仮称生命原子(1975年)

 死体からは脳波は検出されない。生体には脳波がある。心臓が止まっても頭から脳波が検出されれば生きている。心臓から脳波が検出されても、頭に脳波が検出されなければ死ぬという。睡眠すると脳波は安定した波動を示し、刺激的な夢をみると変動する。発狂したり激昂した時も、脳波は異常に揺れ動き、心理状態が平静な時には安定した波動を示す。即ち変動は感情の動きを示している。脳波を測定する機械は電気仕掛けで動き、脳波を操る生命力がそれに応えるということは、生命力は物理的存在でなければならない。但し、未だ究明されていないところの原子、即ち物理学から食みだした特殊原子が、物理や化学の法則を操って生物体を構成している、という見解に立つものである。生命力は生物体に宿って、時間的経過の中で物理や化学の法則を操り、時間的経過の中で生じる内的外的の物理的化学的障害を、感覚に働きかけて防禦策をとる。生命力がその戦いに敗れた時、生物体は見捨てられて物理や化学法則に服従する。これが死である。生物体から抜け出した生命力は裸の特殊原子として空間に飛散する。中にはその特殊性によって、空中に充満している物理的化学現象に働きかける。大抵は湿度と光線に作用して特殊現象を起こす。これが幽霊や人霊である。幽霊には色彩鮮明なものと、黒雲一色のものとがあって、いずれも気体としてしか捉えられないのが特徴である。人霊は通常、直径20cmの丸い玉で、色褪せた鈍いレモン色である。直径1mもある大きな火の玉が、ガス漏れのような音を立てて夜空を飛ぶこともあるという。私自身の体験では、私の頭から火の玉が出るのを三度見た。ガス漏れのような音がして、頭上2mのところにポッカリと浮かんだ火の玉は、風船のように風の方向に飛んで行った。火の玉が、風の間に間に浮き沈みするのは、空間条件がそのようになっているからであろう。時には空間条件を無視して目的地に直行することもある。火の玉は界雷が発生しそうな空間条件の時には出やすい。昔から、火の玉を暗夜に見たというのをよく聞くが、気圧に関係があるのではあるまいか。昭和三十九年九月二日の朝日新聞に、新田次郎氏が富士山頂 で落雷に遭った話が出ていた。
――昭和八年十月のことである。当時富士山頂測侯所は東賽の河原というところにあった。午後の四時を過ぎたころ、シューシューとガスでも漏れるような音を聞いた。ガスボンペなど置いてはなし、へんだと思って外に出てみると、音はそこらじゅう至る所から発生している。それも尖った所ほど音が高く、測風塔の頂きから聞こえて来る音は一段と凄味をおびていた。すぐにこれが尖端放電であることに気がついた。驚いたことにその音は私自身の頭のてっべんあたりからも聞こえてくる。そして、あたりがなんとなくむず痒いので、頭に手をやると頭髪が逆立って寄ってくるのにはびっくりした。手を高く上げると指の先からもシューシューと怪音を発する。二十分ほど前に外に出た時はなんでもなかったのに、いつの間にか黒い筋ばった雲が富士山におおいかぶさるように近づいていた。頂上はまだ雲の中には飲みこまれず、雲との距離は20mぐらいと思われた。光線の具合で雲は意外に明るく、下界でしばしば経験するあのどす黒い無気味な雲行きはなかった。比較的乾いた微風が吹いていた。現象自体は希有なものであり、 多分に危険の前触れのようであったが、私はそれほど怖いとは思わず、なんとかしてこのフラッシュ放電をカメラにおさめようと思い、カメラを取りに部屋に入った。その時はじめて雷鳴を聞いた。外へ出れば危険だという警報であった。雷鳴は引続いて聞こえ、まもなく頂上は雲の中に入った。夜のように暗い外の景色が稲妻に映えて真昼のようになる。突然なにかが爆発したような大音響と共に、私は直径20cmぐらいの火球を見た。壁にそってくるくる舞い歩き、それが一つのようにも三つのようにも、四つにも見えた。(以下省略)
 即ち、シューというフラッシュ放電は火の玉が生きている人体の頭上から出る瞬間と同じである。新田次郎氏の落雷体験との相違は、放電エネルギーが弱いことである。火の玉の場合には、耳を澄ましてかすかに聞こえ、1秒間以内に終る。火球の数が定かではないのは、驚嘆して意識が朦朧としていたからである。私も曾て経験したことがある。
――東京を引揚げて中国山地に疎開したのは昭和十九年九月二十六日であった。初めての土地で勝手がわからず、終着駅で終電から降りたのが午後十時であった。そこから奥へ通じる終列車は二時間前に発車して、レールがひっそりと暗夜に横たわっていた。私はリュックサックを背負うと、芦田川にそって歩いた。落合の一軒家まで来ると、柱時計が十二時を打った。道と川はそれから中国山地に入り、葛のようにレールに交叉しながら20km奥の芦田川支流に達していた。道を問うにも人家がなかった。レールはもぐらのようにトンネルからトンネルへ。道が鉄橋に近づくと、そこには必ず踏み切りがあった。洞窟のようなトンネルが右と左にぽっかりと口を開けていた。岩に砕ける水音が遠退いて、道が林の中を縫っている時、シューシューと奇妙な音がした。遠くで汽車が通るのかと思ったが、そんなはずがないと否定した。道は真暗であった。行手の梢の隙間から見える曇天の方がわずかに明るかった。梢に隙間があるのは、下が道だからである。私は黙々として歩いた。その時不意に、私の眼前に火球が浮かんだ。林を出てからも、火球は眼前を離れずに飛んでいた。それが三つになり五つになり、或いは四つとも二つとも見えた。私は疲れていると思い、道端にあった荷車の上で、リュックサックを枕にして寝た。(以下省略)
 ガス漏れのような奇妙な音は、昭和十四年二月にも聞いた。曇った静かな夜であった。ガス漏れのような音と共に私の脳天から白い線が飛び出して、それが消えた地点に火球がぽっかりと浮かんだ。と思うまもなく、火球は街の屋根から屋根へふわふわと飛んで行った。共通して言えることは、精神状態が安定して生命力に余剰があるということである。余剰の在り方は一様ではなく、中には生命維持の最低限を残して放電することもある。その場合は思考力を失って夢遊病者のようになる。古人はこれを狐愚きだといって青松で燻した。今では脳波を測定して安静療法で治るであろう。要は生命力の回復にある。