八祖相承

真言密教は、大日如来がおさとりになった法門(おしえ)を、灌頂(かんじょう)という儀式を通して金剛薩多(こんごうさった)に授けられました。金剛薩多は、大日如来から授けられた秘密の教えをひとつに集め、南天竺(みなみてんじく 南インド)の鉄塔(てっとう)の中におさめられ、この教えを伝授(でんじゅ)するのに適当な人があらわれる時期を待っておられました。
釈迦如来がご入滅になってから800年ほど経ったとき、龍猛菩薩(りゅうみょうぼさつ)という僧侶が世に出られ、この鉄塔を開いて金剛薩多からの秘密の法をすべてお授かりになりました。龍猛菩薩はこの教えをもって、多くの人々をお救いになり、次に金剛智三蔵(こんごうちさんぞう)に伝えられました。
金剛智三蔵は、唐の開元8年にインドから中国に渡られ、玄宗皇帝(げんそうこうてい)の帰依を受けて金剛頂経(こんごうちょうぎょう)をはじめとする多くの真言宗の経典を漢語に翻訳されました。それを不空三蔵(ふくうさんぞう)に伝えられました。
不空三蔵は師の遺言を受けてインドに行かれ、たくさんの秘密経典を中国に持ち帰り、それらを翻訳されました。それから中国で密教が盛んになったのです。
金剛智三蔵とほぼ同時代に、インドのマカダ国の生まれの善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう)が中国に来られました。善無畏三蔵は、一度は国王になられましたが感ずるところがあり、位を兄にゆずって出家されました。達磨掬多(だるまきくた)から密教を学び、80才のときに陸を渡って中国は唐(とう)の長安(ちょうあん)に来られ、大日経(だいにちきょう)をはじめとする真言宗にとって重要な経典を翻訳されました。
善無畏三蔵の弟子に一行禅師(いちぎょうぜんじ)がおられました。一行禅師は善無畏三蔵の大日経講義を筆記されました。これが大日経疏(だいにちきょうしょ)二十巻で、真言教学の基本となっております。
前述した不空三蔵は、弟子の恵果和尚(けいかかしょう)にこの法門を伝えられました。恵果和尚は中国の長安の青龍寺(しょうりゅうじ)におられ、大勢の弟子らの教育にあたられました。
その恵果和尚を尋ねて、弘法大師 空海上人が日本から中国に渡られたのです。そして、恵果和尚より真言密教のすべてを授けていただき、日本に真言密教を伝え、多くの人々をお救いになったのです。

それで、龍猛菩薩ー龍智菩薩ー金剛智菩薩ー不空三蔵ー善無畏三蔵ー一行禅師ー恵果和尚ー弘法大師を真言の伝持の八祖(でんじのはっそ)というのです。


龍猛菩薩 龍智菩薩 金剛智菩薩 不空三蔵
善無畏三蔵 一行禅師 恵果和尚 弘法大師

戻る