Yakkoのページ この地球の上で&四季の台所  2000年

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この地球の上で **市民の市民会館**

Yakko
 師走のにぎわいもまだこれからの12月3日、駅前で何年かぶりにビラまきと署名集めをした。松本市民会館改築をもう一度見直してほしいという陳情書を松本市議会に出すためにだ。
 前回、地元住民の会で集めていた署名に快く書いてくれた人達どうもありがとう。エスキースコンペで選定された設計図も広報に載り、着々と建設の準備は進んでいるけれど、地元住民の会や、市民会館利用者団体、個人などが集まって「松本市民会館建設計画見直しを求めるみんなの会」を発足させ、あきらめずに私たちの声を市政に届けようとしている。
 県松本文化会館2,000席というホールがすでにあるのに、145億円もかけて1,800席の大きなホールをもう一つ、私たちは必要としているのだろうか。123億円は借金だという。国も借金だらけ、松本市も1,830億円の借金の上にプラス123億円。これからの財政はどうなるのだろう。結局、将来、子ども達にツケを支払わせることになる。ちなみに中規模ホールなら50億で建つそうだ。大仏ダム、淺川ダム建設中止と大型公共事業見直しの時代に松本市は逆行している。
 池をつぶし、公園をつぶしての敷地内めいっぱいの建物の設計図をご覧になっただろうか。うちは市民会館のすぐ近くにあるので、子どもと散歩することも多い。歩くと、街の中に残された自然が、とっても大事の思える。青い小っちゃなドングリの赤ちゃんが大きくなっていくのを楽しみにしてのドングリ拾い。コナラの木は夏には日陰を、冬にはポカポカのお日様の光を届けてくれる。池には、出征兵の母さん達が、帰ってコイよと放したコイ(その子孫かな)が泳ぎ、カメが甲羅干、カモの親子も泳いでいる。ケヤキのうろからヒナが顔を出すこともある。鈴木慎一氏が植えたライラックの木の下にはネジバナだって咲いている。ネムノキは夢みるような花を咲かせてくれる。池の周りをリハビリで歩いている人もいる。計画では、池をつぶして建物の回りを水路にし、ケヤキの大木数本のみを残すという。そこにカモやカメは住めるの?小鳥は子育てができるの?ライラック公園は屋上庭園にしてエレベーターで出入りするそうだ。道行く人に見えるのは、木々や花々でなく巨大な建造物だけになる。街の中がどんどん合理的で、無機質の物に変わり、車にとっては便利かもしれないが、歩く人にとっては、ちょっと休んで腰かける場所、ホっと一息いれる場所がなくなっていく。女101人会議が消費生活展で松本市の水マップを展示して‘‘いつまでも残してほしい水辺’’のアンケートをとったら、深志公園の水辺がトップだったそうだ。はじめに行政の計画ありきではなく、私たち市民のこうあってほしいという声を集めてから作り上げていくのが本当の市政ではないだろうか。
●1月いっぱい署名を集めます。
 市外・県外の方でも賛同していただける方は、お願いします。

 (12/8.池のカモを数えたら80羽いた。)
(2000年12月)

