生命哲学原理論
本能は生命力によって作動されている。
自我とは本能のことである。
自我を制圧すれば感情が爆発する。
感情を抑制すれば病気になる。ところが
本能の赴くままに言動して他者を喜ばせたり、
社会に福祉を齎したりする人がいる。
「生命哲学」はそれを神性本能という。
倫理教育の目指す処はそれであるが、
悲劇は今も絶ゆることがない。
魔性本能が存在するからである。
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生命哲学原理論とは
脳の研究についてはすでに十数年前に、カール・セーガン著
「COSMOS」(木村繁訳)に記されていたが、それによると
脳幹(R領域)は、脊椎動物誕生初期の脳で、
これは生命体の維持を担当している。
それを取り巻いて成長した脳が辺縁系である。
辺縁系は生活の方法や手段を担当する。
生きんがためにはどんな理不尽をも言動して、
感情の赴くままに残虐性に走るのは辺縁系の支配である。
その辺緑系を更に大きく包んで成長した細胞が大脳皮質であって、
道徳を担当する。しかし誰もが一様に働くのではない。
この働きがある者と無い者が共存するから、悲劇を齎すのである。
最新科学によると、それら脳の中を網目状に張り巡らせている
神経系に電気的なものが走る。これをインパルスという。
それがあちらこちらで瘤状になっているのがコラムである。
そして神経系の末端にあるのをシナプスという。
シナプスは次の神経系の末端に信号を発する。
このシステムによって、R領域から火花のようなシナプスを
発信すると、辺縁系に引火してインパルスが活動する。
その活動が道徳を侵害すると、大脳皮質のシナプスに引火して
インパルスが働き、制御が始まる。これが通常人の苦悩である。
処が魔性人間のシナプスは、大脳皮質に発信せず、
辺緑系のインパルスのみ働いて、利害得失の計算に集中する。
生来的に大脳皮質の働きを知らぬから、道徳の何たるかを知らず、
善悪正邪の判断が出来ない。敢て判断に迫られると、
利害得失を通して考える。
利得を善と錯覚し、損失を悪だと誤解する。
つまり魔性人間は生得的に真実の道徳を知らないのである。
それに反して神性人間は、R領域から辺縁系に引火すると、
直ちにシナプスは大脳皮質に発信して辺縁系を監視する。
そして大脳皮質のインパルスは、利害得失を計算するにも
善悪正邪を通して考える。
その思考形態が魔性人間には目ざわりで、
その存在自体に激しい憎悪が湧くのである。
残虐性は肚の底から突き上げて来る。ここに悲劇の原点が存する。
魔性同士の戦いは、闘争による力の活性剤にこそなれ悲劇ではない。
神性同士は自から平和共存する。その延長線上で魔性人間を労わり、
残忍の坩堝に引き摺り込まれる。
その現実が自叙伝『魔性と神性』であり、
その原理を創始したのが生命哲学である。
(平成七年二月 中田ムメノ)