの煙突に取り付けてお湯をわかす道具が売られていた。各地を旅する時には金物屋さんや雑貨屋さんをのぞいてみると、そこの土地にしか売っていない生活用具を見つけることができるかもしれない。ところで、あの木製梅割り器なんていうのは、どこでも売っているものなのかしら−
ベーコン作りは、豚バラ肉に塩と砂糖をすり込み漬け込んだものを燻製にする。1回目に作ったベーコンは、玉ねぎ、にんじん、セロリと一緒に漬け込んだので、出来立てを食べたら野菜の香りいっぱいの「お肉」で、少しがっかり。何日か冷蔵庫に入れて置いたら「ベーコン」になったけど、今度は胡椒だけで作ってみようと思う。木のチップがなくても大丈夫。私は番茶と洗双糖で煙を出した。台所中が燻製になるかと思いきや、思ったほど煙は立ち込めなかった。やれやれ。
豚を食べてきたヨーロッパの文化の中で、冬が来る前に太らせ豚をベーコンやらハムやソーセージに加工して保存するというのが本来の食べ方なのだろうから、夏、冷蔵庫をW塩漬け肉様Wに明け渡してベーコンを作るというのは、ちょっと違う気がするが、今は1年中出まわっていることだから、よしとしよう。
さぁ、今年の暑い夏も乗り切っていこう。
この地球の上で(アリシアの「地球の上に生きる」)(2008年6月)
「地球の上に生きる」という本がある。著者のアリシア・ベイ・ローレルがサンフランシスコのヒッピー・コミューンに住む人々の生活の知恵を1冊にまとめた本だ。全編手書きの文字と絵(1972年刊行の日本語版も日本語の手書きで書いてある)の本を、当時20歳そこそこだった私はワクワクしながらページをめくった。バックパッキングの仕方、小屋の建て方、保存食の作り方、石鹸の作り方、染色、薬草のこと・・・こんなことも自分でできるんだ、電気がなくてもシンプルに生きていけそう、そして何よりおもしろそー、だった。
この少し前、ベトナム戦争反対やスチューデント・パワーなど、時代の大きなうねりが巻き起こっていた。そこから権威って何?企業が作るものを消費するだけの生活って変じゃない、戦争なんて止めて愛し合おうよ、本当に大切なものって何?次々と湧き上がる既製の価値観に対する疑問を自分の生活の中で実践し、ケミカルなものは止めて人も自然も傷つけないライフスタイルを模索する人々が現れた。こんな人たちをヒッピーという。(髪をきちんと切り背広を着て会社に行くことをやめて、長い髪をなびかせ自由な服装をする人々を受け入れられない人は「ヒッピーみたいに汚い格好」という言葉を投げつけたりもした。)
先日アリシアが松本に来て、自分のこれまでのことを話しながら、その度に生まれた歌を歌ってくれたトーク&ライブが開かれた。「ヒッピー生活はエコ」と信毎に記事で紹介されたこともあり、初めてアリシアに出会った人も多かったことだろう。30数年前の本から抜け出してきたようなアリシアで嬉しかったけれど、あの本にはまだ書かれていなかったことが一つ。今アリシアは「政治に関心がある」という。「グローバルな企業のものは買わないで地域のものを買おう。買うことは投票になるから。」それは、グローバル企業を支えるか地域のものを支えるかという消費者としての一票の投じ方。国産小麦のパンや国産大豆の味噌を買うことは、食の安全性の問題ばかりでなく、地域で小麦や大豆を育てている農家やそれを加工する小さな企業を自分は支持するという一票を入れることになる。
日本では獲れないコーヒーを飲む時は、適正な価格で取引されるフェアトレードのものにしよう。コーヒーは石油に次ぐ取引規模を誇る国際商品で、大企業がコーヒー市場を支配している。それが生産者にとってどういうことを意味するか。世界中に10000以上の店舗を持つある企業の1杯330円のコーヒー代の中身は296円(90%)が小売業者、輸入業者・23円(7%)が輸出業者、地元貿易会社・3〜9円(1〜3%)がコーヒー農家という事実。(映画「おいしいコーヒーの真実」より)
今、パンクロックなんかをやっている若い人たちの間で、グローバルな市場経済に抵抗するために「DIY(Do It Yourself)」とか「自力」というムーブメントが生まれていておもしろいと思っている。「地球の上に生きる」ということは、自分が自力でやっていく力を持つこと、自分以外の人々も又自力でやっていける力を持てるということじゃないかしら。
