No. 12 土浦城跡と亀城公園

つちうらじょうせきときじょうこうえん

一言メモ 桜が見事な市民のオアシス
市 町 村 土浦市
東  経 140.12.4.9
北  緯

36.04.54.2


 詳しい地図↓

 

最終更新日:2002.4.20.

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お堀


椎の木


【ここの概要(歴史、自然など)】

 土浦城は、古くは平将門が砦を築いたところから始まったということだが、明確な記録は時代がずっと下った1400年代から始まっている。そこから城主が若泉、菅谷、結城、松平、西尾、朽木、土屋と変遷し、土屋で明治を迎えた。もしかしたら、もっといますか?
 土浦城は平屋で、5重の堀に囲まれた様が、まるで水に浮かぶ亀を連想させたことから、亀城とも呼ばれた。ちなみに、亀は「万年」で縁起の良い生き物。縁起がいいお城だったんでしょうね。
 今は当時の門がいくつか残っていて、桜の名所らしい。また、歴史物の椎が立っている。猿もいる。

【行ってみた感想】 2000.11

 ここに来るときにいつも困るのが駐車場。なにしろ、土浦の町のど真ん中にあり、無料の駐車場はすぐそばには見あたらない。ちなみに、このときにはバイクで行ったので、何とかなった。地図で見るとこじんまりした公園のようだが、実際に行ってみると、結構広く感じる。起伏があんまりなく、広場がいくつかあるからだろう。市民のオアシスというだけあって、子供たちが遊んでいたなぁ。

【看板説明文】

● 土浦城跡および櫓門
  県指定史跡 第1号
  土浦市中央一丁目
  昭和27年(1952)11月18日 指定
  管理者 土浦市
 土浦城は、一名亀城きじょうともよばれ、平城ひらじろで、幾重にも巡らしたほりを固めとする水城みずじろでもあった。城は、城跡に指定されている本丸ほんまる・二の丸を中心に、三の丸・外丸そとまるのほか、武家屋敷ぶけやしき町屋まちやを含み、北門・南門・西門を結ぶ濠で囲む総構そうがまえの規模をもつものであった。
 江戸時代の建物としては、本丸表門の櫓門やぐらもん・裏門の霞門かすみもん、二の丸と外丸の間に移建された旧前川門まえかわもん(高麗門こうらいもん)があり、復元された建物としては、東櫓ひがしやぐら西櫓にしやぐらがある。
 戦国時代には、城主は若泉わかいずみ氏、信太しだ氏、菅谷すげのや氏と変遷へんせんしたが、織豊しょくほう期には結城秀康ゆうきひでやすの支配下に入った。江戸時代の城主は松平まつだいら(藤井)氏、西尾にしお氏、朽木くつき氏、土屋つちや氏、松平(大河内おおこうち)氏と変ったが、土屋政直まさなおが再び入城して、以後明治維新に至るまで土屋氏(9万5000石)の居城となった。
 明治以後、本丸跡は土浦県庁、新治にいはり県庁、新治郡役所、自治会館などに利用されたが、現在は二の丸の一部とともに亀城きじょう公園となっている。
  平成11年(1999)6月
  土浦市教育委員会/土浦亀城ライオンズクラブ寄贈

【備考】

 関連サイト: 茨城県林業技術センター  土浦市  土浦市観光協会  
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