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Alford Conducts Alford |
| 曲 目 |
| March: Colonel Bogey ボギ− 大佐 March: The Thin Red Line 細く 赤い 格子縞(タ−タン の 柄) (Dedicated to the 93 Sutherland Highlanders 第93 サザ−ランド高地 連隊 の 栄誉を 讃えた 作品) Quick March: Dunedin ダニ−デン (ニュ−ジ−ランド 南島 の 南東部 に ある 港町) Quick March: On the Quarter Deck 後甲板にて Ceremonial March: By Land and Sea 陸路 と 海路で The Great Little Army 小規模 だが 屈強 の 軍隊 Quick March: The Standard of St. George 聖ジョ−ジ の 旗 Quick March: The Middy 海軍 士官候補生 Quick March: H.M. Jollies イギリス 海兵隊/イギリス 海兵隊員たち The Voice of the Guns 砲声 Colonel Bogey On Parade ボギ−大佐 オン パレ−ド フレデリック・ジョ−ゼフ・リケッツ/Frederick Joseph Ricketts (ケニス/ケネス・ジョ−ゼフ・アルフォ−ド は ペンネ−ム) 1881年 2月 21日 ロンドン テ−ムズ河 北岸の ラトクリフにて 石炭小売商の 第4子として 誕生。7歳の時に 父親、14歳で 母親を亡くした為に その後 主として 母方の祖母に 養育された。15歳の時 少年兵として 王立アイルランド連隊/Royal Irish Regiment 第2大隊 軍楽隊に入隊し 主として コルネット奏者として 活躍した。 同連隊は1896年から 約7年間 インドへ 駐屯軍として 派遣された。当駐屯地での 過酷とも言える 生活環境の中 リケッツも 当地 駐屯軍 の 軍楽隊員として その役割を 立派に果たし続けた 結果、実績が 多いに評価され 本国へ帰国後 ネラ−ホ−ル(王立陸軍 音楽学校)のバンドマスタ−コ−ス に 推薦された。同コ-ス終了後 異例の若さで 王立陸軍 音楽学校 の 副指揮者に就任。 ネラ−ホ−ルでの 約4年間 の 活躍後 1908年 南アフリカ植民地に 駐屯する 陸軍 ア−ガイル サザ−ランド 第93高地連隊 第2大隊のバンドマスタ−に就任。 リケッツ (アルフォ−ド)の 大半の 作品は この頃から 第1次世界大戦中を 経て 大戦終了直後の 期間に 作曲されたものである。 とりわけ、''Colonel Bogey'', ''Holyrood'', ''The Great Little Army'', ''The Voice of the Guns'', ''The Thin Red Line'' は 何れも この期間に 作曲された 行進曲の 作品で 専門家や 愛好家から 特に 高い評価を 受けている。 リケッツ(アルフォ−ド)が 作曲家として の 名声を 確固たる ものに したのは 約20年間のア−ガイル サザ−ランド 第93 高地連隊 軍楽隊での 活躍であった。1925年 リケッツ(アルフォ−ド)が 率いる 同軍楽隊は ニュ−ジ−ランドを 親善訪問し 南島の 南東部に ある 港町ダニ−デンで 開催 された 国際 博覧会に参加し 約6ヶ月間に亘って 演奏活動を 行い 好評を博した。 帰途は パナマ 運河 経由で 翌1926年 の 初めに イギリス本国へ帰国した。 この親善訪問の思い出に「Dunedin」は1928年に、 そして「Old Panama」は 1929年 それぞれ 作曲された。 共に 格調の高い 優れた 行進曲である。 リケッツ(アルフォ−ド)は 1927〜1930年 ケント州 のディ−ルに 在る 王立海兵隊 軍楽隊の 隊長を 務めたが、1930年に ディ−ルのバンドが 解散したため 同年 海兵隊の プリマス師団 軍楽隊に移り 隊長に 就任した。 第二次世界大戦 勃発 直前には 同バンドを率いて カナダを 訪問する等 国内外で 公式行事、式典 や 演奏会等で 多忙を 極めた。 リケッツ(アルフォ−ド)の 献身的な 努力もあり Royal Marines Bands の 実力 と 名声は 飛躍的に 高まり それに伴い イギリス の 吹奏楽 及び 軍楽 全般の 著しい 発展にも つながった。1942年に 海軍少佐(Major)に昇格。 1944年 4月に 健康上の 理由で 同隊を 退役した。 翌年の1945年 5月15日に 64歳で その生涯を 閉じた。 |
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価格:¥5,500- |