さて私の最新のDIYは。100円ショップで買ったじゃが芋や玉ねぎを入れていた麻布の袋が破けてきたので、買うのは止めて荷作り用の麻紐を編んで作ることにした。細編みで直径20pの円形に編んで増減なしでぐるぐると15pくらいの高さに編んで持ち手を作って完成。一巻き900gの麻紐でこのサイズのものが4つは作れるはず。自然な風合いが台所に合ってなかなかいい感じ。かぎ針がだんだん楽しくなってきて、ついでに白いコットン糸でドイリーも作ってしまった。DIYは仕事の楽しさにも目覚めさせてくれる。
この地球の上で(長野聖火リレーの日)(2008年5月)
4月26日、朝8時を少し過ぎた時間に長野駅前に降り立った目に飛び込んできたのは、広場を埋め尽くす中国の五星紅旗とチベットの雪山獅子旗。一瞬ここはどこ?と思わせる光景が拡がっていた。
チベット難民2世で日本に住むツェリン・ドルジェさんが代表を務めるSFT(Students for a Free Tibet)というグループが長野でチベットのことを平和的、合法的に訴えたいから現地で関係各機関と連絡を取る人を探しているとメールがあったのがそもそもの始まり。この1ヶ月間、長野でチベット問題を考える人たちはチベット問題とは何かと「チベットチベット」の上映会を開いたり、善光寺の境内で3月以降の抗議行動の中で亡くなった人を追悼するキャンドル・ナイトなどを行ってきた。リレー前夜25日には、北京オリンピックを迎える今、行動を起こさなければチベットはあと10年15年でなくなってしまうという焦燥感に駆られるチベットの人の気持ち、チベットの文化や歴史、現状について話し合った文化交流会も開かれた。
聖火リレーのスタート地点を辞退することを決めた善光寺さんは、その日のお朝事(あさじ)で、スタートの時間に合わせて犠牲者のチベット民族、漢民族双方の人の名前が分かる限り読み上げての追悼法要を行ってくれることになった。在日チベット人30人以上、一般の人の400人の参加があったということだ。法要が終わってからSFTは、長野駅前で横断幕を広げてアピールするために長野市などに申請して使用許可をもらっていたものの混雑が予想されるので、法要の間、伊那谷に住む友人たちが場所を確保することになった。私もお朝事の法要に参加したかったが、朝、子どもの卓球大会のためのお弁当を作ってから行ったら間に合わないかもしれないと、場所取りの役をもらい、長野駅前に降り立ったのだった。しかし、その時すでに無法地帯。使用許可をもらっているはずの私たちは、人の波に押されっぱなし。待てども現れないチベットの人に代わって横断幕を広げるが、五星紅旗が覆いかぶさってくる。道路の反対側では五星紅旗の一団と雪山獅子旗がにらみ合っている。「がんばれ中国」vs「フリーチベット」+「支那人帰れ」のコール。後者はフリーチベットに名を借りた反中国をアピールする日本人。「支那人」という差別用語が意識的に使われている。対話と非暴力とは程遠い。聖火が通り過ぎても、ツェリンさんたちチベットの人は現れなかったので、ここにいる必要はなくなり、対立の場からさっさと引き上げた。(後でわかったことは、法要の後駅前に向かったが、あまりの混乱状態にあきらめたらしい)
リレー閉会式後に若里公園の一角をやはり使用許可をもらって、小さな集まりを持つことになっていたので、雨の中を向かった。沿道、特に車道側は五星紅旗に埋めつくされている。雪山獅子旗を持って通り抜けようとすると、取り囲まれた。旗で巻かれそうになって、おお、旗はこん風にも使えるのかと感心しそうにもなったけれど、無視してすり抜け、以後友人たちと固まって、聖火応援団どころか民間「聖火防衛隊」ともいえそうな人たちには近寄らないようにした。警察に助けを求めようにも彼らが遮っていて無理だし。
若里公園ではなぜかリレー到着地点には五星紅旗の一団、少し離れたところに雪山獅子旗の一団に振り分けられていた。またしても、ここはどこ?私たちも彼らのところに行くよう指示されるが、旗を降ろして、差別用語を発する人も一緒になっている集団には入らないことにした。チベット人虐殺だけではなく海外へ発信する人権活動家を逮捕したり、情報統制をしく中国に真の人権はないが、過去に行った自国の虐殺を正視しない日本の排他主義者にも人権を語る資格はないし、フリーチベットを語る資格はないと思う。「私の人権」を守るためには「あなたの人権」も守っていかなければエンドレスの対立のみが続いていく。
