父島の散歩道

小笠原 父島のSEA−TACのサイトにUPされていた頃の「父島の散歩道」のトップページは、↓こんな感じでした。



      左側のメニューにある順番で↓に並べました。
      ※写真、動画の全ては99年以前のもので、
        文章も当時の状況を元に書かれています。

              十 文 字
 宮之浜から釣浜に至る遊歩道の途中、十文字あたりに、素晴らしい景観の展望台がある。初めの頃、いつも宮之浜から登っていた のだが、これが結構しんどい。急な階段が続くのだ。しかし、ご馳走にありつく前に一仕事こなすのは昔からの理りだろうと諦めていた。
 ところがある日、いつもとは逆に釣浜の方から回ってみた。これがどうしたことだ ろう、とても楽なのだ。急な階段のぶんを、緩やかに時間をかけて登るからだろう。 二日酔いの時でも、こちらからなら歩く気になる。思いこみと云うのは恐ろしいと思った。
 この遊歩道の途中に、ジャリの浮いた急な坂道がある。登りはいいのだが、下りが怖い。 二日酔いの時など、ビーチサンダルで歩くのは不安なのでスニーカーを履く。それでも尻餅をついたりする。ああ、やっぱり二日酔いはロクでもないと思ったりした。し かし、その後、健康な時もスニーカーで歩くと、妙に転びそうになることに気が付いた。つまり、足が滑るのは二日酔いのせいではなかったのだ。ビーチサンダルだと用心して歩く。スニーカーで歩くと油断する。それだけのことだった。また、思いこみと云うのは恐ろしいと思った。
 ある日、この展望台で綺麗な女性が本を読んでいた。観光客らしい。翌日も同じ時間、本を読んでいた。また翌日も。向こうも、毎日私が同じ時間、通りかかるのに気が付いているらしい。なにしろ、滅多に人が歩かない遊歩道なのだ。こう云う事から何かが始まる、なんて云うのはやっぱり「思いこみ」か? いや、そう決めつける方が「思いこみ」じゃないか? これは千載一遇の出会いかもしれないぞ! ・・・ そ んな具合に千々に心が乱れていたら、ある日、 麗人の姿は消えていた。

                  釣 浜   

 ダイビングのポイントとしても有名な釣浜は、大村から歩いて30分ほどで行けるのに、ちょっとした秘境の雰囲気が味わえる。小笠原高校の前の道を上がりきった所にある駐車場から右手に上がれば電信山、奥へ下れば釣浜に至る。ほんの5、6分の下りだが、この道がいい。亜熱帯の木々が生い茂り、時には野生のヤギを見かけることもある。
 この道は、かつて父島で飼っていた犬、ホリーとよく歩いた。夏場はけっこう若者達が泳ぎに来るが、船の出た後はあまり人が来ないので、臆病で人間嫌いのホリーにとって、格好の散歩コースだったのだ。今でもよく思い出すことがある。
 ある夏の午後、たぶん、船の出た後だったと思う。とても静かだったのを覚えている。釣浜に下りる道の途中で雨が降ってきた。大きく覆い被さるように茂ったオガサワラビロウの下で暫く雨宿りをした。
 雨はスコールのように勢いを増す。雨粒が亜熱帯の木々の葉を叩く音が騒々しい。音に敏感なホリーは少し怯えた。腰をおろしてそっと抱いてやる。やがて、雨足は遠退いていった。周囲を圧していた音量が急に静まると、恵みの雨を浴びた植物たちの沸き立つような命の息吹きが満ち溢れた。
 その時だ。近くの茂みの中に何かいるような気がした。コロボックル! もし、コロボックルがいるとしたら、こんな時、こんな場所に出るに違いない! 本当にそう思った。目を凝らし、耳を澄ませた。ただ、一つ、気になることがあった。妖精の類は純粋な子供にしか見えないと云うじゃないか。それじゃ、こんなオッサンに見える訳ないか・・・。
 結局、コロボックルを見ることは出来なかったが、その時、不安そうに辺りを窺っていたホリーには見えていたような気がする。その後僅か5才で命を終えることになる彼女は、汚れた人間界より、ずっと向こう側の世界に近いところで生きていたような気がするから。

