【2025年01月12日更新】

名医とは・・・

 年齢を重ねて、最近ときどき思うこと。それは、科学を重んじるお医者さんのことである。そして自分の寿命のことである。両親も祖父ちゃん・祖母ちゃんも、姉ちゃんたちも、とっくのむかしに天国に旅たっている。そして自分は、間もなく米寿を迎えようとしている。
むかしは60代で「年寄り」のレッテルを貼られたものが、最近では80歳になっても働いている人が多い。たった何十年かの間に、人間の寿命は30年くらい延びたのかな。その要因は、明らかに医学によるところが大きい。それも、身近な「町医者」の存在が、我が身の天国への路を妨害してくれているような気がしてならない。
一口に町医者と言っても、ピンからキリまで多様だ。何かと言えば「それは神のみぞ知ること」なんて言いながら、自身の責任を放棄しようとする医者。かと思えば患者のことを単なる金儲けの手段と考えているのか、「これは保険外のものですが、よく効きますよ」と戦後の街角の押し売りみたいなことを言う人もいた。かと思えば、じっとボクの意見を聞き、顔色を見定めた上で、親身になって病気の原因を探そうとしてくれるお医者さんもいる。
ボクの意見は、患者を教材として学ぼうとする医者こそ「名医の証明」だと思っている。皆さんの意見はどうだろうか。お断りしておくが、以上例に出した方々は、今お世話になっているお医者さんではない。生まれてこの方かかった無数の病院の中から思い出した事案のほんの一部に過ぎません。(2024年09月16日)


寝正月

 「寝正月」なるものを実感しました。老夫婦二人連れのお正月も、何度目になりますかね。なんとか日常とは違う時間を持ちたいと、おせちを頬張ったあとは、ひたすらうとうとを通すことに。やろうと思えば出来るものだ。
ふと、食台の上の年賀状を手に取る。「今年で年賀状やめます」の添え書きが、いくつも目に飛び込んできた。「お付き合いもこれまでにしましょう」の意味かと悲しくなる。「俺だけはいつまでも出し続けるよ!」と必死に抵抗してみる。そのうちにまた眠くなった。寝正月を心から実感した元日でした。(2025年01月05日)


ことしも頑張ろう!

 とうとう来ました、米寿の年が。まだ早いよと抗議したら、米寿の祝いは数え歳でやるんだって。日本国中がそうなら逆らってみたって仕方あるまい。同窓会名簿をめくっていたら、懐かしい名前が「死亡者」蘭に移動していることに気がつく。最近噂をしていたばっかりだったのにと、思わず肩を落としている自分がそこに居る。
2025年が始まっても、まだまだくたばってはいられない役割が、ずいぶん残っていることにも気がついた。「一喜一憂」を繰り返しながら、「三歩進んで二歩下がる」を、2025年も繰り返すことにしよう。絶対続けますからね、「筑紫次郎の世界」を毎週更新すること誓います。(2025年1月1日)

表紙へ