こうして長野聖火リレーの一日は終わったが、これでチベットに宗教の自由、言論の自由がある高度の自治が実現したわけではない。が、これをきっかけに善光寺から世界に向けて、非暴力平和のメッセージが発信できたことは何よりすばらしいことだったし−物静かで政治的な主張をしないことで知られる日本が動いた。拡声器もプラカードも用いないその静かな抗議の声はしかし、どんな喧騒よりも深く強く世界の人々の心に届くに違いない。BBC(イギリス)等々−、チベットの人の辛辣な姿に打たれ、今後継続してチベット問題に関わることを決めたお坊さんたちが現れたのは嬉しいことだった。
この地球の上で(戦争の民営化)(2008年3月)
今年の、ユキヤナギの小さな緑の芽がではじめた春分の日、お彼岸のお中日は3月20日だったけれどおはぎを作れなかった。生前自分が死んだら誰がおはぎを上げてくれるのだろうと云いながら仏様に欠かさずおはぎをお供えしていた母のために、なるべく作るようにしていたのだけれど。
今年の3月20日はイラク攻撃から5年目の日。この日、2004年にイラク・ファルージャ近郊で拘束されたことのあるフリージャーナリスト安田純平氏の最新イラク現地報告会が開かれ、それに関わっていたから。今回彼はイラクに労働者として入り込み取材をしてきた。隣国クェートには人材派遣会社の求人広告があふれているそうだ。しかし年収200ドルのネパール人が2000ドル、3000ドルの斡旋料を払って来ても必ずしも仕事にありつけるとは限らないし、日本人には技術者としての資質が求められるようだ。何の技術もない安田はコックとして売り込み、デバニアルという町の米軍基地建設会社の給食係りとして働き始める。
そこはグローバル・キッチンだった。世界中から人も食べ物も大量に仕入れられてやってくる。インドから卵(賞味期限が3ヶ月もある卵は着いた時点で1ヶ月半がたっているとか)、ブラジル、ニュージーランドからの肉、クェートやサウジアラビアの工場で大量生産されたレトルト食品。キッチンで日々食事を作る仕事は戦場の殺伐さとはほど遠い。普通の日常と違うのは、時折聞こえてくる爆撃の音だけだ。そこで人々は戦争をしているということを意識せずに働くことができる。
デバニアルはシーア派の町。シーア派とスンニ派の争いは宗教間の対立などといわれているが、それぞれの利権集団がイスラムの名の下に戦っているという。コーランには、他の宗教に介入してはならない、信仰は自分と神の問題だと書いてあるという。
次の派遣先はバクダットのコンクリート塀に囲まれたインターナショナルゾーンの中の民事軍事会社のキッチン。これら民間会社の警備も民間会社が行うそうだ。湾岸戦争では米軍54万人に対し民間人の参加は9200人、それが今回のイラク戦争では米軍16万人に民間人16〜18万人。戦争を行うためには、戦闘を行う兵士だけではなく武器や各種物資の移送、基地建設、警備、食事作りなどをする人々が必要だ。戦闘以外の仕事はほとんど民間会社が請け負っているのだと思う。日本では「民営化」と体よく訳されている「プライバタイゼーション」は「私物化」のことだと指摘するのは西谷修氏(東京外大大学院教授)。何故アメリカは、あの戦争は間違っていたという関係者の声の中が出始めているにもかかわらず、イラクを内戦状態に陥れたにもかかわらず、イラクから撤退しないのか。それは「軍需企業と下請け民間会社に巨大な市場と利益をもたらし、今でも復興事業の多くを受注している。つまり『私的な』事業としては失敗ではないということだ」(西谷修)ということなのだろう。
世界の貧しい国の人々が民営化された戦争に参加する。では、当のアメリカではどうだろうか。新自由主義政策の下で広がる格差社会アメリカ。「貧困大国アメリカ」(堤未果・岩波新書)によると大学を出たけれど学費ローンを返済できない人々に返済免除をつけて米軍に誘いをかけ、生活に困窮している人々のところには人材派遣会社からある日突然「いい仕事がありますよ。」と電話がかかってくる。派遣先はイラク。