        
            左がホリー。右はその後来たハート。


                 電 信 山

 小笠原高校の前の白くて長い坂を登ると、釣浜の駐車場に至る。その手前が電信山遊道の入り口だ。そこまでは村の中心部から歩いて20分というところだろうか。遊歩道自体は長崎岬まで40分ほど続くのだが、私のお気に入りだったのは歩いて10分くらい、アップダウン三つ目のピーク。ここに座って眼下の「とびうお桟橋」や、その 向こうに拡がる二見湾、湾の向こう側に横たわる野羊山を見ているのが好きだった。 特に夕方がいい。
 5時になると、村の防災無線のスピーカーから、「椰子の実」のメロディーが流れる。距離の違ういくつかのスピーカーから同時に流れるから、少しづつずれた「椰子の実」が悪い夢のように共鳴する。「椰子の実」が流れると、湾岸通りを走る車が急に増える。この島では5時になると、ふつう、一日の仕事は終るのだ。
 この丘の上からいつも、そうやって一斉に終わる島の一日を見ていた。漁船も帰ってくる。観光船も帰ってくる。なのに、いつも私だけ、終わらない一日の中にいた。
 いつだったか、東京の実家から16年生きていた犬が危篤だと報せがあった。しか し、週に一便の船は昨日、出てしまった。帰れない。「お前が一番可愛がってた犬じゃないか」と言われた。でも、何も出来ない。
 そして翌日、犬は死んだ。その日の夕方もこの丘に来た。いつものように、5時になって、「椰子の実」が流れ、島の一日が終わる。いつものように、私だけ、終わらない。
 日が暮れたらバイクを走らせ、長崎岬のあたりから東京の方角にヘッドライトのパ ッシングをしようと思った。一人で遠い世界に旅立った親友の手向けになることは、 それしか思いつかなかった。

       
         クロ、ほんとに、君に会えて良かった。


                長 崎 岬
 釣り浜上の駐車場から、見晴らしのいい尾根沿いの道を40分ほど登ると、電信山遊歩道の終点、長崎岬にたどり着く。最後の胸突き八丁の階段はとてもしんどい。ホントに「たどり着く」と云う感じだ。この道は見晴らしがいいだけに、風が強い日には危険だから要注意。ただ、この長崎岬の景観を見たいだけなら、スクーターで大村から10分もあれば行けるのだけれど。
 写真ではシロアリにやられて消えてなくなっているが、ここにはかつて椰子の葉で葺いたキノコ型の日よけがあった。その頃、私は奥村のとても狭いアパートに居候していたので、ゴザと本と双眼鏡を持って、よくここに涼みに来ていた。風通しがよくて、蠅も蚊も来ないから快適なのだけれど、船が入るとそうはいかない。続々と観光客が来るのだ。
 そう云う時はゴザを隅の方に移動して小さくなっている。しかし、次々に来る観光客が、私の大好きなこの景観に歓声をあげるのを見ているのは、それはそれで楽しかった。
 ただ、ガイドがいないと色々と勘違いして、こちらが苛々する。「向かいに見えるのは何島?」「あれも父島の一部でしょ?」 違う! 兄島だ! 「あそこ飛んでるの、トンビ?」 違う! 小笠原固有種のオガサワラノスリだ! 「あ、あそこにヤギがいる! あれも小笠原固有種かな?」 違う! ただのヤギだ!
 出来れば教えてあげたいのだが、私には「心の傷」があった。この展望台からはよく、真下の海面に青海亀が浮いているのが見える。それを一度、観光客に教えてあげようとした事があった。しかし、双眼鏡を渡したら、海亀は海中に消えていた。観光客は、「不審なオヤジ」と云う顔をした。それ以来、何も言えない。

 

                ジョンビーチ       
 「散歩道」と云うにはややヘビーだが、ゆっくりで片道2時間ほどのジョンビ ーチへの道も時々歩いてみたくなる。写真はジョンビーチへの出発点、小港。この道を歩く時は、真冬以外ならこれ位曇っていた方がいい。真夏の晴れている日は、辛い。
 もう一つお勧めするとしたら、「亀」に徹すること。アップダウンで階段の多いこの道を、よく若者が走るように先を急ぐ姿を見かける。私は階段では片足で 半歩づづ、尺取り虫のように進む。いかにもジジむさいこの歩き方を人に教わった時、正直、「カッコ悪いなぁ」と思った。そこまでして歩きたくないな、と思った。「でも、ホント楽だから、騙されたと思ってやってごらん?」と言われて、 試してみたら、あらま! これがホントに嘘のように楽なのだ。確かに、カッコ 悪いが、それを帳消しにして余りあるものがある。休憩時間も少なくて済む。だ から、結果的に、「兎」を追い越すこともよくあった。
 しかし、世の中には人の話を聞かない人もけっこういるようだ。いつだったか、 出発してせいぜい40分、写真の稜線辺りにある中山峠を下りたブタ海岸で、海水浴をしている二人連れのオジさんに声をかけられた。 「みんなこの先に行くけど、ジョンビーチより奥にも何かあるの?」
  「え?」と言って二の句がつげなかった。「徒然草・仁和寺にある法師」のような話だけれど、彼らはブタ海岸をジョンビーチと信じて疑っていなかったのだ。 可哀相なので真相を教えてあげたが、それ以上は訊かなかった。だから彼らが本当に勘違いしていたのか、それとも誰かに騙されていたのか、いまだに謎だ。
「すこしのことにも、先達はあらまほしきことなり。」

