【ここの概要(歴史、自然など)】
富谷観音は、正確には小山寺という。聖武天皇が735年に行基に開かせたという、由緒正しい寺。開運、安産、子育てに御利益があるというが、個人的には、今のところ、後二者は関係ない(^^;。写真の三重の塔は、国の重要文化財に指定されている。なかなか見事な作り。
富谷観音といわれるゆえんは、富谷山の中腹にあるから。といっても、頂上にほど近いところ。下から階段で登ってくることもできるが、疲れる。ハイキングのつもりでないのなら、山の上の駐車場まで車で行ってしまうのがよいだろう。寺の裏門から更に登っていくと、ふれあい公園がある。ここにも駐車場はある。芝も良く整備されていて、眺望も開けている。岩瀬の町並みが一望できる。
【行ってみた感想】 2001.6
前回1996年に行ったときは、下から歩いて登ったが、今回は駐車場まで車で行った。らくちん。
富谷公園は、96年頃には造成中だった。今回は完成していた。…何年も経過しているしね。で、行ってみると期待していた以上に眺望が良く、芝なども良く整備されていた。また、夕方だったのだが、バンで年輩の方が数人やってきて、散らかっているゴミなどを拾い集めていた。ボランティアの人たちだろうか。(公園を使う方は、ゴミを散らかさないように!)
景色がよいので、芝にごろっと寝ころんで、本を読んだり昼寝したりしても良いのかも。カップルや子供連れの方はピクニックなどもお奨めかも。
展望台は落書きなどされていて悲しい状態だったが、天気がよければ、遠くまで見渡せるのは間違いなさそう。あいにくと靄がかかっていたので足下の岩瀬町までしか見えなかったが。
【看板説明文】
● (展望台の看板)
富谷山は標高三六五米で岩瀬町の北方に位置する。富谷観音は安産、子育の観音として関東一円に名声高い。
本尊は木彫りの十一面観世音で天平七年代四十五代聖武天皇の勅願所として創建され、三重の塔は国指定の重要文化財である。
この展望台からは正面に紫峯筑波山(八七六米)を始め富士山、日光連山が望まれその眺は絶好である。
展望台
高 さ 九.三米、外周九.二米
面 積 延六六.四平方米
竣 工 昭和五十四年十二月八日
施工者 岩瀬町長 中田清一
請負者 株式会社 新栄建設
設計者 井上建設設計事務所
● 笠間県立自然公園の案内
笠間県立自然公園は、富谷観音を中心とした地域、仏頂山、高峰を中心とした地域、国見山を中心とした地域、三峰山、岩谷寺を中心とした地域、佐伯山を中心とした5つの地域に区分されています。これらの各地域は、神社仏閣など核となるものが存在しており、いずれも自然植生の豊な所であります。神社仏閣周辺は、スダジイ、カシ類、ヒサカキ、ヤブコウジなどの生育する常緑照葉樹林が多く見られます。その中で、富谷山はシイの群落地として有名なところであり、また、国指定の天然記念物であるヒメハルセミが富谷山麓をはじめ仏頂山付近に生育しており、その他の昆虫相も数多く貴重な地域です。
なお、この恵まれた自然を保護していくため皆様のご協力をお願いします。
指定期日 昭和30年11月7日
指定面積 3,969ha/茨城県
● 茨城森林浴の道100選No.64
富谷山
富谷山は、古くから山岳仏教の霊地富谷観音として親しまれており、三重の塔などの文化財が数多くある。
参道はスギ、ヒノキ、スダジイ、コナラなどの巨木が、静粛な霊域としての樹林を形成している。また、西側に隣接する展望台や、ふれあい公園からの眺望もすばらしい。
問い合わせ先 岩瀬町役場環境整備課
● 小山寺(富谷観音)
宗 派 天台宗
国指定重要文化財 三重塔
県指定文化財 十一面観音菩薩座像
多聞天、本堂、楼門、鐘楼
天平七年(七三五年)、聖武天皇の勅願により行基菩薩が開山したと伝えられ、古くから開運、安産、子育ての祈願所として知られている。本尊の十一面観音菩薩は行基の作、脇士不動尊は慈覚大師の作、多聞天は運慶の作と伝えられている。本堂は四柱作りで江戸時代に再建された。三重塔は寛正六年(一四六五年)、多賀谷朝経が旦那となり大工宗阿弥家吉とその息子によって再建された。関東以北ではまれにみる室町時代の塔で、細部の装飾にすぐれ、屋根はこけら葺で頂上には鉄及び銅製の相輪がある。/岩瀬町観光協会
● 富谷観音
富谷観音は、天平七年(735)、聖武天皇の勅願によって行基が開山したと伝えられ、開運、安産、子育ての祈願所として多くの人に信仰されており、正しくは施無畏山
宝樹院 小山寺といいます。
本堂は、五間四面の四柱造りで江戸時代に再建され、本尊の十一面観音菩薩坐像は身の丈2.1mで行基の作となっています。
三重塔は、寛正六年(1465)、多賀谷朝経が建立した。また、国の重要文化財に指定されています。
環境庁・茨城県観光物産課
● 国指定重要文化財(旧国宝)小山寺三重塔
明治三十九年四月十四日指定
当山は施無畏山宝樹院小山寺と称し、通称、富谷観音と呼ばれている。
天平七年(七三五)、聖武天皇の勅願に依り、行基菩薩が創建したと伝えられる。
本尊は十一面観世音菩薩で、不動明王毘沙門天を脇士として安置する。
南北朝のころ、結城、多賀谷、大野の諸氏が堂塔を修造し、江戸時代現在の規模に改修された。
この塔婆(三重塔)の相輪宝珠の刻銘に寛正六年(一四六四)、多賀谷朝経が大檀那となり、大工棟梁宗阿弥家吉等により造営されたとあり、和様の形式を基調とし、唐様を交え細部の装飾に見るべきものがある。
室町時代の造りとしては、優れたものの一つで、こと内部の佛壇はまれに見る傑作である。また、本尊十一面観世音菩薩坐像は、鉈彫様式による欅材一木造で、平安時代の作と伝えられ、全国的に見てこれほどの大作は珍らしく、県としても貴重な存在であり、県指定文化財(昭和四十六年十月二十八日)となっている。
茨城県教育委員会/岩瀬町教育委員会
【備考】
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