市場経済を優先させ、福祉、教育、医療を切り捨ててアメリカと同じ道をたどっているこの国。戦前の国家総動員法のようなものを作らなくても、「いい仕事がありますよ。」と声をかけ、民間軍事関連会社に人を集めるやり方は、就学援助受給者や年収200万円以下の非正規雇用労働者が年々増加するこの国でも通用するやり方だろう。もし憲法を変えられなくても、民営化という手があると思うとうすら寒くなる。
さて、おはぎは2日遅れたけど、小豆を煮てあんこときなこのおはぎをお供えすることができた。先日ある会合で食べたクルミ汁をかけたおはぎがおいしかったので、秋にはこれを作ってみようと思う。
四季の台所(冬ごもりの最後にレシピを片つける)(2008年2月)
まだ寒い日が続くが、庭にはもうチューリップの芽が出ていた。春までもう少し、もう少し。
2月のビッグイベント・バレンタインディーも終わって、片付けものに手を出し始めた。最近の中高校生はというと、チョコは男の子たちの目の前を素通りして女の子たちの間で行き交っているようだ。うちの娘たちもそれぞれに20個以上の「友チョコ」作り、私はバレンタインディーが夫の命日だから、お供えのチョコ作りをした。今年うちの台所で製作されたチョコ菓子は、デコチョコ(今流行のキラキラデコみたいにアラザンやポップシュガーをチョコの上に飾る)、ブラウニー、ココアシュー、ガートーショコラ、マンデルレーリュッケン、やれやれ・・・。
引っ越した時にとりあえず置いた本の整理にとりかかるが、なかなか手ごわい。ごちゃごちゃした料理雑誌から始めてみる。「タイ料理」「保存食」「パン」等テーマ別になった本はいいけれど、雑誌のバックナンバーというのはどこに気に入ったレシピがあるかわからなくなるでしょ。いい方法を見つけた。B5判のリングファイルを使う。(A4版は大きすぎる気がする)B5コピー用紙にパンチで穴を開けた台紙を作り、そこに切抜きを貼り付け、「野菜」「ご飯・麺」などの見出しをつける。インターネットで検索して見つけたレシピもここに貼り付ける。簡単に台紙が作れるし、いらなくなったらそのページだけ捨てればいい。
<レモンソース> レモン・・・小1個(スライスする)
玉ねぎ・・・小1/2個(スライスする)
しょう油・・大さじ2
酢・・・・・大さじ2
洗双糖・・・大さじ4
水・・・・・大さじ4
片栗粉・・・小さじ1強
- 調味料を火にかけ、トロっとしたら玉ねぎをいれ、煮立ったらレモンを加え一煮立ちさせる
- フリッタータイプのエビなどの揚げ物によく合う。
さて、雑誌は何冊か心置きなく資源ごみに回ったけれど、ファイルが増えた。実は1970年代からの新聞から切り抜いた紙が変色したスクラップブックが何冊かあるのだ。綺麗な料理の本を買う余裕があまりなかった時代に新聞の料理記事はとてもありがたかった。お菓子、おせち、漬けもの、塩鮭で作る北欧風マリネ、こんにゃく芋からつくるこんにゃく、梅酒の梅を使ったフローズンクッキー、シューマイのコツ、ずいぶんお世話になった。生家ではほとんど料理などしたことがなかった私が、こんなものが自分でつくれるのだとわくわくしながら作ったレシピ。昔も今も、様々なレシピは未だ知らないワンダーランドに連れていってくれる手引書に思える。天草を煮出した汁が固まるなんて、こんにゃく芋をすりおろしたものにアルカリを加えると固まるなんて、大豆が麹と塩でいい香りの味噌になるなんて、小麦粉と卵を練ったものを高温で焼くと膨らんでシューになるなんて不思議、不思議のワンダーランド。高級食材には出会えなくても、レモンと玉ねぎの意外な組み合わせのソースに出会うという感動もある。
レシピも面白いけれど、その人が生きている日々の中で料理を作ることや、どこでどのように食べられてきたか、どのように食べられているかの物語も面白い。辺見庸「もの食う人々」、太田愛人「辺境の食卓」「羊飼いの食卓」、水上勉「土を喰う日々」はお勧めしたい。
