【概論】ケータイ・ネットと子どもたちの人権【第8.1版】
LAST UPDATE 2015-11-16
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by kurochan

 「LINE」がらみのトラブルが頻発し、「オンラインゲーム」では金と時間の浪費に加えて出会い系被害が多発しています。ネット上には差別・暴力・猥褻情報が横行し、それらにアクセスする子どもたちは、「受けるネタ」としてネット上に拡散させ、有害情報蔓延に荷担することさえ起こっています。
 インターネットは、様々な壁を乗り越え、情報伝達増幅させる便利な技術であり、有益に活用する子どもたちもたくさんいます。しかし、ネット中毒・ネットいじめ・ネット詐欺や出会い系犯罪・有害情報・電磁波被曝などの危険も伴います。
 子どもの安全・子どもの友だち付き合いのために与えたはずのケータイ・スマホが、子どもを危険にさらし、時には子どもの友だち関係を崩してしまうことにもなりかねません。「情報と人権」を軸に、子どもたちのケータイ・スマホ依存やインターネットの落とし穴、情報リテラシーや人権課題について、大人の責任として考えてみましょう。

■1■ ネットトラブルへの対策 〜 基本は生身の人間関係
 子どもに関わる事件の影にケータイ・スマホありとの報道が相次いでいます。小学生の3割、中学生の6割、高校生のほとんどがケータイ・スマホを持ち、大半がメール・LINEトーク・ツイートなどで連絡を取り合い、様々なサイトを閲覧し、個人サイト(従来のホムペ、LINEやフェイスブックのホームを含む)を持つ子どもも少なくありません。音楽を聴き、財布にもなり、ゲームを楽しみ、動画も共有できます。特にスマホは、電話機というよりモバイルパソコンです。SNSやゲームに没頭し、生活のバランスを崩してネット依存状態に陥っている子どもが1〜2割いるとも言われています。
 ケータイ・スマホがらみのトラブルには特別の対応が必要なのではないかと考えがちですが、やはり基本は生身の人間関係に属する問題です。他者との信頼関係の構築・維持・問題解決の力を子どもたちに育てる取り組みが大切です。その上で、インターネットの特性をふまえた活用能力(リテラシー)を身につける必要があります。道具の向こうにいる人をどのように意識し、道具を使っていかに人と向きあうかが課題です。

■2■ メール・トークの落とし穴 〜 存在確認と同調圧力
 ケータイ・スマホを手放せないという子どもが増えています。友だちとの関係を維持するために頻繁にメール・LINEトーク・ツイートをやり取りをしています。メールやBBS(電子掲示板)への書き込み、LINEトーク、フェイスブックのコメントなどによって、自分を認知してくれる人間の存在を確認しているともいえます。子どもたちにとって、メールやトークの受信や掲示板レスは「自分を認めてくれている」という癒しであり、メールやトークの送信は「自分を見捨てないでね」という脅迫的な儀礼として機能している面があります。親密なように見えて、その維持に大変な緊張を強いられる友だち関係は、互いを受けとめ向き合う関係とは言えません。濃密な同調圧力で維持される友だち関係に神経を使うあまり、「その他の人々は無意味な存在」という感覚に陥る傾向も指摘されます。「相手の機嫌をそこねてはならない」という同調圧力と、「絶対ばれない」という思い込みから、同級生や教員などを「盛り上がるネタ」として中傷する行為は、悪質であると同時に、自身の信用を失わせることや、ネット上の自身の評価・位置を守るためにリアルとバーチャルが逆転してしまう不自然さにも気づかせる必要があります。現実の他者との関わり方も学ばせなければなりません。
 不安定な自尊感情、異なる人と交わり学ぶ姿勢の不十分さ、「互いのしんどさとは向き合わない」「異質を排除する」という傾向は、反差別の仲間づくりを難しくしているのではないでしょうか。子どもたちを救うはずの「怒りや傷み」の共有も、ネットでもリアルでもままならない状況です。
 また、コミュニケーションの7〜8割はノンバーバル(非言語)と言われますが、文字列だけでは相手の意図を「想像で穴埋め」せざるを得ず、そこに誤解や拡大解釈という「想像のお化け」が発生します。学校でのトラブルが放課後のネットに持ちこまれ、ささいな不満も同情を引きつけるために誇張され、友だちの間を飛び交うメールやLINEのグループトークが「悪人」を仕立て上げます。これがBBSなどに持ちこまれ、「匿名によるエスカレート」が加わると、自分の悪口が延々と記されたページを見つけたり、そのアドレスをメールで受けとった子どもは、数多くの友だちが閲覧しているだろうことにも恐怖と不安を感じ、学校へ行きづらくなります。子どもたちのメール相手やLINEの友だちが直接知り合う友だちでもあることが、敵意や不安の増幅(フレーミング)という悪循環を生み出しています。