                境 浦

 座礁船があることで知られる境浦は、大村から歩いて50分くらいだったろうか。記憶に定かでないのは、島に知り合いが増えてから歩かなくなったからだ。島の人の辞書には「散歩」と云う項目がないらしい。近いところでも車やバイクを使う。だから、私が散歩をしていると、何度も声をかけられるのだ。「どうしたの?」「バイク、壊れたの?」・・・。 「いえ、散歩しているだけです。」と答えると、みな不思議そうな顔をする。 奥村を経て隧道をいくつも抜ける道はすべて舗装路だが、決して退屈な道ではない。途中、とびうお桟橋の方を回って海の中をのぞけば、小魚の群れが戯れているし、夕方なら、帰港するダンシング・ホェールを出迎えることも出来るかもしれない。
 ただ、その先にあるいくつかの隧道にはちょっと問題がある。車で通るとアッと云う間でも、歩くととても長いのだ。恐がりの人には、そこはかとなく漂っている不気味な気配がちょっと気になるだろうし・・・。それだけに、恐いもの好きな人にはオススメだ。
 恐いもの好きの人のために、二つほどエピソードをご紹介すると、この隧道の中では、よくスクーターが突然エンストするらしい・・・。
 隧道の先の境浦では、私自身が経験したことがある。以前、ラジオ局で働いている友人に、小笠原に行くなら、南の島らしい「音」を録ってきてほしいと、DATと云うテープレコーダーを託された。何度もテストしてOKだったのに、「境浦の防空壕の中に響く波の音」と云うのを録ろうとしたら、突然、DATがウンともスンとも云わなくなった。何日にもわたって色々試してみたが、ダメだった。これは機械の故障だろうと諦めて、東京に送り返した。
 その後、友人から電話があった。「DAT、壊れてなかったよ。」


                 青 灯 台

 散歩の楽しみには歩くこと自体の爽快さと、道すがらに出会う発見の喜びの二つがあると思う。青灯台は村の中心部から歩いて2、3分だから、爽快さを求めるには向いていないだろう。しかし、「発見」と云う観点からすると、ここはタダモノではない。
 チャンスは少ないが、自衛隊の飛行艇が離着水するのを見るのには、この写真の辺りは特等席。幸運にも飛行艇の離着水するのを見ることが出来たら、きっと感動する。何しろもの凄い迫力なのだ。特に飛び立つ時が好きだった。ゆっくり体勢を整えて、やおらエンジン全開! 重々しい巨体が目の前で重力の呪縛を断ち切る時の力強さは圧倒的だ。
 そんな幸運に恵まれなくても、ここはその海だけでも価値がある。人が住んでいる所からすぐ近くなのに、とんでもない生き物に出会えるのだ。内地の人には信じられないかもしれないが、私はこのすぐ前でスノーケリングをしていて、1mを越えるロウニンアジを見たことがある。1.5mくらいのマダラエイ、2m近いサメ(安全なホワイトチップ)、華麗に舞うマダラトビエイの群れも・・・。ここでは何が起きても不思議ではないのだ。
 ただ、大潮の上げ一杯の頃、着ていたものをここに置いて海に入るのは禁物。いつだったか、上がってきたら、船の曳き波で全部持って行かれた事があった。一番ショックだったのは長年愛用のサングラスだ。必死に探したが、ない・・・。
 翌日、諦めきれずに、また海中を探した。こんな時に見つかる試しはないのだけれど。しかし! あったのだ! それも岩の間の奥の方、あと少し転がっていたら絶対発見不可能と云う所にチョコンとあったのだ。我が眼を疑った。本当に、中国じゃないけれど、ここでは何が起きても不思議ではないのだ。




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