今読んでいるのは、世界中のくさいもの(つまり発酵しているもの)に精通している東京農業大学の発酵学・応用微生物学が専門の小泉武夫さんの「くさいはうまい」(毎日新聞社)。納豆が発酵菌のおかげで煮ただけの大豆に比べビタミンB2が10倍になるなんて、目に見えない世界でのワンダーランド。人間と発酵食品の関わりが面白い。世界にはすごい発酵食品があって、アザラシのおなかの中に羽根付の海鳥を70羽も詰め込んで土に埋めて発酵させた「キビヤック」なるものがあるらしい。寒すぎて発酵食品などないといわれたカナダ・イヌイットの知恵が詰まっているのだが、紙面がなくなってきた。もう少ししたら図書館に返すので、興味がおありでしたらお次にどうぞ。
で、肝心の片つけは、途中で読み返したり、作りたくなってしまったりでなかなか進まない。冬ごもりの季節はもうすぐ終わってしまうというのに。
この地球の上で(氷の女王到来)(2008年1月)
今年もやっぱりやってきた。1月26日の最低気温−12,3℃。氷の女王のご到来だ。
朝起きると、台所のボールに氷がはっていた。家の中の氷を見るのはこの冬初めて。水道の蛇口を押しても水は出ない。非常用に買い置きのペットボトルの水(思っていたとおり賞味期限切れのものがあったのでそれから使う)でまずはコーヒーをいれ、ゆっくり頭をめぐらす。幸いお湯は出たのでそのお湯をかけて、台所はまずはクリア。トイレはバケツで水を運べばこれもなんとかなるし。さて、問題はバイトに出かける前の娘がどうしてもシャワーを浴びたいという希望を叶えるにはとストーブを浴室に持ち込んで午後2時まで炊いたけど、うんともすんともいってくれない。しかたないので、湯船にお湯を張ることにした。ついでに皆で昼間からお風呂という贅沢を味わい、熱い残り湯で洗濯もできた。洗濯機のホースの水抜きと蛇口へヒーターを通すことは抜かりなくやっていたので、洗濯は大丈夫だった。
翌日の予報でも−12℃。台所と洗面所の水を少しづつ出し、やかんにいっぱいの水を用意することに。これが功を奏したのか前日ほどの冷え込みがなかったのかこちらは無事であったけど、水を出しっぱなしにするのがもったいなくて出してなかった浴室はまたしてもだめ。高価な灯油を使ってむなしい努力をするのもいやだから、この日もお風呂をわかすことになるが、うちでは毎日お風呂に入るのは贅沢の部類にはいる。
何時ごろから毎日お風呂に入ったり、毎朝朝シャンをするようになったのだろう。
昨年NHKで中国の水事情の特集を放映していた。北京では高層のビルが次々に建ち、裕福な人々は浴室が2つもあるマンションに住み、若い人たちの間では朝シャンが当たり前になりつつある。さてその水はどこから来るのかといえば、上流のダムからであるが、そのダムの周辺に住む人々は水がほしくても使うことは許されていない。播種の季節になって水を請いに役場に申し立ててもこの水は国策として北京に送らねばならないということで許されない。そこの人々は、畑の水に不足するどころか、生活用水としての井戸からの一杯の水を、まず顔を洗い食器を洗い、掃除に使い、最後に家畜に飲ませるという水の使い方で生き延びている。お風呂に入るなんてとんでもないことだろう。
水を使っていい人、いけない人に分けられていないだけこの国の方がましだろうか。次の例はどうだろう。
東京杉並区で公立の中学校で成績上位者のための有料の特別授業が始まった。一人1万数千円から2万数千円かかるそうだ。普通の塾に比べれば安いということだけれど、就学援助金を支給されている家庭が増えている中でこの金額を支払える家庭というのは限られるはず。東大をはじめ一流大学入学者の家庭の年収は高いという。塾に通ったり家庭教師もつけられない家庭の児童の学力向上こそ、公の教育は取り組むべきではないのだろうか。(注:一応この特別授業は保護者が主催ということだが、中学校の協力なしにはできないことだ。)格差を是正して、すべての人々が幸福に生きることを追求できる社会の実現のために政府や自治体は存在しているのではないだろうか。
これを書いている間に、引っ越してまだ荷物を置いてある前のアパートの水道が凍ったけれどどうしたらいいかと友人から電話があった。水道管が破裂していたらどうしたらいいのかと。すでに破裂しているのだったらいまさらどうしようもないし、凍った状態では破裂したかどうかはわからないので、気温が上がった日に様子を見てくるしかないこと、その旨大家さんに伝えておくようにアドバイス。
氷の女王とうまく付き合えるよう、どうぞ皆さんもお気をつけください。