この地球の上で **宇宙**

Yakko
 高校の卒業文集にあったアンケート、「あなたが一番知りたいことは何ですか?」私の答「宇宙の全容」。
 10代の頃はSF少女だった。SFといってもジャンルは、未来、インナースペース(内的宇宙)、スペースオペラ(”スターウォーズ”のような宇宙活劇)、タイムトラベル、ファンタジー様々だが私の好きなテーマは、人間はどこから来て、どこへ行くのか、だった。宇宙の宇は時を、宙は空間を意味する。果てしもない過去から果てしもない未来に続いていく時、想像もできないような拡がりを持つ宇宙空間、地球という星に生まれた生命は進化をかさね、これから先どこに向かうのか過去も未来も含め、その宇宙のすべてを知りたい、と思っていた。
 こんなことを思い出したのは、佐治治夫「宇宙日記」(法研、刊)を読んだからだ。宇宙からも風は吹いていると始まるこの本は、宇宙の姿を語ってくれる。
 ビッグバン理論というのがある。宇宙を観察することによって、近くのものより遠くのものの方が早く遠ざかるという「ハッブルの法則」が発見された。それはつまり、宇宙全体が一様に膨張していることであり、時間をさかのぼると、宇宙はどんどん収縮して小さな粒に行きつくということだ。その小さな粒が、”ゆらぎ”によって大爆発して宇宙が始まったというのがビッグバン理論。始まりは百数十億年暗い前、ビッグバン直前の宇宙の大きさは1/1000mm、温度は1032度、密度は水の1096倍。ビッグバンで生まれた粒子は、10万年かかって、最初の原子、水素となり、水素原子はひきつけ合い収縮して、原始の星が生まれる。星はさらに周りのものを吸いよせながら圧縮し、1000万年後は熱核融合反応が始まり、水素はヘリウムに姿をかえつつ、星は輝き始める。数十億年わたって燃え続けた星はやがて超新星(スーパーノヴァ)として宇宙空間にとび散るのだけれど、それは、核融合反応によって作り出された様々な元素が”星のかけら”として宇宙にばらまかれるということ。地球、そこに芽ばえた生命も又星のかけらであり光のしずく。スーパーノヴァの光を調べると、星を構成する元素の割合と、人間の元素の割合はほとんどおなじだという。宇宙と人間の存在は不可分の関係で結ばれていることが、S・W・ホーキングら、イギリスの理論物理学者達によって展開されているという。宇宙自身が、自分とは何かを知るために宇宙知性を持つ人間を作り出した。いいかえれば、人間とは、宇宙が自分自身を認識するために150億年かけて、宇宙が作り出した産物であると。
 そう考えると宇宙的存在としてこの地球の上にいる”私”を自覚することから人類は次のステージに進めるような気がする。星のかけらからこの空気と水に満ちた地球が生まれ、あふれる生命が生まれ、今、こうして宇宙にまで思考をとばせる人間のいることの不思議さ、ありがたさ。宇宙の根源にルーツを同じくする私たち。長い抗争の時代を超えていけないだろうか。
(2000年11月)

四季の台所 10月

akko
 暑い暑い夏と、暑い初秋も過ぎ、朝晩は冷え込むようになった。今年もちゃんとススキの穂は風にたなびき、柿も赤く色づいている。ありがたいなあ。
 今年は我が家は忙しくて、田植えをしたのが6月30日。例年どうり上の田五畝ぐらいは代かきをした普通の田んぼ。下の田五畝の半分くらいは無耕起無除草の自然農田にした。上の田んぼは、いつもは温水堆肥といって、引き込んだ水が田んぼに入る前に堆肥の上を通り過ぎるにしてあり養分を含んだ水が田んぼに入るようになっている。今年は代かき直前まで、クレムソン・クローバー(普通のクローバーより大きい。きれいな赤い花が咲く。)を茂らせていた。自然農田は、奈良の川口由一さんのやり方で、草を敵とせず作物と共生させる。草を抜いたり、掘り起こしたりせずに苗が小さいうちは、日陰にならぬよう畝間の草を刈りとってあげるだけだ。田植えは土が固いので、スコップや棒で穴をあけ植えていくので、どちらかというと‘‘移植’’と呼びたくなる。
 さて、なんとか田植えは済んだものの、その後も忙しくて、田の草取りどころか水管理も何もできなかった。草ぼうぼうで、稲は草に埋もれているだろうと、今年はすっかり諦めて、9月下旬、他の用事の際に田んぼに立ち寄った。なんと健気な稲だろう!草に埋もれているどころか稲より高いのは20数本とおぼしきアメリカセンダングサのみで、草の上にしっかり頭(こうべ)を垂れている。誰かこっそりボランティアで田の草取りをしてくれたのかしらとおもってしまうほど。去年、ヌカをまいて草を抑えたのがよかったのか。さあ稲刈りをしなくっちゃ。体調をくずしているつれ合いに代わって、波田で米作りをしている友人から自分とこが終ったら機械で刈ってやるヨとか、和歌山からもかけつけてやるヨとか、嬉しい申し出があった。収量はかなり落ちるかもしれないけど、今年も天の恵みをいただくことができそうだ。ちなみに下の自然農田は、苗が小さい時に刈ってあげれなかったので、稲は消え、野原と化していた。
 ピカピカ光る新米はおいしくてもう一杯おかわりしてしまう。それが混ぜご飯、炊き込みご飯になると・・・・。食欲の秋だ、ウェストのボタンをはずしてしまおう。
●菜めし―大根葉をサッと茹でて細かく刻み、塩を振って炊きたてご飯に混ぜる。きれい、あっさりおいしい。●ごぼう混ぜご飯―ささがきごぼう、にんじんを油でいため(ごぼうは皮をむかない、水にさらさない)みりん、しょう油で濃い目に味付け、炊きたてご飯に混ぜる。ごぼうのいい香り。●甘くておいしいさつま芋ご飯。●きわめつけまったけご飯etc,etc.
(2000年10月)

