旅のまにまに


 その拾四・ 洗  礼


 ワシがここの連載を始めてから、
「なんであなたはそんなキケン目に遭ってもこんなにも平気なんですか?」
と、聞かれることが増えてきた。
 自分で言うのもなんだが、自身の経験を人に話していると同時に耳に入ってくる
我が言葉を聞いてみれば、なるほど、かなり危なっかしいことをやっとるじゃない
か、おーこわー、なんて思ってしまうこともよくあるのも事実ではある。
 しかし、そんなワシも昔は世間なんてこれっぽっちも知らない無鉄砲で無神経で
無謀な若者の一人で、なんでもワシ一人でやってやる、なんて常に息巻いていたの
だが、ある時を境に自分自身に変化が訪れた。
 今回はそのきっかけの出来事を。

 私の初めての海外旅行はインドである。
 それまでは幼い頃から暇さえあれば家を飛び出して日本各地をふらふら……おか
げでそれなりに一人旅ってのはこんなものか、という感覚は持っていたの
で、初めて降り立ったバンコクでは最初は少しトラぶったものの、そう苦労するこ
となく自力でインド行きのチケットを買い、ビザも取得してスグにインドへと飛び
立ったのである。
 そして到着したインドを少し歩いても客引きに物乞いばかりが迫ってくるし、町
並みも日本に比べたらはるかに粗末で薄汚れていて不衛生、しかもボロ車から吐き
出される真っ黒な排煙と土埃で空気も汚い。
 しかも蒸し暑いのでイライラしてるのに、追い討ちをかけるかのように客引きと
物乞いがわらわら……最初のインドへの感情は、見下げ軽蔑していること以外のの
なにものでも無かったので、タクシーの運転手を料金が合わないと足蹴にし、群が
ってくる物乞い達を棒きれで追い払ったり、放送コードに引っかかりそうなくらい
過激トークでバカにしてたりと平気で行っていたのである。
 しかし、初めてみる異文化の人・モノ・風景に興味をおぼえ感動していたのも事
実で、『インドって最低やのぉ!』とボヤキながらも楽しみつつ、しばらくイン
ド各地をぶらぶらとしていたのである。

 そして、急行列車の二等寝台車を予約してデリーに戻ることに。
 寝台車と言っても、単に寝転がることの出来る合成皮革張りのシートが縦に三段
並べられているだけのシンプルさ、そこに予約もしていない人々が勝手にシートや
通路に座り込み、足の踏み場もないほど混雑とした車内を、
「チャ〜イ、チャイチャイ!」
と、ガラスが割れんばかりの大声で売り歩くチャイ屋のオヤジに怪しい物売りや物
乞い達が忙しく動き回り、本当にここは列車の中なのか市場の中なのかわからんく
らいに混沌としている。
 まさしく『楽しいけど最悪』という言葉がぴったり(笑)。
 そして、ワシが手に入れた切符は寝台の中段、これがとても曲者だというのは初
めてインド鉄道を初体験した時から気づいていたのだが……それは、昼間の中段ベ
ットは倒されて下段の背もたれとして使われるので寝転がることが出来ず、その間
はずっと下段で座り続けないといけないのだ。
 それがワシと下段の客だけ座っていればいいのであるが、そんな贅沢をインドは
絶対に赦してくれる訳がなく、定員2名のシートに最低4人は座り込んできて、身
動き一つ出来ないギュウギュウ詰め状態のまま、下段の客が眠たくなってベットの
準備をしてくれるまでジッと耐え続けなければならないのだ。
 しかも、やっと寝れた、と思っても朝になれば強制的に起こされ、シートを背も
たれにしまわれてしまって再び地獄の『座り続け』が待っているのだ……本当は、
車窓は楽しめないが誰にも干渉されることなくずっと寝転がることの出来る上段が
欲しかったが、生憎中段しか予約が取れなかったのだ。
 本来ならキャンセルしていたのだが、帰国日も迫っていたこともあって仕方なく
乗り込んだのであるが、ワシのベットのある区画には見慣れぬ一団が先に占拠して
いた。
 その一団は皆、白い小さな帽子を被った髭面のオッサン達、そう、彼らはイスラ
ム教徒(ムスリム)なのだ。
 彼らに切符を見せると、さっと座れる分だけ空けてくれた。
 こんな間近にムスリム達を見たのは初めてであるが、めっちゃイカつい風貌の割
にはいいヤツらじゃないか。
 その後、なにもないまま夜を迎え、背もたれをベットにしてワシは眠りについた。

 しかし朝方、ぐっすり眠っているワシの背中を誰かがバシバシ叩いてくる。
 なんやねん、と目を開けて振り返ると、下段のヒゲオヤジが、
『このベットから出ていけ!』
という仕草をしてきたのだ。
 なめとんか、まだ夜も明けていないのにうっとぉしいんじゃ! とボヤき、後ろ
を向いて再び寝た途端、数本の手がワシの体を掴んで引っ張り、下へと放り投げた
のである。
 投げられた瞬間、一体何が起こったんだ、とパニックしたのも束の間、床へと激
しく叩き付けられ、脇腹や腰に激痛が走っているところに更に頭や腹や背中をドス
ドスッと鈍いが突き刺すような痛みが連続して……つまり自分は今、リンチにあっ
ているんだ、と気づくのにそう時間はかからなかった。
 反撃どころではない程の数人の男達による攻撃に、ただメガネだけは割られまい、
と無意識に両手で顔を覆って呻きながらガードし、ひたすら耐えるしかなかった
のである。
 あまりにもの激痛に動けなくなったワシに更に追い打ちをかけるように腕を掴み、
ドアの横まで引きずるように連れて行き、ワシの荷物と一緒にそこへ捨てられて
しまった。
 こっぴどくやられ、痛みが収まるまで動くことも出来ずに突っ伏したままだった
が、あちこち激痛はあるものの、骨には異常はなさそうなので、数分後に身を起こ
して車内を見渡せば、多くの乗客がワシをじっと見続けていて、そしてリンチを喰
らわせた連中はなんと、お祈りの真っ最中。
 普段なら飛びかかっていったであろうが、やめとけ! とどこからかハッキリ耳
に聞こえ、それでハッとして落ち着くことが出来、デリーに着くまでの数時間、ド
アの横でじっとしていたのである。

 デリーに着いた後、同じ宿にいた年輩の日本人旅行者にこのことを話すと、
「彼らは何よりも戒律を重んじる。当然に夜中にもお祈りの時間があるのだが、寝
ているので夜明け前に起きて礼拝すればいいことになっている。そして君の寝台に
いたのは特に敬虔な連中だったので、夜明けまでにお祈りをしないと、という強い
気持ちから君に対して厳しくしたのだろうね。」
 そうなのか、お祈りの時間が迫っているので彼らも必死なのでしやがったのか…
…けど厳しくしすぎだ。
 しかし、彼らに対しての自分の態度に問題があったのでないのか、と感じた。
 周りの空気に気づこうともせず、自分だけよかったらいいねん、ここは異
国なんだ、という気持ちが大きかったのも事実、そのナメた態度こそ、彼ら
をあそこまで怒らせてしまったのであろう。

 本当に、早く気づいて良かった、周りの雰囲気を読みとること、しかし、卑屈に
なるんじゃなく堂々と自分に自信を持て、ということこそ、旅をする上、いや社会
を生きていく上で非常に大事なことだと勉強できたのは今思えば良かったと思って
いる。

 皆さんも無意識な態度だけはお気を付けを。



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