■3■ サイト閲覧の落とし穴 〜 人間フィルタリングの大切さ
 1999年にケータイからのネット接続が可能となり、モバイル市場が2兆円以上にまで成長した日本には、豊富なケータイサイトがあり、当然、有害情報へのアクセスも防ぎようがない状況です。
 奈良県では、啓発連協「インターネット掲示板差別書き込みについて考えるプロジェクト会議」が取り組む「インターネットステーション」の活動により、一定の成果も上げていますが、残念ながら、ネット上には有害・差別的なBBSやWebサイトは無数に存在します。ケータイ・スマホからしかアクセスできないWebサイトも多数存在し、子どもたちは、保護者や教員のチェックを受けずに、そうしたWebサイトにも簡単にアクセスできてしまいます。誹謗中傷の書き込みやいじめ動画を発信したり、傷つけられたりというトラブルは日常化し、加えて差別・暴力を意図的に煽るBBSや動画にも子どもたちはさらされています。2015年春先に始まった「イスラム国ごっこ」などは、マイノリティの子どもたちを不安に陥れています。
 18歳未満の青少年にはフィルタリングが原則義務づけられていますが、少なからぬ保護者がこれを解除し、多くの子どもが被害にあっています。一方、健全サイト認定を受けたサイトでも被害は多発しており、技術的対策だけで子どもを守ろうとすることの限界と、親子関係不在を指摘せざるを得ません。

■4■ ホムペ・ホームの落とし穴 〜 中高生のホムペ・ホームと「ネットいじめ」
 多くの子どもたちが自分の個人サイト(ホームページ、ホムペ)を持ち、LINEやフェイスブックのホームも含めて、頻繁に更新している子どもたちが少なくありません。中高生のホムペは、パソコンやケータイで瞬時に作れるサービスを使ったものが多く、プロフ(プロフィール)・日記・写真・BBS・リンクなどから構成されます。自己紹介情報のプロフに自ら書き込んだ個人情報から巻き込まれる犯罪、なりすましプロフによるいじめなどが問題視されています。日記・写真・BBSなどには、保護者や教員はもちろん、仲の良い友だち以外は絶対見ないという前提のものが多く見られ、自分の名前や顔写真を明らかにしながら同級生を中傷する書き込みなどの事例も珍しくありません。LINE・ミクシィ・フェイスブックなども同様の構成ですが、個人的なつながりをベースにするLINEなどでは、自分たちだけのやりとりという意識から、悪口・悪質動画の共有・仲間外し・トークの「既読」プレッシャーといったトラブルやストレスが子どもたちを振り回しているように見受けられます。
 友だちへのささいな不満や悪口も、ネット上では短時間で拡幅されてしまいます。閲覧者の気を引こうとする心理が働き、相互批判を許さない「友人関係」を維持するため、「盛り上がるネタ」として心ない中傷が書き込まれがちです。リンク先には学校で毎日顔を合わせる友だちが多いことから、中傷はすぐに広まり、思わぬ迫力で敵意や恐怖を生むわけです。傷ついた子どもは、書かれた事実だけでなく、「多くの友だちがそれを閲覧しているだろう」「また何か書かれるかもしれない」という不安や恐怖を覚えます。ケータイ・スマホを手にする友だちを見ただけで体が震える子どももいるわけです。これが一般のBBS、とりわけ悪質な「学校裏サイト」になると、匿名を隠れみのにして、さらに悪意を込めた書き込みがなされることもあります。

