Hermann Ludwig Blankenburg |
曲 目 |
Seite 1 1. Mein Regiment 我が 連隊 (3:44) 2. Admiral der Luft 空軍 大将 (2:29) 3. Klar zum Gefecht 勇躍 前線へ (3:16) 4. Für's liebe Vaterland 愛する 祖国 の ために (3:09) 5. Deutschlands Waffenehre ドイツ軍 の 栄誉 (3:19) 6. Friedensparade (Wachtparade) 平和 の 行進 (衛兵 交代 パレ-ド) (3:17) Seite 2 1. Mein Wesel 我が ヴェ-ゼル (3:11) 2. Ernst August エルンスト・ アウグスト (3:13) 3. Festjubel-Marsch 記念 式典 (3:42) 4. Jugendfrühling 若者 の 春 (3:00) 5. Halderner Festmarsch ハルデルン の 祭典 (3:10) 6. Abschied der Gladiatoren 剣士 の 別れ (3:24) "ドイツ の マ-チ王" ヘルマン・ル-トヴィッヒ・ブランケンブルク: 1876年11月14日 ドイツ チュ-リンゲン/テユ-リンゲン地方の タムスブリュック (Thamsbrück, Thüringen)の牧羊農場の 長男として 生誕。 3人の子供のうち 唯一の男子だったので 家族は この農場の後継を 期待していたが 本人は 当時 楽器、 特に、ピッコロ 演奏に 熱中している等 音楽家志向が 非常に強かった為に 最終的に 家族は「軍楽隊入隊」を 条件に 音楽の道を 進むことに 同意した。 彼は 好みの楽器の ピッコロを はじめ バス-ン、チュ-バ、ヴァイオリン の 独習に 余念がなかった。 幾つかの 交響楽団で 主として Bass Tuba の奏者として 活動。1896~1898年 ブレスラウ Breslau の 第6野戦砲兵連隊、1913~1915年 ヴェ-ゼル Wesel の 第43野戦砲兵連隊 の 各軍楽隊員として活動。ブランケンブルクが "有能 & 多才な" 作曲家として その評価を 一段と高め 地位を 確固たるものにした転機は 1906年 ロンドン の 大手出版社 Hawkes & Son 社主催の 行進曲作品 コンク-ルでの 受賞だった。 一方 私生活の面では 波乱含みの展開も あった。1917年に「家庭放棄」 そして 1920年には「重婚」の 問題を 起こしている。 しかしながら 地域社会への 貢献度が 高く評価されて1936年(60歳時)に 生れ故郷 タムスブリュックの"名誉市民" と 認定された。 1956年 5月15日 長い間 住み慣れた 第2の 故郷 ライン川下流域 の ヴェ-ゼル/Wesel, Nordrhein-Westfalen)にて 79歳 の 生涯を 閉じた。 ブランケンブルクの生誕 100年に当たる1976年 ヴェ-ゼル市は その功績を 讃えて 彼の 居住地 の 大通りを Blankenburg-strasseに 名称を 変更した。 ブランケンブルクは 生涯1,000曲以上 作曲したが その大部分が 極めて優れた行進曲 の 作品で とりわけ、ユ-フォニアム/Euphonium の 演奏による 対旋律/Counter -melody を 生かした 格調の高さ、洗練さの 中にも 剛毅 果断な ドイツ風スタイルを 貫いている点 が 実に見事。 |
価格:¥7,500- |