この地球の上で **映画『サイダーハウスルール』

Yakko
 この夏休み、つれ合いもこども達もいない日が2日あった。で、何をしていたかというと洗濯、そうじ、繕い物・・・これじゃいつもと同じダ。私も夏休みを!と思い立ったのが、女だけ1000円で映画が観れるというありがたい金曜日。それで「サイダーハウスルール」を観た。
 孤児院で育った青年ホーマーが、父親同様の愛を注いでくれたドクターラーチの手元から外の世界に旅立ち、仕事をし、恋をし、自分が本当にすることは何かを見いだして再び孤児院に帰ってくる話は、子どもが大人になる自立のドラマだ。「サイダーハウスルール」の舞台は第二次世界大戦中のアメリカ。当時堕胎は禁止されていた。ホーマーの育った孤児院は産んでも育てることのできない女が人知れず産みに来る場所であり、堕胎する場所であった。孤児院の前に12才の少女が倒れている。非合法であるが故、未熟なヤミ医者にかかった結果、炎症を起こし手遅れになった彼女を埋葬しながら「私の所に来ていたら・・・」とつぶやくドクターラーチ。育てられないという事情を抱え、心を鬼にして産み終えたとたん「顔は見たくないから早くあっちにやって!」と叫ぶ母親の傍で元気に泣く赤ちゃん。やっぱり「ちょっと見せて」と云ってしまうのは母親だからだ。
 こんなシーンを見ながら、1983年の優生保護法「改正」に反対した時のことを思い出した。ごく簡単に説明すると、日本にも堕胎罪というのがある。が、優生保護法の中絶許可条件に当てはまれば適用されない。優生保護法とはその名のとうり優生思想に基づくもので、「改正」で経済的理由による中絶許可条件が削除されれば、健常者はすべて産め、障害者は産むな、ということになる。障害のあるなしに関わらず、産む産まないは個々人が選択することで、法によって決められたくはない。それに産めない事情を抱えた女たちの生命が危険にさらされるのでは?と私たちは街頭劇やビラまきをしたのだった。
 ホーマーが孤児院を出て働いていたリンゴ園の季節労働者の宿舎は‘‘サイダーハウス’’と呼ばれている。そこには、「ベッドでタバコを吸わないこと、暑くても屋根の上で寝ないこと・・・etc」のルールが貼ってある。ホーマーにそれを読んでもらった人は、「これはここの住人じゃない奴が作ったもの。ルールを作るのはここに住む俺たちだ」と破り捨てる。ルール(規則・法律)とは誰のものか?そして、ドクターラーチに後継ぎにと望まれても堕胎手術をするのがイヤで孤児院を出たホーマーだったが、父親の子を妊娠した少女のために、再び医療カバンを手にとるのだった・・・。
 何回も涙が出てきた映画なのに、見終わってから心は元気付けられていた。孤児たちを見守るドクターラーチのやさしさや、ルールを破ってでも(何しろこのラーチ先生、戦争にホーマーを行かせないために偽の診断書を提出するなどルール破りばかりしている)しなくてはいけないことをする態度に、どうしようもないことや悲しいことが世界にはいっぱいあるけれど、それを全部丸ごと受け入れ、なおかつ愛するということを教えてもらったような気がするからだ。
(2000年9月)

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