■5■ 差別・暴力・猥褻情報との対峙 〜 「受けるネタ」か「怒り・傷みの共有」か
 ネット上の差別・暴力・猥褻情報は過激さを増し、悪質な動画も量産されている状況です。動画への親和性の高さが指摘されるネオ・デジタルネイティブ世代の子どもたちが、これらの悪質動画に接する機会は相当あるという認識が必要です。こうした情報の蔓延は、差別や暴力に対する怒りではなく、差別や暴力を「面白い、受けるネタ」と捉える意識を生み出しかねません。差別情報にさらされるだけではなく、差別の拡散や、暴力への荷担をする子どもたちを生み出しかねません。歪んだ性情報は、異性を尊重する人格的関わりを阻害しかねません。街中やネット動画のヘイトスピーチが子どもたちに与える害悪や絶望も深刻です。たとえネット上の悪質情報に接しても、これらを否定することのできる人権学習が確実に展開される必要があります。そのためには、差別や暴力、歪んだ性意識に苦しむ子どもたちの訴えを受けとめ、その痛みを子どもたちで共有していく取り組みが必要です。ネット上の歪んだ情報に絡め取られない、反差別・人権を基礎においた「人権ベースのネットリテラシー」が、子どもたちにも我々大人にも求められています。

■6■ ケータイ・スマホリテラシー 〜 自主的ルール作りと「き・き・み・み」
 不安な日々を過ごしている子どもは必ずいます。「どうせバレない」「たいしたことはない」と高を括っている子どももいます。被害者ケアは当然ですが、加害者へのアプローチも不可欠です。学校や行政は定期的な実態調査を行い、対策に取り組む必要があります。
 ケータイ・スマホは豊かな人間関係を創る可能性も秘めた道具ですが、誤解や悪意を拡幅し、子どもを絶望に落とし入れ、取り返しのつかない罪を招きかねない道具でもあります。「表現の自由」や「アクセス権」も大切な権利ですが、「子どもの成長への責任」放棄の言い訳にしてはいけません。家庭でも、ケータイ・スマホ利用のルール作りや利用実態の把握を通し、信頼と責任のある監督をしましょう。学校においても、ネットリテラシー教育や自主的ルール作りに取り組みましょう。保護者や教員もケータイ・スマホ・ネットにある程度明るくなることが求められています。こうした事態に心を痛めている子どもはたくさんいます。子どもたちの経験や思い、アイディアを引き出して、子どもたちの自主的な取り組みを形にしていきましょう。「子どもたちに教えてもらう」ことで、子どもたちとの面と向かった関わりを持つことも大切です。
 忙しい親や教員に十分に関わってもらえず、友だちともなかなか本当の話ができなければ、子どもたちもネットに没入するしかないのではないでしょうか。人間は人として受けとめられなければ、生きていけないのではないでしょうか。子どもたちは「気づいてほしい」「聞いてほしい」と願っています。そして「認めてほしい」「見ていてほしい」と願っています。これを私は、「き・き・み・み」と自分に言い聞かせています。ケータイ・スマホ・ネットの問題も、「人として子どもをしっかり受けとめる」「人としての人との関わりを身をもって示す」ということが基本だと思います。
 私は、「ネット上の人権文化創造」「2つのJ(人権と情報)」を念頭に諸サイトの運営をしてきました。参考資料・図書などを個人サイトで随時更新しています。ご参考になれば幸いです。(2015.11.16改訂)

http://www5b.biglobe.ne.jp/~kurosan/JINKEN/Keitai/index.htm


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